灰原薬「応天の門」第5巻の感想とあらすじは?

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灰原薬氏による「応天の門」の第5巻です。

魂鎮めの祭である御霊会が描かれました。その祭の中で渦巻く陰謀と、それに巻き込まれていく菅原道真の様子が描かれていきます。

小松和彦「呪いと日本人」にて詳細に書かれていますが、九世紀の中ごろになると、怨霊思想は第三者を巻き込んだ形で発生し始めます。

強力な怨霊が出現して、無差別に祟りをなすようになります。

こうして連綿と続く「御霊信仰」が生み出されました。

疫病や天変地異が起きると、政争に敗れて非業の死を遂げた者の祟りと考えました。

国家の支配者が、国家として祟り鎮めをすることになります。それが「御霊会」です。

最初の御霊会は貞観5(863)年に京都の神泉苑で行われ、早良親王など六人の霊が「六所御霊」として祀られました。

御霊会については、義江彰夫「神仏習合」でも詳しく書かれています。

舞台となる時代については「テーマ:平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)」にまとめています。

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第5巻の基本情報

登場人物紹介:島田忠臣

島田 忠臣(しまだ の ただおみ)は、菅原道真の師として知られます。

また、娘の宣来子は道真の正室となりました。

「日本後紀」の編纂者の1人です。

貞観2年(860年)頃より藤原基経の近習となり、基経とは主従関係に留まらず、個人的に親密な間柄だったようです。

登場人物紹介:島田宣来子

島田 宣来子(しまだ の のぶきこ)は、菅原道真の正室です。

道真が文章得業生であった貞観17年(875年)頃に道真に嫁ぎました。

嫡男・菅原高視や宇多天皇の女御となった衍子らを生んだとされます。

道真の大宰府への左遷後も京都に留まったものとされますが、詳しい消息は不明です。

関係年表

魂鎮めの祭=御霊会が描かれています。

帝が清和天皇で、藤原良房が実権を握っている時期に行われたのは、貞観5年(863年)の御霊会になります。

ーーー第5巻はここからーーー

  • 863(貞観5)
    • 神泉苑で御霊会を行い、祟道天皇、伊予親王ら6人の霊をまつる
    • 越中・越後地震、死者多数

ーーー第5巻はここまでーーー

  • 864(貞観6)
    • 富士山噴火(貞観大噴火)富士山噴火史上最大
    • 亡くなった人物(円仁(入唐八家))
  • 865(貞観7)
    • 大きな出来事がありませんでした。
  • 866(貞観8) 応天門の変
    • 最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の諡号が授けられる
    • 応天門の変(応天門炎上し、伴善男が罰せられる)
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第5巻の「道真の平安時代講」【解説】本郷和人

  • 祟りについて。不幸な亡くなり方をした人の霊は怖ろしいので、祟りを恐れ、御霊会(ごりょうえ)が執り行われました。
  • 平安時代の祭について。平安時代には娯楽性が追及されるようになりましたが、御霊を慰める、鎮める性格があったことを忘れてはいけません。
  • 平安時代の医療事情について。平安時代の貴族の平均寿命は30歳ちょっとと考えられていました。幼児死亡率が高く、食生活が良くなかったためです。医師(くすし)もおり、定員は10名で、薬草の調合をやっていたと考えられています。
  • 平安貴族の一日について。貴族は早起きで、3時とか4時には起き、身支度を整え、6時か7時ころには御所にでかけ、執務を終えた後の午前10時か11時には帰宅していました。午後は勉強は社交につながる稽古を行い、夕方4時は夕食をとり、日が沈んた夜にはパーティが開かれていたようです。

物語のあらすじ

都にて、魂鎮めの祭の開かれる事

藤原基経が、民を集め内裏で盛大なる魂鎮めの祭を執り行ってはいかがか提案しました。

帝も賛同の意を示しましたが、伴善男が今から祭壇を内裏に作るのは間に合わないので、神泉苑ではどうかと言いました。

すると、基経は神泉苑とはいい考えだと言います。

魂鎮めの祭を後押しする格好になってしまった伴善男はほぞをかみました。

祭の噂はあっという間に民衆の間に知れ渡りました。

菅原道真は紀長谷雄と一緒に昭姫の店へ出かけました。

そこにタマが昭姫から頼まれていた縫物を持ってきました。タマは針を失くしてしまって大変困っていました。

昭姫は道真に力になってくれるよう頼みました。道真は毛生え石(=磁石)をタマに貸し与えました。

魂鎮めの祭の日。

紀長谷雄は白梅を連れて祭の雰囲気を楽しんでいました。

一方、伴善男は嫡男の伴中庸から聞いた紀豊城の挙動を心配していました。万が一にもこの日に変なことをされたら困ったことになるからです。

伴善男は藤原氏が執り行う祭であるがゆえに己が狙われるかもしれないと考えていました。そのことをわかったうえで伴善男は注がれた酒を飲みほしました。

その矢先、藤原良房のそばに矢が飛んできました。不測の事態が生じ、帝をはじめとして、人びとは神泉苑から離れていきました。

屋敷に戻った伴善男が血を吐いて倒れました。嫡男の伴中庸はうろたえます。善男は毒だといいます。

伴善男は医者を呼ぶなというのですが、心配した中庸は菅原道真を頼りました。

何も聞かずに付いてきてほしいと土下座する伴中庸に、道真はまずいと直感します。尋常なことではない、これ以上首を突っ込みたくない…。

道真は伏ている伴善男の体から毒を出し切ることにしました…。

その頃、矢を放ったものを在原業平ら検非違使が懸命に探していました。

そうした中、伴善男が内裏に現れ、帝に拝謁します。その様を見た藤原基経は唇を噛んで悔しさをにじませました。

その様子を藤原良房が見ていました…。

長谷雄、唐美人に惑わさるる事

密航者が役人を殺して逃げました…。

菅原道真は得業生になれば唐に行けるかもしれないと、ひそかに思っていました。それを知った紀長谷雄は驚いていました。

長谷雄が市街を歩いてると知らない香りが漂ってきます。そちらの方に行くと、異国のものが倒れていました。

長谷雄はその者を連れてけがの手当てをしてあげました。

その頃、在原業平に連れられた菅原道真が殺された役人の死体検分をしていました。

死体についていたキズに疑問を持った道真は昭姫を訪ねました。すると、そこに長谷雄も来ており…。

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