灰原薬氏による「応天の門」の第15巻です。
貞観7年(865年)が舞台だと思います。
伴健岑が配流先の隠岐から恩赦によって放免されたのが貞観7年(865年)だからです。
しかし、この恩赦は誤りであったとされ、改めて出雲に左遷されます。
舞台となる時代については「テーマ:平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)」にまとめています。
全巻の目次
第15巻の基本情報
事件:承和の変(じょうわのへん)
この巻の後半は「承和の変」が関係しています。
本書の約20年前の842年(承和9年)に起きた廃太子を伴う政変です。
藤原氏による最初の他氏排斥事件とされます。
本書でも描かれていますが、嵯峨天皇が譲位し、嵯峨上皇として実権を握り続けていた30年近くは政治が安定していました。
その間、嵯峨上皇はお気に入りの孫・恒貞親王を皇太子としました。
一方で、藤原氏は、藤原北家の藤原良房の妹・順子が仁明天皇の中宮となり、道康親王をもうけていました。
842年(承和9年)に嵯峨上皇も重い病に伏すと、パワーバランスが崩れます。
恒貞親王に仕える伴健岑と橘逸勢らが、恒貞親王の身に危険が迫っていると察し、恒貞親王を東国へ移すことを画策します。
その計画を在原業平の父・阿保親王に相談しますが、阿保親王はこの計画を上告します。
嵯峨上皇が崩御すると、すぐさま伴健岑と橘逸勢が逮捕され、伴健岑、橘逸勢らは謀反人とされ、恒貞親王は事件と無関係とされながらも、責任を取らされて廃太子となります。
伴健岑は隠岐へ流罪、その後出雲国へ左遷、橘逸勢は伊豆に流罪となりますが、途中の遠江国で死にます。
この事件で、藤原氏は名族である伴氏(大伴氏)と橘氏に打撃を与えることに成功し、藤原良房はライバルを蹴落とすことに成功したとされます。
しかし、当時の藤原良房の力を考えると、藤原良房単独での計画とは考えにくいようです。
とはいえ、結果的に、この事件を機に藤原良房は藤原氏繁栄の基礎を築くことになります。
関係年表
- 864(貞観6)
- 富士山噴火(貞観大噴火)富士山噴火史上最大
- 亡くなった人物(円仁(入唐八家))
ーーー第15巻はここからーーー
- 865(貞観7)
- 大きな出来事がありませんでした。
ーーー第15巻はここまでーーー
- 866(貞観8) 応天門の変
- 最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の諡号が授けられる
- 応天門の変(応天門炎上し、伴善男が罰せられる)
第15巻の「道真の平安時代講」【解説】本郷和人
- 医学を司った役所が典薬寮です。医師、針師、按摩師、呪禁師で構成されていました。医師の当時の地位は決して高いものではありませんでした。
- 日本ではやった感染症は天然痘とはしかです。ペストが日本に常在したことはありませんでした。奈良時代の735年から738年ころに天然痘が流行し、藤原四兄弟がが相次いで死去するなど、政治にも大きな影響を与えました。
- 漢方医学とは、中国の医学を源流として日本で独自に発達した医学です。そのため、日本の漢方が作る薬が漢方薬です。
- 奈良時代まで「花」といえば梅でした。中国の影響です。花の代表が桜に替わったのは、平安時代の嵯峨天皇の時代からと言われています。
- 律令国家では、罪人に対して笞、杖、徒、流、死の5つの刑罰を用意していました。笞で打つ、杖で打つ、強制労働、配流、死刑の5つです。
物語のあらすじ
典薬寮にて不老不死の薬が見つかる事
島田忠臣に友の興道名継が訪ねてきて、不死の仙薬の原料というものを見せました。前の典薬頭の出雲峯嗣が送ってきたのです。
そして、仙薬について書かれている書物を菅原是善の所にある写しで調べてほしいと頼んできたのです。
紀長谷雄が菅原道真に泣きついてきましたが、道真は取り合いません。
そこに島田忠臣が父・是善を訪ねてきたと白梅が告げました。
道真と長谷雄は聞き耳を立てていると、不死の仙薬という言葉を聞きつけます。
是善が忠臣に届ける書物を道真に託し、屋敷を出ていくと、その姿を追う者がいました。
許嫁の島田宣来子です。宣来子は道真がどこへ向かうのか、後を付けることにし、白梅に協力してもらうことにしました。
途中で道真を見失った宣来子は腹痛に襲われます。そこに現れたのが、内薬司の女医・八千代でした。
その頃、島田忠臣は菅原是善から借りた書物を持って名継の所に行きました。
名継は薬を様々なものに溶いて、舐めたりして、薬が何からできているのか確かめようとしていましたが、さっぱりわからないでいました。
書物を届けに来た菅原道真と紀長谷雄が、典薬寮を出ようとしたところ、長谷雄が足を滑らせます。
そして、口に入った辛いものを薄めるために手近にあった椀の飲み物を飲みました。
それは不死の薬を溶かした酒でした。一同は慌てます。
毒かもしれないものを飲んでしまった紀長谷雄の様子を見守ることにしました。
その中で、道真は毒を飲んでしまった場合の対処を学びます。死に至るような毒は体内に留まることも知り、伴善男の一件を思い出しました。
源融、嵯峨に庭を望む事
源融が在原業平に一大事だと告げたのは、花盗人が源融の庭を荒らしているというのです。
庭は嵯峨野にあります。そこの菖蒲の首を誰かがすべて切り落としたというのでした。
源融は嵯峨院に住む恒貞親王が犯人だと言います。
在原業平は菅原道真を連れて嵯峨野に向かいました。
すると源融の屋敷の者が腹痛で倒れています。韮を食べたというのですが、それは韮とは異なる植物でした。
道真がその植物を探していると、一人の僧に出会い、韮に似た草は水仙であることを教えてくれました。唐の花です。
この僧こそが恒貞親王でした。恒貞親王と在原業平の間には何か因縁があったようです。
流人の隠岐より帰京する事
隠岐から20年ぶりに戻ってくる伴健岑の噂で宮中はもちきりでした。
藤原常行は父・藤原良相に大丈夫かと尋ねますが、放っておくように言われます。同じころ、伴家でも伴中庸が父・善男に同様に事を尋ねていました。
菅原道真は恒貞親王の嵯峨離宮に再び招かれていました。そして遣唐使が持ち帰った書物を見せてもらえることになりました。
屋敷に戻った道真に、在原業平は嵯峨離宮に二度と近づかない方がいいと忠告しました。
納得いかない道真は在原業平に恒貞親王と何があったのかを聞きました。
20年前の政争で、連座して罰せられた者にかわって出世したのが、業平の父・阿保親王だったのです。
伴健岑はもう少しで京に着くところまで来ていました。