灰原薬氏による「応天の門」の第12巻です。
貞観の大噴火があった年が描かれていますので、864年(貞観6年)になります。
貞観の大噴火は、864年(貞観6年)から866年(貞観8年)まで続きました。
駿河国の報告は、貞観6年5月25日(864年7月2日)、甲斐国の報告は、7月17日(8月22日)でしたので、この時期になります。
舞台となる時代については「テーマ:平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)」にまとめています。
全巻の目次
第12巻の基本情報
登場人物紹介:土師忠道(はじのただみち)
土師忠道は左大臣・源信(まこと)の家人です。
源信が大納言・伴善男と対立すると、弓馬に巧みだった土師忠道は、貞観7年(865)に左馬少属から甲斐権掾にうつされます。
これは源信の武力を奪うための策略とされます。陰には太政大臣・藤原良房がいたともされます。
関係年表
ーーー第12巻はここからーーー
- 864(貞観6)
- 富士山噴火(貞観大噴火)富士山噴火史上最大
- 亡くなった人物(円仁(入唐八家))
ーーー第12巻はここまでーーー
- 865(貞観7)
- 大きな出来事がありませんでした。
- 866(貞観8) 応天門の変
- 最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の諡号が授けられる
- 応天門の変(応天門炎上し、伴善男が罰せられる)
第12巻の「道真の平安時代講」【解説】本郷和人
- 源頼光は948年~1021年。清和天皇の皇子・貞純親王と源能有の娘との間にできた源経基の嫡孫です。摂津源氏の祖であり、藤原道長に仕えました。頼光四天王とともに酒呑童子を討伐しています。京都近くでの怪しい動きに対して、武人が出張っていきました。在原業平もそうした仕事をしていた可能性があるかもしれません。
- 東北は陸奥国と出羽国しかありませんでした。律令時代の朝廷ははじめは多少やる気を見せて巡察使や按察使を任命していました。それぞれ監督、監察の仕事を担っていましたが、平安時代には実態が無くなっていきます。
- 日本には600年に600万人、関ヶ原の戦いの1600年に1200万人くらいです。朝廷は7世紀から戸籍を作り始めました。偶然残った戸籍を見ると、成人男性が異様に少なかったのです。男性の名を書くと、税を多くとられたり、兵役がかかったりするためです。
- 国司の税金取り立てシステムは極めて難しいものでした。
物語のあらすじ
菅原道真、盗人に疑わるる事
菅原道真は明日の夕方までに犯人を捜してくることを条件に解放されました。
道真の監視として訴えた笠隆守が同行することになりました。
硯を見つけるため昭姫の店に立ち寄り、捜索を依頼します。
大学寮に向かったところ、ちょうど橘広相と都言道に会い、硯を売りつけてきたものがいたことが分かりました。尾野昌嗣というものでしたが、一緒に悪さしていた奴らととも流行り病で死んでいました。
道真は尾野昌嗣の屋敷を訪ね、形見として硯を所望しました。
戻ってみると、検非違使の対応がまるで異なっていました。藤原基経が道真の解放を命じたからでした。
在原業平、山中に桃源郷を見る事
なぜ藤原基経が自分の解放を命じたのかが分からなかった菅原道真でしたが、二条堀川の藤原邸に直接礼に行くことにしました。
藤原基経と会った道真は、父・是善からの依頼からかと考えていましたが、藤原基経は道真と話したかったから解放したのでした。
興味を覚えたのは、道真の兄・吉祥丸が道真を高く評価していたからでした。
屋敷を辞するときに島田忠臣とすれ違います。忠臣は驚きましたが、藤原基経は関係を悟られていないと話しました。
在原業平が目覚めました。
沢に落ちたところで記憶が途切れていましたが、若い女性3人に助けられました。
村の老婆は在原業平が隠り世に行ったのだろうと言います。霧の深い日に山で迷うと死者に会うことがあるというのです。
白梅が在原業平の屋敷の者が来たと菅原道真に告げました。従者の是則が在原業平を助けてほしいというのです。
菅原道真は国造りの話にある黄泉戸喫の話や、陶淵明の桃花源記の話をしました。
道真は在原業平が見たのは、閉ざされた者による集落なのではないかと推測しました。
成り行きで在原業平と一緒に探しに出かけることになった道真でしたが、村民からずいぶん警戒されていました。
そうした中、道真が偶然隠り世への入り口を見つけます。
土師忠道、菅原道真と遇する事
富士山は火の神・木花之佐久夜毘売を浅間大神として祀られておりましたが、貞観の大噴火は過去に例をみない規模でした。
この大災害は京まで揺るがす大事になりました。
昭姫は菅原道真と在原業平の遭遇した出来事を聞いてお笑いしました。そこにタマがやってきました。
タマが大納言・伴善男の家の者にぶつかって、酒の入った瓶を割ってしまいました。因縁をつけてきたところ救ってくれたのが源信の家人・土師忠道でした。
伴善男の家の者は今日あった出来事を伴善男に報告しました。伴善男は土師忠道が甲斐出身であることに目を付けました。