鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は鎌倉観光の起点となる場所です。
鎌倉の観光名所となる史跡や寺社は全て鶴岡八幡宮を中心に配置されています。
鶴岡八幡宮は鎌倉駅の東側に位置しますが、西側には海蔵寺、英勝寺、寿福寺、佐助稲荷、銭洗弁天などがあります。
北方面には北鎌倉駅から鎌倉街道沿いに円覚寺や建長寺、明月院、浄智寺、円応寺、東慶寺などがあります。
西方面は江ノ電に乗って行くのがおススメで、鎌倉大仏や長谷寺などがあります。
鶴岡八幡宮の東方面になる金沢街道沿いには報国寺、浄明寺、杉本寺があり、北東方面の二階堂方面には覚園寺、瑞泉寺、鎌倉宮、荏柄天神社があります。
南方面の大町・材木座周辺には光明寺や安国論寺などがあります。
都内から日帰りで観光ができますが、1日で回るのは厳しいかもしれません。
何回かに分けて観光するのがオススメです。
車で来るのもいいですが、鎌倉観光は車での移動はかえって不便です。
電車で鎌倉駅まで来て、レンタルで自転車を借りるのがおススメです。圧倒的に機動力が違います。
宿泊して観光するのでしたら、鎌倉駅周辺が断然オススメです。
都内に宿泊して観光に来るのも良いですが、観光客が鎌倉駅に押し寄せるのが10時以降です。
それまでは鶴岡八幡宮の境内ですらスカスカです。
朝イチから動ける鎌倉駅周辺に宿泊して、静かな鎌倉観光を楽しむのがオススメです。
鎌倉駅周辺に宿泊するメリットは朝だけではありません。
電車でやってくる観光客の多くは夕方までには帰ります。
静かになりますので、遅い夕方や夜にゆっくりと食事して鎌倉を堪能できます。
神宮寺時代
鶴岡八幡宮は、明治三年(1870)の神仏分離までは神宮寺でした。
名称も「鶴岡八幡宮寺(つるがおかはちまんぐうじ)」でした。
神仏分離については、安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。
神宮寺の名残があります。
- 雪ノ下の御谷(おやつ)と一帯の鶴岡二十五坊の地名
- 楼門の「八幡宮」の額は元々「八幡宮寺」と書かれていたのを明治の神仏分離の際に下の1文字「寺」を切り取りました
- 白旗神社手水舎に手水鉢は、輪蔵の軸受石でした
若宮大路
鶴岡八幡宮への入り口です。
鎌倉駅を降りて、鶴岡八幡宮へ向かいます。
今日の散歩コースは、行ったことのない、鶴岡八幡宮の奥です。
方向でいえば、鶴岡八幡宮を正面にして、右奥の方面。さて、何があるのでしょうか。
この日のルートは、鎌倉駅から見て北東。イメージとしては鶴岡八幡宮の右上方面を散策しました。
鶴岡八幡宮 ⇒ 源頼朝墓と白旗神社 ⇒ 大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓 ⇒ 荏柄天神社 ⇒ 鎌倉宮(大塔宮) ⇒ 永福寺跡 ⇒ 瑞泉寺 ⇒ 護良親王墓所
まずは若宮大路を鶴岡八幡宮目指して散歩です。
若宮大路(わかみやおおじ)。鎌倉の由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道で、国の指定史跡です。
若宮大路は寿永元年(1182)、源頼朝によって造られた鶴岡八幡宮の参詣道です。中世鎌倉の都市づくりの中心とされた鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に至るまで一直線に造られ、都市づくりの基軸線となりました。
「吾妻鏡」によれば、頼朝は日頃鶴岡八幡宮の参道を造りたいと願っていましたが、妻北条政子の安産祈願として道造りを始めました。頼朝自らが指揮し、北条時政以下の御家人たちが土石を運んだといわれています。
現在は県道となり、鎌倉のメインストリートとしての役割を果たしています。車道の両側には松並木が整備され、往時をしのばせてくれます。二ノ鳥居以北の道路中央の一段高い道は段葛と呼ばれ、国指定史跡鶴岡八幡宮境内の一部です。一ノ鳥居は国指定重要文化財(建造物)に指定されています。
平成19年3月 鎌倉市教育委員会
1180年(治承4年)。源頼朝は先祖の源頼義が創建した由比郷鶴岡の由比若宮(現在の材木座の元八幡)を小林郷北山に遷座して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、鶴岡八幡宮を中心とした街づくりをはじめました。
1182年(養和2年)。源頼朝が妻・政子の安産祈願のため造られたのが若宮大路です。平安京の朱雀大路を参考にしています。
3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から「一の鳥居」「二の鳥居」「三の鳥居」といいます。
二の鳥居から三の鳥居までの間は、盛土によって道の中央が一段高くなっており、段葛(だんかずら)と呼ばれます。
遠近法が採用され、鶴岡八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっています。
鶴岡八幡宮の見どころ
源平池
若宮大路の段葛が終わり、境内に入るとすぐにあるのが源平池です。
北条政子が掘らせたと伝わる池。
源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産と死を表すという。
源氏池の島には旗上弁天社がある。
若宮大路の造営と同じくして源平池の造営も行われました。
源平池を横切るように作られている石造の橋。創建当時は木造で、朱塗りだったため「赤橋」と呼ばれました。
北条氏の庶流・赤橋家の苗字はこの橋の名称に由来します。
旗上弁財天社
1182年に源頼朝は大庭景義に命じて鶴岡八幡宮の境内の東西に池を掘らせ、源氏池に旗上弁財天社を建てました。
祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)です。
- 多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)
- 市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)
- 多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
宗像三女神は、福岡県宗像市の宗像大社の主祭神です。
政子石は夫婦円満、良縁、子宝にご利益があります。
さざれ石
源平池には、姫石とさざれ石があります。
源頼朝が政子の安産を祈ったとされる石で、別名「姫石」と呼ばれる霊石です。古来より縁結びの霊験があり、夫婦円満の祈願石とされています。
国歌「君が代」に詠まれている「さざれ石」。昭和36年、岐阜県春日町で、小林宗一氏によって発見され、昭和52年に岐阜県の天然記念物に指定されています。
このさざれ石は、昭和56年に発見者小林宗一氏のご子息文治氏より奉納されたものです。
主祭神:応神天皇、比売神、神功皇后
大銀杏跡
それでは鶴岡八幡宮をお参りです。
この時は、ちょうど大銀杏が倒れて間もないころでした。
大石段が、広く思えたものです…。
大石段は61段あります。
登りきると桜門があり、拝殿につながる本宮があります。
鶴岡八幡宮の大銀杏。倒れた跡地です…。
大銀杏には逸話があります。
鎌倉時代の建保7年(1219年)。源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害しました。
そのため、この大銀杏には隠れ銀杏という別名があります。
平成22年(2010年)。強風のために大銀杏は根元から倒れました。
流鏑馬
この場所で流鏑馬が行われます。
見たことがないので見てみたい気もしますが、そのうち!
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場は、1187年(文治3年)に造営されました。
鶴岡八幡宮の境内中央付近を東西に走る流鏑馬馬場は、旧鎌倉道といわれています。
舞殿
鶴岡八幡宮の舞殿。下拝殿ともいいます。1193年(建久4年)に新造されました。
静御前が舞ったところという伝承がありますが、静御前が舞ったのは若宮廻廊で、舞殿はその若宮廻廊の跡地に建てられています。
2013年に訪れた時、全くの偶然ですが、イベントがありました。いつもなら通り過ぎる場所なのですが、めったにない機会に遭遇しました。
本宮
若宮
鶴岡八幡宮末社の白旗神社
源頼朝の墓のそばにあったのが、白旗神社。その墓の近くにある鶴岡八幡宮の中にあるのも白旗神社です。
…ややこしいです。ほんと。
鶴岡八幡宮内にある白旗神社。
鎌倉時代の1200年(正治2年)朝廷から「白旗大明神」の神号を賜り、北条政子によって創建されたと伝えられています。黒漆塗極彩色の社で「武衛殿」と呼ばれました。
祭神:源頼朝、源実朝
畠山重忠邸跡
鶴岡八幡宮の東の鳥居をくぐって境内を出たすぐのところに石碑があります。
大倉幕府跡
鶴岡八幡宮を出て程近いところにある石碑です。
幕府建物があった場所には清泉小学校が建っています。
江ノ島・鎌倉七福神
「御霊神社」 福禄寿(ふくろくじゅ)
「本覚寺」 夷尊神(えびすそんじん)
「妙隆寺」 寿老人(じゅろうじん)
「浄智寺」 布袋尊(ほていそん)
「鶴岡八幡宮」旗揚弁財天(はたあげべんざいてん)
「江島神社」 江島弁財天(えのしまべんざいてん)
「宝戒寺」 毘沙門天(びしゃもんてん)
「長谷寺」 大黒天(だいこくてん)