報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)。
小田原城内に鎮座。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっています。通称「二宮さん」。
小田原城の天守閣の入り口階段を左手に進み、下り坂を歩いていくと、脇の入り口に出ます。
この入り口から入ると、拝殿のすぐ前に出ます。小田原城を見学した後に参拝するのがオススメです。
脇の入り口から入ると、鬱蒼とした雰囲気になりますが、かつての小田原城の堀の遺構を思わせる感じでした。
報徳二宮神社の歴史
祀っているのは、江戸時代末期の農政家・二宮尊徳です。
二宮尊徳は報徳社を設立して農村の救済・教化運動を行いました。
尊徳が安政3年(1856年)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行いました。
尊徳の思想は報徳社に受け継がれ、明治24年(1891)尊徳に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳を祀る神社創建の動きが起き、社殿が造営されます。
明治27年(1894年)大祭を執行し、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座しました。明治39年(1906)県社に列しました。
- 例祭は5月第3日曜日
- 筆祭り(1月2日)
- 神徳景仰祭(9月第3日曜日)
向かいにある報徳博物館には二宮尊徳関係の歴史資料が多く所蔵されています。
由緒
https://www.ninomiya.or.jp/
明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。
現在、神社本庁別表神社。社殿は神明造り。なお、拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
報徳二宮神社の見どころ
明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神苑を拡張して現在の社地の景観を整えました。
平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。現在、神社本庁別表神社。
社殿は神明造り(神社建築の一様式)。なお、拝殿礎石は天保の大飢饉の際、藩主大久保翁の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手に渡ったことにより小田原11万石の領内から一人の餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
https://www.ninomiya.or.jp/info/guide/
授与所でしょうか?閉まっていました。
祈祷殿のようです。
池は整備されて、綺麗です。
今では見ることが少なくなった二宮金次郎の像です。勤勉学生の象徴でしたが、この像がある小学校は少なくなったのではないでしょうか。
手水舎
銅の鳥居。反りがない神明系鳥居です。
庭園
石鳥居
入り口付近
報徳二宮神社の概要
主祭神 | 二宮尊徳翁 |
社格等 | 近代社格制度:県社 現在:別表神社 |
創建 | 明治27年(1894年) |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 4月15日 |
公式ページ
地図と住所
所在地: 〒250-0014 神奈川県小田原市城内8−10
電話: 0465-22-2250