神田明神の参詣記-歴史や見どころは?(東京都千代田区)平将門の霊を鎮めるための神社。神田祭は江戸三大祭の一つ

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神田明神への行き方ですが、最寄りは御茶ノ水駅です。

御茶ノ水駅を降りて、聖橋(ひじりばし)を渡ります。

湯島聖堂を右手に見ながら真っ直ぐ進んで、最初の大通りを少し右に歩けばすぐに着きます。

散歩コース

御茶ノ水駅を降りて、上野方面への散歩コースがおススメです。

最初に湯島聖堂を見て、次に神田明神、そして湯島天神不忍池上野公園のルートです。

ゆっくり歩いてもそんなに時間はかかりません。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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神田明神とは

江戸三大祭

正式名称は「神田神社」です。

神田祭をおこなう神社です。神田祭は、山王祭、深川祭と並んで江戸三大祭の一つです。

江戸・東京に鎮座して1300年近くの歴史があります。

江戸時代には「江戸総鎮守」として江戸のすべてを守護していました。

風水学的には、江戸城を起点に、江戸の鬼門である北東の上野に寛永寺、神田明神、浅草寺を配し、裏鬼門の南西に増上寺日枝神社を配したと考えられるそうです。

平将門ゆかりの神社

平将門に縁のある神社です。

将門塚周辺で天変地異が頻発し人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、延慶2年(1309)に奉祀しました。

戦国時代には、太田道灌や北条氏綱らに手厚く崇敬されています。

紆余曲折があって、今は三之宮として祀られています。

鹿園があった?

昭和30年、越後一宮の彌彦神社に神田明神から雄雌一組を譲っています。

昭和32年に奈良の春日大社と一緒に、茨城県の鹿島神宮へ鹿を2頭移したそうです。

昭和の半ばまでどこかに神田明神所有の鹿園でもあったのでしょうか?

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神田明神の概要

東京十社(准勅祭社)の一社です。

主祭神

二之宮の少彦名命は1874年(明治7年)に茨城県の大洗磯前神社から勧請されました。

疑問なのは、なぜ大洗磯前神社からの勧請だったのでしょうか?

大洗磯前神社の社格が名神大社で、社格が高いからというのは分かります。

しかし、主祭神は大己貴命 (おおなむちのみこと)(大国主命の別名)で、少彦名命は配祀神です。

少彦名命が主祭神の神社としては大洗磯前神社と対になっている酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)があります。

酒列磯前神社も社格は名神大社であり、大洗磯前神社と遜色ありません。

神田明神の見どころ

一の鳥居

隨神門周辺

祭務所、神楽殿

御神殿

地図

所在地: 〒101-0021 東京都千代田区外神田2−16−2
電話: 03-3254-0753

承平天慶の乱を扱った小説

神田明神が平将門と縁がありますので、平将門を扱った小説を紹介します。

平将門の乱と藤原純友の反乱と合わせて「承平天慶の乱」と称されます。

平将門(海音寺潮五郎)

海音寺潮五郎の「平将門」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

平将門の乱は、藤原純友の反乱と合わせて「承平天慶の乱」と称される。平将門の乱は、藤原純友の反乱の時期的に近く、伝説として平将門と藤原純友が比叡山で共同謀議して起こしたものだと言われてきている。真実は不明だが、本書は共同謀議説を採用していない。

海と風と虹と(海音寺潮五郎)

絶海にあらず(北方謙三)

北方謙三の「絶海にあらず」を読んだ感想とあらすじ
「絶海」とは極めて遠い海を指します。通常、距離的な遠さを指しますが、本書の題名は距離的なものではありません。それは、海が権力者のものとなり、一般大衆の手の届かないほどに遠いものという権力構造上の遠さを指しているような気がします。それが「あらず」なので...。
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