【式内社】鹿島神宮の歴史と見どころ紹介(茨城県鹿嶋市)伝説の剣豪塚原卜伝ゆかりの神社

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鹿島神宮の社号標
鹿島神宮の社号標と鳥居

鹿島神宮は茨城県の南東、霞ヶ浦の東方にあり、太平洋に近いところに鎮座しています。

電車ですと東京駅から約2時間30分かかります。

鹿島神宮だけを参拝するなら、電車でも悪くありません。

乗り継ぎが多いですが、鹿島神宮駅からは10分ほどのアクセスです。

駅からは登り坂があるので、がんばって歩きましょう。

車ですと都内から2時間くらいでしょうか。

車で東関道をひたすら走り、高速の終わりの潮来から利根川を渡ってすぐです。

神宮橋を渡る際に右手に利根川に立つ一の鳥居が見えます。

ちょっとした旅が楽しめる距離です。

せっかく行くのであれば、あれこれ足を伸ばしたいところですので、車で行かれるのがおススメです。

駐車場は、大鳥居の右手にある駐車場がオススメです。有料ですが、一番近いです。

車でしたら、半日で鹿島神宮と香取神宮息栖神社の三社を巡る「東国三社巡り」ができます。

「東国三社巡り」は伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされます。

公共交通機関の利用では1日で三社を巡るのは厳しいかもしれません。

車でしたら、「東国三社巡り」を終えたあとに水郷の町・佐原に向かって、小江戸の街並みの散策も良いです。

佐原の江戸時代から続く創業およそ300年のうなぎ割烹山田のウナギは美味しいです。

泊まりで行かれるのでしたら、鹿島駅周辺がオススメです。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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鹿島神宮の神様

鹿島神宮の主祭神として祀っている神様は、超武闘派で最強の武神・タケミカヅチです。

タケミカヅチは、神代の国譲りの時に高天原のアマテラスが遣わして、オオクニヌシに国を譲るように迫った神です。

その迫り方が尋常ではありません。

剣を逆さにして立て、上を向いている切っ先の上に胡座をかきながら国譲りを迫ったのです。

オオクニヌシの子・タケミナカタが国を譲ることに同意しないので、力でねじ伏せます。

ほうほうの体で逃げるタケミナカタを、出雲から諏訪まで追いかけて服従させました。

今でも、日を背にした鹿島(日の出づる所)から、諏訪大社のある諏訪を今も睨みつけています。

また、タケミカヅチの剣は神武天皇の手に渡り、大和平定の際に活躍します。

このように鹿島神宮は最強の武神タケミカヅチを祀る凄いパワースポットです。

ご利益

武神を祀っていますので、ご利益として勝利祈願・必勝祈願があります。

鹿島神宮に関係する常陸帯(ひたちおび)にちなみ、縁結び、安産祈願にもご利益があります。

「鹿島立ち」という言葉がありますが、 防人や武士が旅に出る前、道中の無事を祈願していたことから、旅の安全にもご利益があります。

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鹿島神宮とは

常陸国一之宮

関東最古の神社です。

創建は初代神武天皇が即位した年と伝わります。

古社中の古社で、神宮と呼ばれたのは、伊勢の他は、鹿島神宮と香取神宮だけでした。

別格の格式を持つ神社です。

東国三社

鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社を合わせて「東国三社」と呼ばれ、昔から宮中の四方拝で遥拝されています。

三社を巡る「東国三社巡り」は伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされます。

藤原氏ゆかりの神社

中臣氏が神職を担っていたため、古くから藤原氏にも信仰されています。

藤原氏の氏神は奈良の春日大社ですが、春日大社の御祭神は鹿島神宮と香取神宮から迎えたものです。

全国の藤原氏の末裔の方は、春日大社だけでなく、鹿島神宮もお参りしましょう。

一説には藤原氏の祖となる中臣鎌足の出身がこの周辺だといわれています。

近くには中臣鎌足ゆかりとされる鎌足神社があります。

鎌足神社の歴史と見どころ紹介(茨城県鹿嶋市)中臣鎌足出生の地?

鹿島の地は古来から中臣氏にゆかりが深い土地だったようだ。中臣から藤原に姓を変えた藤原家が鹿島神宮を特に篤く信奉したことは知られるが、鹿島こそが、藤原氏繁栄の礎を築いた祖・中臣鎌足の出生の地という説がある。

鹿島神宮と香取海

鹿島神宮は海と川が近い神社です。おそらく創建の時期は、文字通り「島」だったと思われます。

長らく鹿島神宮の周辺には香取海(かとりのうみ)と呼ばれる、大きな内海が広がっていました。

名の通り香取神宮が支配していた地域でした。

その香取海に浮かぶ島だったので「香島」となり、同じ音の「鹿島」になったといわれます。

ですが、周辺の地名には「神」や「高天原」などがあることから、もともとは「神島」から始まって、「香島」→「鹿島」になったのではないかと思います。

いずれも「かしま」と読めます。

香取も同様で、「神取」から「香取」になったのではないかと思うのですが、如何でしょう。

香取神宮は物部氏の系統の神社であり、香取海周辺を物部氏が実質的に支配していました。

しかし、中央での勢力図の変化により、この周辺の力関係も変わり、中臣氏が優勢となります。

その頃には、内海も小さくなっていたことでしょう。

なお、海の近い鹿島神宮には、鹿島灘の「波の音」が、北から聞こえると晴れ、南から聞こえると雨となると伝わります。鹿島神宮七不思議の一つです。

武士からの信仰、武道からの信仰

武家からは武神として崇敬されてきました。

現在も剣道や弓道などの武道で篤く信仰される神社です。

というのは、この地が日本剣術発祥の聖地でもあるからです。

剣術の流派は古墳時代前期に最古の剣術が生まれたようです。

最初の流派が、常陸国鹿島神宮の祝部(=つまり神官)の国摩真人が編み出した「鹿島の太刀」を基とする「関東七流」です。

牧秀彦「剣豪 その流派と名刀」に詳しいです。)

なお、国摩真人は中臣氏の一族の可能性が高いようです。

牧秀彦の「剣豪-その流派と名刀」を読んだ感想

時代小説を読むと様々な剣術の流派や刀が登場する。一流派・一名工毎に、見開きで完結する内容となっているので、事典代わりに読まれると良いと思う。

「関東七流」の詳細は分かっていません。

鹿島神流や香取神道流の祖とされます。

剣術の流派興隆を担ったのが神官だったと言われます。

神官であったことが重要です。

これにより、鹿島神宮や香取神宮の役割が何だったのかがよく分かるからです。

この流れから誕生した伝説的な剣豪が塚原卜伝です。

この地の出身で、鹿島神宮の神官の家系の出身です。

実父から鹿島古流を学び、義父からは飯篠長威斎が興した天真正伝香取神道流を学んだとされます。

剣聖・塚原卜伝:生涯負けを知らなかった鹿島新当流の祖

塚原卜伝(1489-1571)は戦国時代の剣豪、兵法家。剣聖と呼ばれる。鹿島新当流(新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の始祖。卜伝の伝記は巷説が多く、生没年に諸説あることからも明らかでない。

関東七流に対して、京八流というのがあります。

こちらは京都の鞍馬山を発祥とする流派で、平安時代に始まったとされますが、詳細は不明です。

流派を担ったのが僧侶だったとされます。

東西ともに、聖職者が深く関わっていることが興味深いです。

鹿島神宮の散策

四つの一の鳥居

鹿島神宮の一の鳥居は東西南北に四つあり、この四つの鳥居の中が神域とされます。

西の一之鳥居

水上の鳥居 西の一之鳥居

大船津の一之鳥居は、鹿島神宮に通じる東西南北の四か所に設けられた一之鳥居の一つで、西の一之鳥居に当たります。

鎌倉時代、鹿島の土地隆起により御手洗池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、船着き場となった大船津に、僧侶の忍性が鳥居を建てたのが最初とされています。

1618年に徳川二代将軍秀忠が社殿と合わせて奉納した鳥居は水中鳥居で、当時はまさに鹿嶋の玄関口でした。現在の鳥居は、2013年6月に再建されたもので、水底からの高さが、18.5メートル、幅22.5メートルもあり、水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルをこえる国内最大級の大きさです。

看板 鹿嶋神の道運営委員会
右に見えるのは神宮橋
西の一之鳥居と看板
西の一之鳥居の紹介

南の一の鳥居

南の一の鳥居は息栖神社の一の鳥居です。

東の一の鳥居

明石浜鳥居と呼ばれます。武甕槌大神が上陸した場所とされます。

北の一の鳥居

浜津賀地区の神戸森にある戸隠神社の境内にあります。2017年10月1日に再建されました。

参道

鹿島神宮の参道
鹿島神宮の参道。奥に鳥居が見える。

正面に見えるのが大鳥居です。

鹿島神宮が高台にあるのは、古代の香取海の時代に水難に遭わないように高台に建てたためでしょう。

鹿島神宮の参道
鹿島神宮の参道の終わり。鳥居の手前右奥に有料駐車場がある。

案内図

鹿島神宮の案内図
鹿島神宮境内案内図

境内案内図です。

広大な敷地を有するのがわかります。敷地面積は東京ドーム15個分あるそうです。

その多くが原生林のような森です。

茨城県指定の天然記念物となっている樹叢で、杉、シイ、タブ、モミが生い茂っており、種類は600種以上あるそうです。

森林浴で歩くだけでも清々しい境内です。

末社

楼門手前左に末社があります。

鹿島神宮の末社入口
末社への入り口
鹿島神宮の末社入口
末社への入り口には鳥居がある
鹿島神宮の末社入口
末社への入り口の鳥居をくぐった周辺

末社 熊野社

熊野社(くまののやしろ)。

鹿島神宮の熊野社
熊野社

末社 祝詞社

祝詞社(のりとのやしろ)

鹿島神宮の祝詞社
祝詞社

末社 津東西社

津東西社(つのとうざいのやしろ)

鹿島神宮の津東西社
津東西社

末社 須賀社

須賀社(すかのやしろ)

鹿島神宮の須賀社
須賀社

遥拝所

鹿島神宮の遥拝所
遥拝所

摂社である坂戸神社と沼尾神社の遥拝所です。

この2社は鹿島神宮と特別の関係にあります。

末社 稲荷社

楼門手前右にあります。

稲荷社

楼門

鹿島神宮の楼門
楼門

日本三大楼門の一つに数えられる重要文化財です。

寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。

高さが13メートルあるそうですが、もっと大きく見えます。

ここをくぐると雰囲気が変わります。

鹿島神宮の楼門
二の鳥居をくぐった辺りからの楼門の姿

楼門の扁額「鹿島神宮」は東郷平八郎元師によるものです。

鹿島神宮の楼門
楼門を見上げる。真ん中に扁額。

2017年菊祭り

楼門のところに飾り付けられて、華やかでした。

鹿島神宮の楼門
楼門と菊飾り
鹿島神宮の楼門
菊飾り。楼門の左手側。
鹿島神宮の楼門
菊飾り。楼門の右手側。

茅の輪くぐりと大助人形

疫病退散の祈願がここでも行われていました。

茅の輪
大助人形

摂社・高房社(最初に参拝する場所)

鹿島神宮の高房社
高房社

楼門をくぐって正面にあります。左手が仮殿で、右手が拝殿です。

建葉槌神(タケハヅチ)が御祭神です。

武甕槌大神(タケミカヅチ)の葦原中国平定に最後まで服従しなかった天香香背男(アメノカガセオ)を抑えるのに大きく貢献した神様です。

鹿島神宮では、古くから高房社を参拝してから拝殿を参拝するのが習わしです。

ですので、まずは、ここであいさつをしましょう。

拝殿(2番目に参拝する場所)

鹿島神宮の拝殿
拝殿

楼門をくぐって右奥にあります。正面ではありません。

楼門の正面に位置するのが摂社の高房社です。

まずは高房社を参拝して、右を向いて拝殿を参拝するのが習わしです。

多くの神社では正面玄関に当たる楼門の正面に拝殿があります。

土地の制約があれば仕方がないですが、鹿島神宮は広大な土地を有しています。

あえて楼門の正面に拝殿と本殿を配置していません。

拝殿と本殿は北を向いています。

創建時の役割が東国および北方の制圧だと考えれば納得できます。

北を睨んでいるのです。それも、日本神話最強の武神タケミカヅチが。

御祭神 武甕槌大神を紹介している。

タケミカヅチが睨む北にはオオクニヌシを主祭神とする大洗磯前神社とスクナヒコナを主祭神とする酒列磯前神社があります。

この両社も睨んでいるのでしょう。

参道は東西に走っていますので、西の朝廷からの力を運び入れる役割があるのかもしれません。

レイラインという考えもあるようで、こちらの場合は、太陽の力を神の道に乗せて西へ運ぶという意味かもしれません。

鹿島神宮最大のパワースポットです。

鹿島神宮の拝殿
拝殿の左手

三笠社

真ん中に見えるのが三笠社

拝殿の左奥に三笠社が鎮座していますが、一般には見られません。

三笠社は鹿島神より前からお祀りされている地主神と言われています。

写真でもわかりづらいですが、真ん中に薄っすらと映っているのが三笠社です。

仮殿

鹿島神宮の仮殿
仮殿

楼門をくぐって左奥にあります。拝殿の対面です。

鹿島神宮の仮殿
仮殿

祈祷殿の奥にある末社と祖霊社

拝殿の正面に祈祷殿があります。楼門からだと授与所の先を左に曲がった先です。

末社 御厨社

御厨社(みくりやのやしろ)

鹿島神宮の御厨社
御厨社

祖霊社

鹿島神宮の祖霊社
祖霊社
鹿島神宮の祖霊社
祖霊社の看板
鹿島神宮の祖霊社
祖霊社
鹿島神宮の祖霊社
祖霊社の拝殿
鹿島神宮の祖霊社
祖霊社の横にある社

奥参道

鹿島神宮の奥参道
奥参道

拝殿を過ぎて奥宮へ続く奥参道は空気が一変します。

木の柵で境目がハッキリしています。

楼門をくぐると雰囲気が変わるのですが、奥参道に足を踏み入れるとさらに雰囲気が変わります。

現在は開放されていますが、以前はこの参道は一般開放されていなかったのではないかと感じました。

途中に鹿園があります。

鹿が神の使いというのは、鹿島神宮が最初です。

この地から奈良の春日大社へ鹿が遣わされたそうです。

春日大社は藤原氏の神社です。

春日大社は鹿島神宮と香取神宮から祭神の分霊を遷しました。

これが中臣氏を隆盛に導いた中臣鎌足の出身地が鹿島という根拠になっています。

鹿島神宮の
奥参道

鹿園

鹿島神宮の神鹿
鹿園の鹿たち

奥参道を歩き始めると左手に見えてきます。

売店で鹿の餌が売られ、餌やりができます。

心情的に小さい鹿に餌をやりたくなりますが、同じことを考える人は多いようです。

小さい鹿の方がよく餌をもらっているように見えました。

鹿島神宮では鹿が神使で、神鹿と呼ばれています。20頭ほどが飼われています。

奈良の春日大社創建の折、鹿島神宮の御分霊を神鹿の背に乗せて遷しました。

ですので、春日大社の鹿は鹿島神宮の鹿が祖となります。

ですが、江戸時代末の幕末にはほとんどいなくなってしまいました。

そこで、昭和32年に奈良より春日の神鹿を3頭、東京の神田明神より2頭を移し、鹿園が開園したそうです。

平成25年にも北口本宮冨士浅間神社より5頭を移してきています。

さざれ石

鹿園の側にあります。

鹿島神宮のさざれ石
鹿園近くにあるさざれ石

石灯篭

鹿島神宮の灯篭
石灯籠

多くの灯篭があり、穴がハートの形をしたものもあるそうです。

ぜひ見つけてみてください。

ちなみに自分は見つけられていません…。

神事

2017年 弓道

奉納演武でしょうか?

たまたま訪れた2017年11月12日に催されていました。

鹿島神宮の行事
弓道の神事
鹿島神宮の行事
祈祷を受ける射手
鹿島神宮の弓行事
弓の的
鹿島神宮の弓行事
射る用意
鹿島神宮の弓行事
的を狙う
鹿島神宮の弓行事
2人で的を狙う

末社 熱田社

熱田社(あつたのやしろ)。

鹿島神宮の熱田社
熱田社

奥参道の途中にあります。

祭神は須賀社と同じく素盞鳴尊。

明治以前は七夕社といわれていました。

奥宮

鹿島神宮の奥宮
奥宮

奥宮へたどりつくと、こここそが聖域という趣きです。

そして、この奥宮の先に要石があります。

タケミカヅチの荒魂を祀っていますので、本殿と並ぶパワースポットです。

この奥宮も北を向いています。

鹿島神宮の奥宮
奥宮の正面
鹿島神宮の奥宮
奥宮を斜め左から
鹿島神宮の奥宮説明版
奥宮の案内板

奥宮

祭神

武甕槌大神荒魂

社殿

慶長十年(一六〇五)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが元和五年(一六一九)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が奉建されるに当り現在地に引移して奥宮社殿となった

重要文化財

鹿島神宮の案内板

要石

鹿島神宮の要石
要石は囲われ、聖域化されている

地震を起こす大鯰の頭を押さえつけていると言われています。

お尻を抑えているのが香取神宮の要石です。

江戸時代に水戸藩3代目の徳川光圀が要石がどれだけ深いかを確かめるために七日七晩掘らせました。

ですが、結局底が見えなかったと言われています。

パワースポットであり、鹿島神宮七不思議の一つです。

鹿島神宮の要石
要石の鳥居
鹿島神宮の要石
中央にあるのが要石
鹿島神宮の要石
要石の案内板

要石

神世の昔、香島の大神が座された万葉集にいう石の御座とも

或は古代における大神奉斎の座位として磐座とも伝えられる霊石である。

この石、地を掘るに従って大きさを加えその極まるところしらずという。

水戸黄門仁徳録に七日七夜掘っても掘っても掘り切れずと書かれ地震押さえの伝説と相俟って著名である。

信仰上からは伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。

鹿島神宮の案内板

タケミカヅチの像

鹿島神宮の石像
タケミカヅチの石像

奥宮から要石に行く途中にあるタケミカヅチの石像です。

鹿島神宮の石像
タケミカヅチが大鯰をおさえている

御手洗池(昔は参拝の起点でした)

御手洗池

もともとは御手洗池側が参拝の起点でした。

この御手洗池で参拝前に身を清めたとされます。

大人も子供も池に入ると、水面が胸の高さまでしかこないと言われます。

パワースポットであり、鹿島神宮七不思議の一つでもあります。

鹿島神宮の御手洗池
御手洗池の全体像
鹿島神宮の御手洗池
御手洗池の案内板
鹿島神宮の御手洗池
御手洗池に伸びる樹木

鹿島神宮の七不思議

鹿島神宮には七不思議があります。

境内の案内板。鹿島七不思議も書かれている。
  1. 「波の音」…前述
  2. 「要石」…前述
  3. 「御手洗池」…前述
  4. 「末無川」…神宮境外にあり、川の流れが途中で地下に潜るため最後がわからない川とされます。
  5. 「御藤の花」…藤原鎌足が植えたとされます。花の数で、作物の豊凶を占ったそうですが、今はありません。
  6. 「根上がり松」…境内の松の木は伐っても切り株から芽が生えて、枯れることがないと言われます。
  7. 「松の箸」…境内の松で作られた箸はヤニが出ないとされますが、現在は箸が作られていません。

末社(大黒社)

鹿島神宮の大黒社
大黒社
鹿島神宮の大黒社
大黒社

鹿島神宮園地御手洗公園(もともとの入り口)

鎌倉時代以前は、香取海の水位が高く、この辺りまで入江が入り込んでいました。

そして、御手洗池があるこの場所が参拝の起点となっていたと伝わっています。

現在とは入り口が違うということです。

鹿島神宮園地御手洗公園
倒壊した鳥居の跡

注連縄の張られている二か所は、鳥居がありました。

東日本大震災の際に倒壊しました。

鹿島神宮園地御手洗公園
御手洗公園の風景
鹿島神宮園地御手洗公園
御手洗公園の風景。道の先に見えるのが御手洗池

鳥居は2020年8月10日に再建されました。

再建された御手洗池側の鳥居 裏の鳥居に当たる

様式は鹿島鳥居です。

円形の柱の上に円形の笠木が載り、貫(二番目の横木)だけ貫端が柱の外へ突出しています。

元側が正面向かって左側/末側を右側に据えられる様式です。

特別なお守り「東国三社守」

東国三社とは、鹿島神宮、香取神宮息栖神社の総称です。

三社の鎮座位置は、直角二等辺三角形を描くことが知られています。

三社を巡ると伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされ、「東国三社巡り」といわれます。

回る順番ですが、鹿島神宮と息栖神社が近いので、この2社を一緒に巡り、香取神宮を別にするのがおススメです。

おススメは息栖神社→鹿島神宮→香取神宮の順番です。

三社を巡った証としてのお守り「東国三社守」があります。

三面になっています。紋章部分がシールになっていて、各神社で購入できます。

写真は鹿島神宮の面です。鹿島神宮の神紋は三つ巴です。

東国三社守の鹿島神宮面
東国三社守り。鹿島神宮の面。

他にもいろいろなお守りがあります。

鹿島神宮の社務所
お守りの数々

鹿島神宮の概要

国指定の史跡

境内が国指定の史跡となっています。周辺を含めて広域での史跡となっています。

鹿島神宮境内 附 郡家跡
指定対象は次の4か所。
・鹿島神宮境内
・摂社坂戸神社境内
・摂社沼尾神社境内
・鹿島郡家跡

概要
項目 内容
創建 初代神武天皇元年
主祭神 武甕槌大神
社格等 古代社格制度 式内社名神大
中世社格制度 常陸国一之宮
近代社格制度

旧官幣大社、勅祭社

現代の制度 別表神社
その他
備考

本殿の様式 三間社流造
札所等 東国三社

神紋 三つ巴

摂社・末社

摂社

  • 奥宮
  • 高房神社
  • 三笠神社
  • 跡宮 鹿嶋市神野4丁目1-12
  • 坂戸神社 鹿嶋市山之上227-4 付近
  • 沼尾神社 鹿嶋市小山1121-31 先 直進
  • 息栖神社 神栖市息栖2882

末社(境内社)

  • 須賀社
  • 津東西社
  • 祝詞社掲
  • 熊野社
  • 稲荷社
  • 熱田社
  • 御厨社
  • 大黒社

末社(境外社)

  • 年社 鹿嶋市宮下5丁目20 付近
  • 潮社 鹿嶋市宮中2049-15 付近
  • 阿津社 鹿嶋市鉢形1522-3 付近
  • 国主社 鹿嶋市宮中8丁目9-14 付近
  • 海辺社 鹿嶋市城山4丁目2-24 付近
  • 押手社 鹿嶋市城山2丁目5-20 付近
  • 鷲宮 鹿嶋市神野1丁目8-8

所管社

  • 祖霊社

文化財

重要文化財概要
指定 内容
国指定 国宝

直刀・黒漆平文大刀拵(附 刀唐櫃)
(工芸品)通称「韴霊剣」。

重要文化財 本殿、石の間、拝殿、幣殿 4棟(附 棟札2枚)(建造物)
摂社奥宮本殿(附 棟札1枚)(建造物)
楼門(建造物)
仮殿(建造物)
梅竹蒔絵鞍(附 四手蒔絵居木一双)(工芸品)
選択無形民俗文化財
(国選択)
鹿島の祭頭祭
県指定 有形文化財 木造狛犬 2躯(彫刻)
木造狛犬 2躯(彫刻)
黒漆螺鈿蒔絵台 1基(工芸品)
銅印 1顆(工芸品)
陶製狛犬 3躯(工芸品)
石造燈籠 1基(工芸品)
鐃 1口(工芸品)
軍配 1口(工芸品)
太刀 銘景安 1口(工芸品)
草花双鳥円鏡 1面(工芸品)
十一面観音御正体 1面(工芸品)
鹿島神宮文書 18巻(古文書)
市指定 有形文化財 楼門回廊 2棟(建造物)
有形民俗文化財
国指定
県指定鹿島神宮樹叢
市指定

鹿島神宮のホームページ

鹿島神宮 | 常陸国一之宮
鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。

住所と地図

所在地:〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中2306−1
電話:0299-82-1209

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