記事内に広告が含まれています。

井上靖「おろしや国酔夢譚」の感想とあらすじは?(映画の原作です)

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

覚書/感想/コメント

「序章」で大黒屋光太夫ら伊勢漂民以外のロシアに漂着した漂民を簡単に書いています。

それらの漂民は日本に帰ることはかないませんでした。ですが、この小説の主人公大黒屋光太夫は日本に帰ることを得たのです。

帰ることを得たのですが、その漂民の人世は壮絶なものがあります。

大黒屋光太夫がロシアの地を踏んだ時期、女帝エカチェリーナ二世の治世で、ロシアは南方政策をとっていました。

そのため、オスマン・トルコとの争いが絶えませんでした。世界史では既に近代にさしかかっている時期です。

一方の日本はまだ幕末までに時間があります。これが、本当に同時代なのかと思いたくなるほどの、感覚的な開きがある時期の出来事です。

その時期をロシアで過ごした大黒屋光太夫にとって、日本は逆に居心地の悪いものとしてうつったに違いありません。

ロシアで見てきたものを語っても、当時の日本では誰も信じないでしょう。そのあたりにも、漂民の不幸が出ています。

この時期のことは「江戸時代(幕藩体制の動揺)はどんな時代?」にまとめています。

内容/あらすじ/ネタバレ

天明八年、松平定信が老中筆頭となった翌年のこと。レセップスは大黒屋光太夫と出会った。

遡ること、天明二年。神昌丸は江戸の商店に積み送る品々を載せ、伊勢の白子の浦を出帆した。駿河沖に至ってしけが襲い、梶をへし折られ、船は漂流することになる。乗っていたのは船頭と、十六人の船乗り達であった。

船ははるか北に流され、アレウト列島の中で一番大きなアムチトカ島にたどり着いた。八ヶ月の漂流の末の出来事だった。漂流中になくなったのは、幾八だけであったのは奇跡的だった。

しかし、この島がどのあたりに位置するのかは皆目見当がつかなかった。

島に上陸してみると、見慣れない顔立ちをした人々がおり、さらには、その人々とも異なる顔立ちの人間がいた。

それらの人々はロシア人であった。この島でロシア人達は猟虎や海豹の皮を買い占めるために住んでいるのだった。言葉の通じない光太夫達には分かろうはずもない。

その矢先、船がまっぷたつに割れてしまうという出来事が起きた。これで、光太夫達の帰る道が途絶えてしまった。

否が応でもこの島での生活を始めなければならなかった。だが、島に着いてから、三五郎、次郎兵衛、安五郎、作二郎、清七、長次郎、藤助が次々と亡くなった。

島の生活は厳しい冬との戦いであった。光太夫達は生活のためにも、ロシア人達と交流を持たざるを得なかった。そして、そのためには言葉を知る必要があった。

そして言葉を覚えるに連れ分かったのは、自分たちがいるのははるか北の海域にある島であるということだった。

島での生活が始まって幾年か経った。

光太夫達はロシア人達と協力して船を造る必要に迫られた。そして船でカムチャッカに渡ることとなった。そうしている間に、与惣松、勘太郎、藤蔵が亡くなった。

カムチャッカから再び海を渡り、オホーツクに渡る。光太夫達の日本帰還はロシア政府の助力を仰がねば出来ないことだったので、そうしたのだが、オホーツクについても、帰還の目処は立たなかった。

そして、光太夫達は西へと度々移動させられることとなった。日本からはだんだんと遠ざかる。

だが、イルクーツクで、ラックスマンと出会ったから光太夫達の運命は徐々にかわり始める。ラックスマンは光太夫達に親身になり、その帰国実現のために骨を折ってくれたのだ。

だが、そうはいってもなかなかすぐには結果が出ない。ラックスマンは光太夫をともなって、都ペテルブルグに向かうことになった。

そして、光太夫は時の女帝エカチェリーナ二世に謁見することとなる。この時、女帝は治世三十年、六十二才になっていた。

本書について

井上靖
おろしや国酔夢譚
文春文庫 約三七〇頁
長編 江戸末期

目次

序章
一章
二章
三章
四章
五章
六章
七章
八章

登場人物

大黒屋光太夫
磯吉
庄蔵
新蔵
小市
九右衛門
清七
藤蔵
与惣松
勘太郎
安五郎
作二郎
長次郎
藤助
三五郎
次郎兵衛
幾八
キリル・ラックスマン
レセップス

映画の原作になった小説

藤沢周平「たそがれ清兵衛」の感想とあらすじは?
短編八作。全てが、剣士としては一流なのだが、一癖も二癖もある人物が主人公となっている。2002年の映画「たそがれ清兵衛」(第76回アカデミー賞外国語作品賞ノミネート。)の原作のひとつ。
藤沢周平「時雨みち」の感想とあらすじは?
「帰還せず」と「滴る汗」は藤沢周平には珍しい公儀隠密もの。印象に残る作品は「山桜」と「亭主の仲間」。「山桜」が2008年に映画化されました。
司馬遼太郎の「梟の城」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
司馬遼太郎氏が第42回直木三十五賞を受賞した作品です。舞台となるのは、秀吉の晩年。伊賀忍者の葛籠重蔵、風間五平、木さる。そして謎の女・小萩。それぞれの思惑が入り乱れる忍びを主人公とした小説です。
藤沢周平「雪明かり」の感想とあらすじは?
直木賞受賞前後の短編集。大雑把には前半が市井もので、後半が武家ものだが、中間のものは市井もの武家もの半々である。藤沢周平としては前期の作品群になる。
浅田次郎「輪違屋糸里」の感想とあらすじは?
新撰組もの。舞台は江戸時代末期。「壬生義士伝」が男の目線から見た新撰組なら、この「輪違屋糸里」は女の目線から見た新撰組です。しかも、時期が限定されています。まだ壬生浪士組と呼ばれていた時期から、芹沢鴨が暗殺されるまでの時期が舞台となっている...
藤沢周平「蝉しぐれ」の感想とあらすじは?
藤沢周平の長編時代小説です。時代小説のなかでも筆頭にあげられる名著の一冊です。幼い日の淡い恋心を題材にしつつ、藩の権力闘争に翻弄される主人公の物語が一つの骨格にあります。
井上靖の「敦煌」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)

敦煌が脚光を浴びるのは、20世紀になってからである。特に注目を浴びたのは、敦煌の石窟から発見された仏典である。全部で4万点。

山本一力「あかね空」のあらすじと感想は?
第126回直木賞受賞作品です。永吉から見れば親子二代の、おふみから見ればおふみの父母をいれて親子三代の話です。本書あかね空ではおふみを中心に物語が進みますので、親子三代の物語と考えた方がよいでしょう。
池波正太郎「鬼平犯科帳 第2巻」の感想とあらすじは?

本書、第二話「谷中・いろは茶屋」で同心の中でも憎めない登場人物の木村忠吾が初登場する。本書では二話で主要な役割を果たす。また、小房の粂八と相模の彦十は密偵として板に付き始めてきているようである。

藤沢周平「竹光始末」の感想とあらすじは?
短編6作。武家ものと市井ものが織混ざった作品集である。「竹光始末」「恐妻の剣」「乱心」「遠方より来る」が武家もの、「石を抱く」「冬の終りに」が市井ものとなる。また、「竹光始末」「遠方より来る」が海坂藩を舞台にしている。
藤沢周平の「花のあと」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
「旅の誘い」は「暗殺の年輪」に収録されている「冥い海」とあわせて読むと面白い。「冥い海」は葛飾北斎から見た広重が描かれており、「旅の誘い」では安藤広重から見た葛飾北斎が書かれている。
浅田次郎の「憑神」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
幕末も幕末。大政奉還が行われた前後を舞台にしている。主人公別所彦四郎の昔らからの知り合いとして榎本釜次郎が登場する。この榎本釜次郎とは榎本武揚のことである。
藤沢周平「時雨のあと」の感想とあらすじは?
「闇の顔」の犯人は一体誰なのか。最後までわからず、そして、その犯人が意外な人物であることに思わず唸ってしまう作品。「鱗雲」では、二人の女性の対照的な結末が印象的な作品である。
海音寺潮五郎「天と地と」の感想とあらすじは?
本書は上杉謙信の側から見事に描ききった小説であると思う。本書では、上杉謙信が亡くなるまでを描いているのではない。しかし、重要な局面で印象的に小説は終了している。
山本兼一の「火天の城」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)

第十一回松本清張賞。織田信長の最後の居城・安土城をつくった職人たちの物語。天主を担当した岡部又右衛門以言、岡部又兵衛以俊の親子を主人公としている。安土城は謎に包まれている城である。

夢枕獏「陰陽師」第1巻」の感想とあらすじは?
ドロドロしたオカルトチックな印象はないが、不可思議な世界感の作品である。それに、闇が舞台になっていることが多いわりには、ホラーっぽくない。静かで優雅な感じすらする。
京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)(面白い!)

第二十五回泉鏡花文学賞受賞作品。伝奇や幻想話というのは好きであるが、怪談やホラーというのは苦手である。だから積極的に読む気がしない。映画などに至っては見る気すらない。

宇江佐真理の「雷桜」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
江戸という都会から少しだけ離れた山里。その山里にある不思議な山という特殊な空間が、現実を忘れさせてくれる舞台となっている。そして、そこで出会うお遊と斉道というのは、まるでシンデレラ・ストーリー。
池波正太郎「鬼平犯科帳第22巻 特別長編 迷路」の感想とあらすじは?

個人的に、鬼平シリーズの中で、本書が最も長谷川平蔵が格好良く書かれている作品だと思う。特に最後の場面は、思わず"目頭が熱く"なってしまった。

藤沢周平「闇の歯車」の感想とあらすじは?
職人のような作品を作る事が多い藤沢周平としては、意外に派手な印象がある。だから、一度読んでしまうと、はっきりと粗筋が頭に残ってしまう。そういう意味では映像化しやすい内容だとも言える。