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海音寺潮五郎の「江戸城大奥列伝」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

三代将軍家光から六代将軍家宣までの時代の江戸城
の大奥を扱った史伝。大奥はその時々により表へのさばり、または内部で権力闘争を繰り広げたりする。それを延々と繰り返すので、読んでいる内にだんだんとウンザリしてしまった。

大奥の研究に関しては長いこと停滞していた時代があり、研究自体が進み始めたのは意外なことに平成に入ってからだという。つまり、平成以後に判明した事実があるわけであり、本書が書かれた時よりも資料が豊富にあるのが現在である。

おそらくは、この史伝と現在の歴史学との間には大きな隔たりがあるはずで、そういう意味では、この史伝は過去におけるイメージがこんなものであったということを知るのにはいいのかもしれない。

できうるなら、現在の歴史学の本を読んで、イメージの修正等を行った方が良さそうだ。

さて、本書は「これから伏魔殿を覗いてみましょうか…」といった趣の紹介から始まる。

江戸幕府において権力があったのは老中らであったが、その老中よりも権勢を得たことがあったのが御側御用人(貞享・元禄の柳沢保明、明和・安永の田沼意次、文政・天保の水野忠成などがそうである。)であり、この御側御用人が心中畏怖したのが大奥の女中たちである。

大奥の中でも、御台所は幕府の成立時から政治に介入する事はなかった。問題なのは御台所以外の女性であった。将軍の寵愛をあつめるようになった中臈が権勢欲をもつようになったりして、寝物語にこと寄せて将軍に耳打ちする。

この大奥の女中たちの政治介入に表の老中たちは頭を痛めていたというスタンスで本書は語られる。

大奥の最盛期は五代将軍綱吉の時であり、この時代を随分書いている。

綱吉といえば、生類憐れみの令が有名で、海音寺潮五郎氏は『一体、動物愛護ということは決して悪いことではない。ただこれを法律化して、権力を以て強攻する所に害悪のもとがある。

法律には強制力はあるが、自制力がない。ひたすらに強制するのが法律の本性である以上に、これを励行することが功績となるという役人共の利得心が手伝うと、その害悪は測るべからざるもとのなる。』とバッサリと斬り捨てている。

現在の歴史学では生類憐れみの令に関して別の見方をするようになっているようなので、対比してみるのもいいだろう。

海音寺氏の見解というのは従来からの見方であるということであり、視点の違いというだけの話であり、間違っているということではない。
現在の歴史学の見解というのも、数十年後にはどう判断されているかは見当がつかない。

ものの見方は時代とともに変化するものである。

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内容/あらすじ/ネタバレ

三代将軍家光の時代に権勢をふるったのは春日の局であった。

父は明智光秀に仕えた斎藤内蔵助利三である。名はお福。稲葉佐渡守正成の後妻となった。ここから竹千代といっていた家光の乳人となるのだ。竹千代を正式な跡継ぎにするするために家康にまで掛け合ったという話は有名である。

このお福が大奥内の規律の大半を制定した。

大徳寺と妙心寺の僧侶の紫衣出世に絡んで、後水尾天皇の綸旨が反故紙と化した問題で、お福が幕府から派遣された。この時に春日の局の名を賜ったのである。

家光に絡んで三人の女がいる、比丘尼から還俗したお万の方、死罪人の子とされるお楽の方、浪人の娘・お振の方である。このうち、お楽の方が四代将軍家綱を生む。

春日の局は大奥全体を掌握して、また将軍家光をよく支えた。市井の情報も春日の局を通じて家光に伝えられていたようでもある。

権勢を極めても、戦国乱世に成長し、辛酸をなめてきた事もあり、奢りがましい風ではなく、きわめて質素だったという。

春日の局が亡くなると大奥の勢いは、家綱を生んだお楽の方ではなく、お万の方に移った。

お万の方の台頭につれ、大奥の風俗習慣は京都御所風に大旋回する。おりもおり、幕府は礼儀作法が必要な時代へと突入しつつあった。

そして、お万の方は大奥取締として着々と権勢をふるうようになる。だが、表の政治局に対する暗躍は息の根を止められてしまう。

四代家綱が十一才という年齢で将軍の跡目を継ぐと、大奥総取締には家綱の乳人・矢島の局が仰せつけられる。

将軍の威光をかさにきた矢島の局に専横の振る舞いが目立ってくると、老中一同は釘を刺そうとするが失敗してしまう。結局、家綱は十五才まで大奥を住まいとする。

この間、家綱慰みのために役者や芸人を呼び寄せ、自由に出入りするようになると、風紀は極端に乱れる。

やがて家綱が十五になり、表に住居を定め、矢島の局から家綱を取り上げてしまうと、矢島の局の権勢は日に日に凋落していった。

家綱の御台所に飛鳥井、姉小路という上臈がいた。二人はしのぎを削りあう仲となった。

この二人と、下馬将軍と呼ばれた大老酒井忠清が組んで、とんでもない騒ぎを引き起こす。

五大将軍綱吉の時代は大奥の栄えた時代である。実母・桂昌院、お伝の方、右衛門佐(常磐井)、北の丸殿(大典侍の局)というのが代表である。

実母・桂昌院は八百屋の娘であったそうだ。綱吉は賢い人であったが、桂昌院のいう事には絶対服従をしたため、大奥が空前の栄えを見せ、悪政の原因ともなった。桂昌院は深く護国寺亮賢に力を入れていた。それは昔からの因縁話があるからである。

お伝の方の実父は身持ちの悪い男だった。だが、閨閥に連なるため、勢い人が集まってきた。

六代将軍の跡目は綱吉に実子がなければ、綱豊が相続するのが順番であったが、綱吉は綱豊をすんなりと養子には迎えなかった。綱豊を援護したのは徳川光圀だった。

江戸城内には狐狸が出現していた。それを追い出すために犬を飼い、やがてそれを見た護持院隆光が、犬を大切にせよといいだした。だが、隆光の修法の効がないとなると、さらなるごまかしの手を案出せざるを得なくなり、殺生禁止をといいだした。

六代将軍家宣は綱豊といっていた時代、甲府家をつぐのにも順調にいかなかったが、将軍世子となるにも困難があった。

綱吉が綱豊を世子にしたがらなかったのだ。おそらく綱吉は綱重がきらいであり、それ故にその子の綱豊も嫌っていたのではないか。

綱豊が世子となったのは、四十四歳の時であり、この時に家宣と名を改めた。

家宣を支えたのは新井君美(白石)であった。

本書について

海音寺潮五郎
江戸城大奥列伝
講談社文庫 約二七五頁
江戸時代

目次

御側御用人と大奥
春日の局の威力
 乳人志願
 伸びる干渉
 硬骨漢・青山忠俊の失脚
 家光と三人のおんな
 隠密の局
 大手門の立ち往生
 臨済宗の盛行
 春日の局の日常
お万の方旋風
 行儀作法躾方
 智恵伊豆の機転
 剃髪常光院の運命
矢島の局の明暗
 形見の三百石
 丹頂の鶴騒動
 しめだされた矢島の局
 大奥の腕くらべ
 下馬将軍失脚
桂昌院の栄達
 綱吉をとりまく女たち
 転がり込んだ運
 女将軍まかり通る
お伝の方と右衛門佐の局
 閨閥につながる人々
 堀田大老刺殺の謎
 光圀の主張
 牧野成貞の献妻
 右衛門佐の局の下向
桂昌院の信仰
 子孫繁栄の祈願
 普請をめぐる事件
悪法の背景
 狐狸変じて犬となる
 訴訟を解決した犬の話
 のさばる野獣たち
北の丸殿の登場
 女で出世した柳沢
 隆光の密法
 悪法の恩恵
御台所の博識
 捨て児から世に出る
 家宣の初政
 学問がとりもつ夫婦仲
 贈収賄の禁止
左京の方の提言
 いなされた御老中
 役に立たぬ学問
 太閤株上昇
 張紙相場のからくり
堂上家の隆盛
 当世風出世のかたち
 京の仇を江戸で討つ
 虎鞘の張替え
絵島のとりなし
 絵島と交竹院の危険な関係
 貨幣改悪の陰謀
内政と外交に関する白書
 出る杭は打たれる
 「国王」の是非論
 御目附師匠番
 大岡忠相抜擢される
大奥を巻き込む訴訟
 もつれた学問科
 味のある幕切れ
大奥女中の影響力
 御用商人はびこる
 敵討ち見当はずれ