海音寺潮五郎の「悪人列伝2 中世篇」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

「藤原兼家」の生きていた頃の政治には見るべきものがない。あるのは権力闘争だけである。そのための深刻な陰謀はめずらしいことではない。だが、兼家は天皇をだまして出家させているのだ。これが悪人たるゆえんだと海音寺潮五郎は評している。

「梶原景時」は当時の武士としてはインテリ肌であり、頭脳が優秀だったようだ。そして、神経質で、陰湿で、意地悪い性質であったのではないか。そう海音寺潮五郎は想像している。

「北条政子」は常に善意を持って婚家のためによかれと努力し続けた人である。だが、あまりにも勝ち気で賢かったため、夫をその独占欲で苦しめ、子供らには圧迫者となり、ついには婚家を滅ぼすに至った。

今日でもこうしたことはある話である。悪人ではなかったのだ。善意が善となるためには叡智がともなわなくてはならないことを教えてくれる人生である。気の毒がってやるべき女だと評している。

「北条高時」が悪名を流しているのは、後醍醐天皇の敵である幕府の主宰者であるからである。北条氏の政治の要諦は倹素だった。歴代の執権は倹薄な生活をしている。それゆえに権力を持つことが出来た。そして、その政治は常に御家人層の幸福と利便をはかる善政であり得た。

だからと海音寺潮五郎はいう。北条氏を滅ぼしたのは時勢である。闘犬が好きだったり、田楽が好きだったり程度の暗愚では滅びはしない。

後嵯峨天皇の遺言が絡んで、皇統が二つに分かれる。後深草・伏見の両上皇が持明院で政をとったのでこの系統を持明院統といい、亀山系統は後宇多が大覚寺にいたことから大覚寺統といった。持明院統が後の北朝となり、大覚寺統が後の南朝となる。

「高師直」の生きていた時代は、海音寺潮五郎にとって我欲旺盛の濁りかえった世の中にみえたようだ。こうした世では、師直のような地位にあれば十中八、九は彼のようになっていたのではないかという。時勢だったのだろうか。

「足利義満」を驕児と評する。驕児には善・悪の観念はない。無道徳である。だからこそ、欲するままに行うのである。

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内容/あらすじ/ネタバレ

藤原兼家

平安時代に栄えたのは藤原氏の中でも北家であり、北家の中でも良房の系統が最も栄えた。良房が栄えたのは彼が清和天皇の外祖父だったからである。外戚が権勢をふるうようになるのはこの頃からである。この項の主人公、藤原兼家は後に藤原家の全盛を誇ることになる藤原道長の父である。

彼の伯父・実頼が摂政になり短期間で亡くなる。次いで兄・伊伊が摂政になったが、これも短期で亡くなる。残るはすぐ上の兄・兼通だけである。この兼通は官位の昇進がいつも兼家におとっていた。だが、うまくこと運び兼通が摂政となることを得た。

すると、今度は極力兼家を冷遇するようになる。この結果、兼家は運勢がどん底になる。だが、やがて運気が向いてくるようになる。

梶原景時

梶原氏は平将門のいとこ(「将門記」では叔父)の平良正の末となっている。もしくは同じく叔父の良文という説もある。いずれにせよ坂東平氏である。

梶原景時の先祖として有名なのは後三年の役で活躍した鎌倉ノ権五郎景政である。景政は江戸歌舞伎の人気者で、歌舞伎十八番の「暫」の主人公である。

景時が歴史に名を表すのは、頼朝の石橋山合戦の時からである。この時、彼は平氏側だったが、味方を裏切って頼朝を助けている。やがて、頼朝に降伏し仕えることになる。頼朝の信任ぶりはずいぶん厚かったようである。

景時は義経と仲が悪かったようだ。そのため、後世長く不評判となる。また、梶原一族は当時余程に嫌われてもいたようだ。盛衰記や吾妻鏡でも悪意をもって記述している。それにも関わらず頼朝の信任ぶりは変わらなかったようだ。

北条政子

伊豆の北条氏は桓武平氏である。頼朝が伊豆に流されるに及び、伊東祐親とともに監視役を命ぜられたのが北条時政である。この娘が政子で
ある。頼朝が祐親の娘と恋愛関係になったが、これが元で難を被ることになる。その後、政子との恋愛が始まる。

時政にとってはあまり都合の良い話ではない。政子と頼朝を引き離そうとするが、失敗に終る。そして、頼朝の挙兵となる。結果的に挙兵は成功し頼朝は鎌倉に幕府を開くに至る。

頼朝は女にまめであったようだ。このために政子が油断も隙もなくなり嫉妬深くなったのか、それとも逆に嫉妬深いから頼朝が箸豆になったのかはわからないが、いずれにせよ政子は嫉妬深かったようだ。

やがて、頼朝が死ぬと、髪をおろして尼となる。後には長男・頼家が十八で嗣いだが、不肖の子のため政治を見ることを止めさせてしまった。

北条高時

鎌倉幕府は約一世紀半続いたが、半ばを過ぎる頃から御家人の貧困化が始まり、土台を揺るがし始める。海外貿易からもたらされる財貨などの嗜好品が広まり始める。

すると、生活は贅沢になり、このため所領地を売ったりして所領を持たない御家人が出てくるようになる。追い打ちをかけるように元寇があり、御家人の出費はますますひどくなる。こうして時分に北条高時は登場する。

高時は十四の若さで執権となった。北条の嫡流に生まれたからのことである。その高時は闘犬と田楽にうつつをぬかす生活ぶりである。

これを直撃したのが後醍醐天皇の倒幕である。

高師直

公家に高階氏というのがある。天武天皇の末裔であるが、下野に土着していつしか高氏と称するようになる。この家に、八幡太郎義家の子義国の子惟頼を養子にする。義国の子からそれぞれ新田氏、足利氏がおきているから、兄弟の家筋になる。

高師直、師泰兄弟その他一族とともに足利尊氏挙兵当初から働いた。戦では師直よりも師泰の方が働きが目立つ。そして、南北朝対立時代になる。師直が最も師直らしさを発揮するのはこの時代になってからである。

師直の悪事として伝えられるものの中で最も有名なのは好色である。そして、弟の師泰も相当な悪行を重ねている。やがて、この兄弟と足利尊氏の弟・直義との間が不和になる。

直義は太平記で語られるように謹直な人柄であった。性質からしてそりが合わない。そして、政務を一手に引き受けていた直義と対立を深めることになる。

足利義満

足利義満が家を嗣いだのは十の時である。その義満を補佐したのは管領の細川頼之であった。だが、この頃まだ将軍権は強くない。やがて他の者により頼之は排斥されてしまう。

義満が将軍としてやった事業の中で最も大きく、意議のあるものは南北朝を統一させたことである。これ以後、義満の権威と勢力が増大するようになる。尊氏や義詮の時代とは比較にならないほどになる。

本書について


海音寺潮五郎
悪人列伝(二)
文春文庫 約二六〇頁
平安時代室町時代

目次

藤原兼家
梶原景時
北条政子
北条高時
高師直
足利義満

登場人物

藤原兼家
 藤原兼家

梶原景時
 梶原景時

北条政子
 北条政子

北条高時
 北条高時

高師直
 高師直

足利義満
 足利義満

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