京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)(面白い!)

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第二十五回泉鏡花文学賞受賞作品です。

伝奇や幻想話というのは好きですが、怪談やホラーというのは苦手です。

ですから積極的に読む気がしません。

映画などに至っては見る気すら有りません。

単純に怖いからというのもありますし、読んで気分のいい思いをしないからというのもあります。

何を好きこのんで怖い思いをしたりしなければならないのか、という思いがあるのです。。

ですが、その怪談やホラー嫌いの私でも、本書はスゴイと思いました。

怪談やホラーの概念が少し変わったのは確かです。

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覚書/感想/コメント

本書は四世鶴屋南北の「東海道四谷怪談」などで有名な正統派の怪談を題材としています。

従来は、伊右衛門という男は酷く書かれていました。

岩に暴力などをふるうのは当たり前で、岩はひたすらに我慢をするというものだったようです。

だからこそ、岩に同情が集まり、ひいては岩の怨念が怖く見えるのです。

そういう岩と伊右衛門の姿から考えると、本書の岩と伊右衛門の描かれ方は違うようです。

本書で描かれる岩は、生来気性が激しく、理に適わぬこと道に外れることを心底嫌う質です。

意に染まらぬ状況には烈火の如く怒る質でもあります。

化粧や櫛入れなどをしません。己を飾ることに興味がないのです。

ですから、疱瘡を患って二目と見られない姿になっても、それまで以上に毅然とした態度で臨みました。

このように、岩は凛として強い女性として描かれているのです。

ですが、世間は醜くなった岩をみて嗤うのです。

又市は言います。

二目と見られない姿になっても飾ることをしないで毅然として生きる岩を世間は怖い。

自分が岩と同じ目にあったら、とても岩と同じように毅然としてはしていられない。

だから嗤うしかないのだ、と。

つまり、岩の生き方は正しい。ですが、間違っていると、又市は言うのです。

世間は正しいことばかりを受け入れてはくれません。

間違っていても世間に迎合することをしなければ窮屈になってしまいます。

同じことは伊右衛門にもいえます。

似たもの同士なのです。

この二人に対して、悪意に歪んで生きている伊東喜兵衛という与力が登場します。

この伊東というのは、世間の悪意を代表させているのかもしれません。

同じく、世間の弱さや卑屈さを代表させているのが、梅なのかもしれません。

ですが、この悪意や弱さや卑屈さに対して、毅然と生きる岩の姿、そして伊右衛門の姿は美しいのです。

映画は2003年に映画「嗤う伊右衛門」として公開されました。

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内容/あらすじ/ネタバレ

伊右衛門は蚊帳越しの景色が好きでない。

いかにも霞んでいて不快を覚える。

蚊帳を吊り終えた伊右衛門を訪ねてきた者がいる。直助だ。

直助は深川の町医者の許で住み込みで働く下男である。

人嫌いの伊右衛門と言葉を交わす数少ない知辺のうちのひとりだ。

直助には伊右衛門と同じ長屋のはす向かいに住むお袖という妹がいる。

お袖は加減が悪いのだという。

梅の咲く頃、伊右衛門は直助に請われて用心棒の真似事をしたことがある。

此度もその時のような相談だというのか。

だが、直助が聞いてきたのは、人を殺すにはどこを刺せばいいのということだった。

人を殺すなどとは物騒な。

理由を聞いても答えない。

御行の又市と足力按摩の宅悦は棺桶を担いでいた。

又市は小股潜りの二つ名をもって呼ばれる男だ。

人の僅かな隙をつかまえ、虚言をもって丸め込むのを得意とする。

この又市が銭にもならない棺桶を担いでいるのだ。

得心がいかない宅悦はその点を又市に問いただした。

だが、答えがない。

宅悦が別の話をし始めた。

春先に御先手御鉄砲組与力の伊東木兵衛に抗議談判したとき以来四谷の方にいっているのだという。

この談判の時に宅悦や又市らを助けたのが民谷又左衛門という老同心だった。

この民谷にお岩という娘がいる。

年頃を過ぎても縁談をことごとく断ってしまう。

これが疱瘡を患って二目と見られない姿になってしまったという。

岩は怒っていた。

父が岩の許に来る婿などいないと岩自身がそう思っているということを知ってだ。

その岩を訊ねてきた者がいる。

そして、噂に違わぬ別嬪だという。

岩は激昂してその者に怒鳴った。

だが、男はいくら崩れていようと土台が良いのは隠せない。

それに、性根が清廉だともいった。それを綺麗だといったのだ。

宅悦は目が見えないが直助の妹・お袖が首をつった姿は観えていた。

そして、お袖の葬儀の時以来、直助の姿が消えた。

又市が宅悦の所にやってきて、伊右衛門の人柄を聞いてきた。

又市は伊右衛門を民谷岩の婿に周旋するつもりなのだ。

民谷又左衛門は本当に岩に婿が来てくれるのかと疑っていた。

もし来てくれるにしてもそれは相手を騙すことになりはしないか。

この期におよんで逡巡したが、やり通すしかなかった。

又市が連れてきた堺野伊右衛門という浪人は愛想はないが信用は出来るという。

そして、岩が断るのでなければ婿になるという。

伊右衛門が民谷の家に入って二ヶ月。

岩の顔を見ずに婿に入ったがそれを不思議とは思わなかった。

そして、婚礼が済んで二日後、民谷又左衛門が死んだ。

その前に与力の伊東喜兵衛には用心しろと言い残して…。

伊東喜兵衛は苛立っていた。

囲い女に児が出来たからだ。

子堕ろしをしろというが、母体の命の保証がないという。

女・梅を失うのは嫌だった。

それに、民谷の婿になった伊右衛門という男。気に入らなかった。

なぜ岩は婿を取ったのか。

梅は本気で幾度となく死のうと考えた。

今の暮らしは地獄というほかに喩えようがない。

喜兵衛の子を宿したまま生き続けるなど、ましてその子を産むなど、身の毛がよだつ思いである。

その梅が伊右衛門を初めて見たのは、喜兵衛が伊右衛門を呼んだからである。

喜兵衛は伊右衛門と岩の仲が悪いという評判を聞きつけ、伊右衛門に問いただしていた。

喜兵衛が何を考えているのか。

そして、今度は岩を呼びつけ、その話の中で伊右衛門と離縁することが決まった。

だが、岩の方が家を出て行くという。

伊右衛門が直助と久しぶりにあったのは、夜釣りに出ている時のことだった。

直助は人を殺めてきたという。殺したのは直助の主・西田尾扇だという。

事情はともあれ主殺しである。

だが、伊右衛門は直助を匿うことにした。

直助にしてもその方が良かった。

というのは、直助にはし残したことがあったからだ。

岩は心安らかであった。

己の選択は間違っていなかったと思っている。

伊右衛門が幸せならそれでいい。

だが、又市という男がやってきて、話を聞く内に…。

本書について

京極夏彦
嗤う伊右衛門
角川文庫 約三六〇頁
江戸時代

目次

木匠の伊右衛門
小股潜りの又市
民谷岩
灸閻魔の宅悦
民谷又左衛門
民谷伊右衛門
伊東喜兵衛
民谷梅
直助権兵衛
提灯於岩
御行の又市
嗤う伊右衛門

登場人物

民谷(堺野)伊右衛門
民谷岩
民谷又左衛門
直助
お袖…直助の妹
又市…御行
宅悦…足力按摩
伊東喜兵衛…御先手御鉄砲組与力

秋山長右衛門…同心
堰口官蔵…同心
西田尾扇…町医者
佐藤余茂七

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