ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」(第9集)の感想とあらすじは?

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伊勢宗瑞(伊勢新九郎盛時)を主人公としたゆうきまさみ氏による室町大河マンガの第9巻です。

今川家の当主・今川義忠が戦死してしまい、今川家中は大混乱に陥ります。

ただでさえ跡目争いの懸念があるのに、義忠があろうことか味方を討伐してしまったことから、京の幕府からも目をつけられてしまいます。

やがて、今川家存続のために、今川家中は二分するわけですが、その調停役として伊勢新九郎盛時が駿河へ下向します。

そして、もう一人。関東から調停のために向かったのが、太田道灌(資長)でした。

この今川家家中の動乱に関わったことが、後に再び伊勢新九郎盛時が関東へやってくるきっかけになります。歴史の表舞台への第一歩が始まります。

さて、今川義忠の室で新九郎の姉でもある伊都がたびたび登場します。

ここで目に留まるのが、伊都の座り方です。片膝を上げた立て膝で、正座ではありません。この当時は身分の高い女性の肖像画でも立て膝やあぐらで座っています。ですので、立て膝は無作法ではなく、おそらく正式な座り方だったと推測されています。

本書から黒田基樹氏が協力者になっています。

舞台となる時代については「テーマ:室町時代(下剋上の社会)」にまとめています。

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第9集の基本情報

人物関係

第9集での人物関係を一覧表で整理してみます。ここでは応仁の乱の陣営を念頭に整理しました。

関東の状況は次のようになります。

堀越公方側(幕府側)古河公方側
公方足利政知 足利成氏
山内上杉家 上杉顕定(関東管領)
長尾景春
長尾忠景
扇谷上杉家上杉定正
太田道灌(資長)
今川家今川義忠(戦死)
今川龍王丸
今川範満

京の様子は次のようになりますが、膠着状況です。

東軍西軍
将軍家足利義政(第8代将軍)
足利義尚(第9代将軍)
足利義視(今出川殿、義政の弟)
伊勢氏伊勢貞宗(政所執事)
伊勢盛定(父)
蜷川親元(政所執事代)
伊勢貞藤(貞親の弟)
細川氏細川聡明九郎
山名氏山名政豊
斯波氏斯波義敏
朝倉孝景
斯波義廉(管領)
畠山氏畠山政長(管領)畠山義就

関係年表

本書の舞台となるのは、1476年です。新九郎は数え年で21歳です。

文明6年(1474年)
●将軍:足利義政→足利義尚 ○管領:斯波義廉(西幕府)
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【京都】山名政豊と細川政元の間に和睦が成立。

ーーー第9集はここからーーー

文明8年(1476年)
●将軍:足利義尚 ○管領:斯波義廉(西幕府)
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【関東】伊勢盛時が駿河に下る。今川家の調停を行い、龍王丸が成人するまで範満を家督代行とすることで決着させる。長尾景春の乱。長尾景春が関東管領家の執事になれなかったため鉢形城にて挙兵。

ーーー第9集はここまでーーー

文明9年(1477年)
●将軍:足利義尚 ○管領:畠山政長、斯波義廉(西幕府)
◎古河公方:足利成氏 ◎堀越公方:足利政知 ○関東管領:上杉顕定
【関東】長尾景春が五十子を陥落させる。

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物語のあらすじ

駿河動乱

文明八(1476)年。今川義忠の戦死の報がもたらされました。今川家では重臣が集まって今後の相談を始めます。

しかも、今川義忠が追い払った守護代の甲斐八郎は御所方斯波義良の守護代で、攻め滅ぼした勝太・横地は単なる国人領主ではなく、御所の奉公衆で御所の命令に従っていただけでした。

つまり、今川義忠は味方を討伐してしまったのです。

次いですぐさま後継問題が浮上しました。今川義忠の子・龍王丸とするのか、今川小鹿新五郎にするのか?家中は早くも二分されてしまいます。

京の伊勢貞宗邸。伊勢新九郎盛時は21歳になっていました。

伊勢家でも今川家の大失態と家督争いの件が話題になっていました。

新九郎は、自分を駿河に遣わしてほしいと願い出ます。

新九郎と共に向かうのは荒川又次郎、大道寺太郎、在竹三郎、荒木彦次郎、山中駒若丸です。

同じ頃、武蔵国の江戸城。扇谷上杉家の家宰・太田道灌(資長)が今川家の内紛の調停のために駿河へ出立しました。

今川家中は二分されました。駿河のおおむね東半分は小鹿新五郎につき、西半分が龍王丸につきました。

新九郎の今回の目的は龍王丸に家督を継がせることではありません。駿河が内輪に揉め事で沈まないようにすることです。そのためには、名代か後見人を立てることが必要で、伊勢貞宗からも念を押されています。

新九郎は名代にしろ後見人にしろ、相応しいのは小鹿新五郎しかいないと思っています。

一方で、小鹿新五郎側には、福島修理亮や三浦左衛門入道が御屋形様になるのが良いと話しています。小鹿新五郎は立つことに決めました。

新九郎一行は小川湊近くから動けないでいました。益頭庄領主で幕府評定衆の摂津修理大夫之親が首を縦に振ってくれないからです。

この間に駒若丸が元服して才四郎と名乗るようになりました。

駿府館門前で小競り合いがあり、日増しに規模が大きくなっていきました。小鹿新五郎は実弟を失います。

道灌

新九郎はまず小鹿新五郎に会うことになりました。そして3つの条件を突きつけられました。それを姉の伊都に告げると3つとも飲めないといいます。ですが、ここからが交渉の始まりです。

この度の調停には太田道灌が間に入ることになりました。新九郎は太田道灌と交渉しなければなりません。裁松寺に会いに行きました。

初対面で圧倒されてしまった新九郎でした。しかも、道灌は交渉の相手として難敵だったのです。

最初の交渉を終えて、新九郎と道灌はそれぞれのところに戻ります。

道灌は小鹿新五郎に日野勝光と日野富子への働きかけをするので金銭を用意するよう伝えます。

新九郎は「狐」から有益な情報を得ました。五十子では長尾景春を巡って困り果てているらしい。道灌は関東に問題を抱えたまま駿河に来ていたのです。ここは引き伸ばす。新九郎はそう決めました。

前年、太田道灌は長尾景春と会っていました。長尾景春は上杉顕定を殺さないと己の分が立たないといいます。

五十子で道灌は扇谷上杉定正や父・太田道真に何としてでも景春をなだめなければならないと話しました。

道灌は新九郎の引き伸ばしに付き合う覚悟でした。

京から知らせが来ました。日野勝光が死去したというのです。双方が密かに進めていた工作は水の泡と消えました。

新九郎は太田道灌に最終案を投げました。そして道灌の案も新九郎と同じでした。

  • 小鹿新五郎を当主代行とし、駿府館に入れる
  • 龍王丸と伊都は退去して丸子、山西以西に蟄居する
  • 駿府諸将は各々の所領に帰る

などです。

新九郎はまるで道灌の掌で転がされている形になり、悔しいことこの上ありませんでした。

新九郎は堀越源五郎義秀と共に最後まで立ち会いました。

そして、小鹿新五郎が今川新五郎範満として駿府館に当主代行として入りました。駿河国守護職の新体制が発足したのです。

新九郎は道灌を越えたいと心に誓いました。

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