覚書/感想/コメント
劉邦の近くにいた5人を主人公にした宮城谷昌光氏の短編集です。5人を通じて劉邦の様々な側面を浮かぶ上がらせるのは、井上靖氏の「後白河院」の手法を思い出しました。
本書の主人公は次の通りです。
- 「逃げる」 季布
- 「長城のかげ」 盧綰
- 「石径の果て」 陸賈
- 「風の消長」 劉肥
- 「満天の星」 叔孫通
内容/あらすじ/ネタバレ
逃げる
敵陣から楚の歌が聴こえてくる。季布は四面から楚の歌が湧き上がることを不思議に思っていた。だが、周殷が裏切ったと聞いて納得した。
季布という寡欲な男に欲があるとすれば、自分の名が後世まで生き続けてもらいたいというものである。
その季布の前に項羽が現れて、逃げると告げた。季布は間違っていると直言した。どうせ死ぬなら項羽とともに戦い、そこで死にたい。逃走途中で殺されるのは、理想とする生死の形に敵わない。
季布は途中で項羽と離れてしまった。その頃には項羽は討ち取られていた。
季布を逃したことを知った劉邦は季布の首に懸賞をかけた。
季布は逃亡の途中で出会った老人を神だと信じようとした。そして老人の言う方向へ進んだ。
季布は周氏を頼りつもりでいた。その周氏は奇策を案じて朱家に季布を送った。朱家は一目で季布と見破ったが、季布を引き取った。
朱家は季布ほどの英傑を失うのは惜しいと考え、季布の追及と処罰をやめてもらうために夏侯嬰に相談した。
季布の名声は高くなり、百の黄金を得ることは、季布の一諾を得るにおよばない、とまで言われるようになった。
長城のかげ
盧綰は常に劉邦の陰にいた。出身は沛で、劉邦とは生まれた時から一緒だった。
ある時、劉邦が王になりたいということを知り、盧綰は驚きあきれた。
秦によって中国の統一がなされた後、劉邦は労役のために咸陽へのぼった。盧綰も一緒だった。
始皇帝を盗み見た劉邦は、男として生まれたなら、ああなるべきとため息をついた。
始皇帝が崩ずると中国全土は叛乱の嵐におそわれ、劉邦と盧綰はその血なまぐさい疾風の中を走り続けた。盧綰は劉邦のかげのごとく寄り添い、劉邦はあれこれ指示を出した。
劉邦は項羽に憎まれ、無残なほど負け続け、そのたびに盧綰も劉邦と遁走した。ところが奇妙なことに常勝の項羽に人は寄らず、敗亡を繰り返した劉邦に輿望が集まった。
盧綰が気がついてみると、劉邦は王になっており、漢中に国を樹てて漢王と呼ばれていた。そして、項羽を倒したあとには皇帝となった。
臨江王が叛逆した。劉邦は盧綰に討伐を命じた。盧綰は慎重に攻略したが、劉邦から督促された。
盧綰は劉賈に劉邦から念を押されたことを打ち明けた。すると劉賈は劉邦は盧綰を王にするために皆が納得する軍功をあげさせたいのだと話した。盧綰は口がぽっかりあいた。
盧綰は劉邦の気遣いを知り、その厚意にあまえて王になろうというより、かえってここで死んでもいい、と強く思った。
盧綰は燕王になった。だが、隣国で叛逆が起きた。
盧綰のもとに彭越の屍体の一部が送られてきた。劉邦は各地の王を恫喝していたのだ裏切ればこうなる。
盧綰が謀叛したという。劉邦は信じなかったが事実だった。
石径の果て
秦の時代のなります戦国時代にとなえられた書物は役に立たぬとして焚きすてられた。陸賈は何とか経学を後世に伝えたいと思っている。
官途について昇進していくには儒学を捨て、法家に転じなければならない。法家の考えに基づいて秦王朝は形成されたと言ってよい。この王朝は法令のばけものであった。
陸賈が盗賊の一団に出会った。首領は配下の男を盧綰と呼んでいた。
帰った陸賈は朱建に話すと、やむを得ず盗賊になったに違いないという。朱建の知人の黥布もそうだったからである。陸賈は黥布に興味を持った。
始皇帝が亡くなった。何かが変わると陸賈は胸の底でかすかな躍動を覚えた。始皇帝が崩じて、二世皇帝が即位した。
陳勝が叛逆をおこした。叛乱は巨大な怪物に化そうとしていた。
陸賈は朱建とともに呉芮のところにいる黥布のやっかいとなった。朱建は黥布の副将であった。
黥布に会った陸賈はこの男には仕えぬと決めた。
陸賈は以前に出会った盗賊と再会した。劉邦である。そばには盧綰がいる。劉邦は陸賈に自分のところに来ないかと誘った。陸賈は魅入られたようにうなずいた。
陸賈は外交で劉邦を助けた。劉邦は儒学が嫌いだったが、陸賈は劉邦に、馬上で天下を取っても、馬上で天下を治められるか、と言った。この一言が陸賈の名を永遠にした。
陸賈があらわした書物は「新語」と呼ばれる。全部で12篇ある。
陸賈は劉邦の命を受け、南越国の趙佗を説得しに行った。陸賈は使命を果たして戻ってきた。その陸賈を朱建が訪ねてきた。朱建は黥布と別れていた。
朱建は「平原君」と呼ばれているが、陸賈は朱建が燦然と輝く時代は終わったという気がしていた。
劉邦が崩じて呂太后の時代になった。この劉邦の正夫人は恐怖政治を行った。陸賈は右丞相の陳平を訪ねた。
陸賈の計画にそって呂太后が亡くなると一気に呂を滅ぼした。
風の消長
劉肥がよく思い出した情景は父の劉邦が泗水亭の長になった2年目の事だった。劉邦が竹の皮の冠を作らせてかむったのだ。
劉肥には父の劉邦が皇帝のように美しく見えたのだった。後年、劉肥は相国の曹参に言った。
ある夜、劉邦が夏侯嬰と争って帰ってきて、数日後連行された。だが劉邦は刺していない、夏侯嬰は刺されていない、というので話にならない。
夏侯嬰を吐かせるために獄に入れられたが、夏侯嬰は証言をひるがえさなかった。
劉邦が呂氏の娘と結婚してから、劉肥から劉邦が遠くなっていった。
そして劉邦の中にある妄を知り、母も自身をあざむいていることを知った。ふと劉肥醒めた。
ある日、曹参が劉肥に駟鈞を頼れと言った。劉肥は駟鈞に会って、この人は偽善者では無いと感じた。
始皇帝が亡くなった。だが二世皇帝はそれを隠した。そして陳勝と呉広の叛乱が起きた。
歴史は皮肉な様相を見せる。項羽がただの一度の敗戦によって死に、必ずしも勝たない劉邦が天下を制した。
劉邦は皇帝になり、劉肥は斉王になった。
駟鈞は劉邦が亡くなれば呂氏の子では天下が揺らぐと言った。それまで斉で力をたくわえることである。
中央からは斉王の劉肥が名君なのか暗君なのか看破しにくかった。わかっているのは、斉がよく治められている事とだった。
呂太后の子が皇帝になり、劉肥は祝賀に赴いたが、宴会の席順が思わぬ危機をもたらした。劉肥は危うく呂太后に殺されるところだった。
満天の星
儒服の男は叔孫通といった。名の知られた儒者で弟子が多かった。
叔孫通が竹皮冠を作らせた男の話を耳にした。
県の長官の推薦で中央官邸を訪れた叔孫通に、すぐに博士の席が与えられたわけではなかった。
盧生が秦を滅ぼす者は胡だという不吉な予言をした。北方の異民族をまとめて胡と呼んでいる。
叔孫通は焚書の被害を免れるために、弟子たちに書物を暗記させた。弟子たちも目つきが変わって暗記を始めた。
始皇帝の聴政の感覚が異常になり始めた。そして始皇帝が亡くなった。
新しい皇帝の名を知って叔孫通は驚愕した。胡亥…胡…そんなはずはないと言おうとしても口が開かなかった。
叔孫通は弟子たちと函谷関を出た。
ふしぎなことに叔孫通は天下の主権者に仕え続けた。始皇帝、二世皇帝、項梁、義帝、項羽と主権者が変わってもつねに天下の主権の近くにいた。
そして叔孫通は劉邦に仕えた。
皇帝になった劉邦が宮中において規則がなきに等しくなり悩んでいることに気づいた。
叔孫通は千載一遇の好機を見出したように身震いした。儒学を活用して、その有用性を天下に知らしめるのだ。
劉邦は儒学が嫌いだったが叔孫通の話についにうなずいた。そして儀式において儒学の有益性を示した。
叔孫通は弟子たちを推挙し、これまでの苦労に報いた。