覚書/感想/コメント
十九年に及ぶ亡命生活の後に晋の君主となり、春秋五覇の一人に数えられるまでになった文公こと重耳(ちょうじ)を描いた小説。
苦難を耐え忍び、永い年月の末に君主となった人物である。そして、この小説は重耳を永い年月にわたって支え続けた家臣たちの物語でもある。
とはいえ、宮城谷昌光氏の他の作品と同様に、重耳の前の時代から話しが始まる。
最初は、それこそ晋ができた頃から話しが始まる。
晋がつくられたのは周王朝の初期、西暦紀元前一〇〇〇年の前後。叔虞が晋の始祖となる。
物語が本格的に始まるのは重耳の祖父・称の晩年からである。
小説の中で『天下に覇をとなえるには、すくなくとも三代はかかる。』と語っているところから、最初から意図的に書かれたのだろう。
俗に「春秋五覇」と呼ばれる。斉の桓公、晋の文公(重耳)、秦の穆公、楚の荘王の四人に、宋の襄公、呉の闔閭、越の勾践の何れかを加えて五覇となる。
春秋時代は覇者の時代であったが、この後に続く戦国時代は、また趣がガラリと変わってくる。
さて、この「重耳」を中心として、関連の作品が多い。
この小説にも登場する介子推を扱った「介子推」は本作品と表裏一体の作品であるので、是非とも読まれることをオススメする。
また、「孟夏の太陽」は重耳を支えた趙衰の一族の話であり、「沙中の回廊」は晋を支えた士会を描いている。
こうした一連の作品を読むことによって「重耳」という作品の広がりと深みを堪能できるのではないかと思う。
ちなみに、それぞれの作品を一言で言い表すなら「重耳」が「忍耐」、「介子推」が「忠義」、「沙中の回廊」が「武」であろうか。
「孟夏の太陽」は一族の話なので、一言では言えないが、重耳あとの晋の歴史というものが楽しめる。
最後に、中華の周りの蛮族をそれぞれ東西南北で次のように言い表していたそうだ。
夷(東夷)、戍(西戍)、蛮(南蛮)、狄(北狄)。
内容/あらすじ/ネタバレ
曲沃の称(しょう)は翼の緡侯が周王に拝謁して正式に晋の君主に認定されたのが面白くなかった。称は五十才を過ぎている。
称は太子の詭諸(きしょ)のために賈(か)から婦を迎え、結びつきを強くした。一年後、賈から使者がやってきて、狐氏(こし)から狐突(ことつ)というものが交誼を求めに来たといってきた。この知らせは称を喜ばせた。
この狐氏から称は嫁をもらうために狐突に頼んだ。狐突がもどって嫁を探すと、二人の娘が候補になった。そして、占いによると、このうちの一人が産む子が天下に号令することになるという。
二人の娘のうち狐姫が重耳(ちょうじ)を産んだ。その前に斉姜が申生を産んでいる。孤突は称から申生の師になってくれないかと頼まれた。孤突は困惑した。孤突は狐姫から生まれた子の側にいるつもりでいたからだ。だが、孤突はこの申し出を受けることになる。
孤突は重耳の側にわが子の孤毛(こもう)と孤偃(こえん)を仕えさせることにした。
周王室が曲沃にもっている偏見を取り除かせるために称は士蔿(しい)を王都へ送った。入れ替わるようにやってきたのが畢万(ひつまん)だった。
畢万を太子の詭諸に推挙したのは卜筮をつかさどる郭偃(かくえん)だった。この郭偃が重耳の師となることになった。
畢万が仕えた頃、同じく趙夙(ちょうしゅく)が仕えることになった。
半年後、士蔿がもどり、経過を報告した。あまりにもできすぎた報告内容にかえって称は、早すぎではないかと疑った。
称は再び戻る士蔿を影から助けるために秘かに丕鄭(ひてい)と趙公明、趙夙の親子を王都へ送り込んだ。
果たして士蔿は王都で王位継承に関わる権力闘争に巻き込まれ、危ういところで命を救われたのだった。
東方では斉に桓公が現われ、南では楚が勢力を拡大しつつあった。
重耳はあざやかな公子像を見せる兄・申生と弟・夷吾に挟まれ冴えなかった。十七才になった重耳は家臣団を形成しつつあったが、筋目が悪い。この一人に趙公明の末子・趙衰(ちょうし)が加わった。趙衰は後に孤偃と並んで、重耳の覇業を大いに助けた人物である。
称は兵を招集した。翼を攻めるのだ。だが例年になく雪の到来が早い。称は重耳を連れて行くことにした。何となく重耳が吉運をもたらしてくれるような気がする。
翼城は巨大な氷の城のようだった。攻めあぐねていたが、重耳の部隊が突破口を見つけ、翼城を落した。
その頃、曲沃が空であることを知った虢公(かくこう)が曲沃を攻めようとしていた。留守居をしていた申生と孤突はこれを察知し、孤突が侵攻を食い止めるために曲沃を発した。
周の僖王三年(紀元前六七九)。曲沃が翼を滅ぼしたことによって、晋は再び統一国家となった。
戦での戦功のあった重耳の周りには明るい話題が多い。まず郭偃が大夫になった。
統一国家になってから暫くして称が天寿を全うした。
次代のうねりが来ようとしていた。
結婚の話しが晋にも舞い込んできた。秦の公子からであった。詭諸の娘・伯姫をもらいたいというのだ。詭諸はこれを断った。
この頃の、王都では「子頽の乱」が起きていた。
驪戍が国境を侵しているという。詭諸は兵を出すことにした。連れて行ったのは重耳である。この戦いの前に奇妙な占いがでた。それは勝つが不吉だというのだ。
どうやら詭諸をおとしめる者がこの度の戦いの中で得た捕虜にいるということのようだった。そうした中にいたのが驪姫(りき)だった。
重耳は一人孤突を訪ねた。孤偃の娘・長孤を正婦として迎えたいというのだ。
この頃、詭諸は晋の公族である桓・荘の族に頭を悩ませていた。士蔿がある方法を提示し、桓・荘の族の力は一気に削がれた。
重耳と長孤の婚儀が行われた。重耳二十七才。長孤十三才である。
驪姫が正夫人となった。驪姫は自分の立場の不確かさに不安を抱いていた。自ら産んだ子を太子にできないだろうかと考える日々である。
こうした驪姫に優施という役者が近づいていった。優施は悲運の公子だった。翼の公子だったのだ。復讐のため、晋を滅ぼす。そのために優施は驪姫に近づいたのだった。
公子たちを辺土の守りにつかせようとする動きがあるという。驪姫の働きかけがようやく実り始めたのだ。
重耳は蒲という最も遠いところへとばされ、夷吾もこの次に遠いところへとばされた。申生も首都ではなくなっている曲沃へと追いやられている。
いま詭諸のまわりには誰もいなくなった。
蒲へ向かう重耳に新たな家臣が加わった。先軫(せんしん)という。
驪姫が詭諸の耳元で囁く。三人の公子が首都へ呼ばれた。殺すためである。
申生は殺され、重耳と夷吾は逃げた。逃げた重耳を殺すため閹楚(えんそ)という刺客が送り込まれた。
再び難を逃れた重耳であったが、この瞬間から十九年の長期にわたる亡命生活が始まった。従うのは孤毛、孤偃、胥臣(ししん)、趙衰、先軫、魏犨(ぎしゅう)、顛頡(てんけつ)などであった。
重耳は孤氏の集落に落ち着いた。重耳の母の出身地である。ここで重耳は妻を娶る。叔隗、季隗という姉妹のうち、妹の季隗を自分の妻とし、姉の叔隗を趙衰の妻とした。
重耳は趙衰の持っている人格の響きのようなものが伝わってくるようになっていた。大変な宝を見逃すところだったとおもい、そのおもいを表現したのがこの結婚だった。
驪姫は重耳と夷吾を殺し損ねたことをとても不安に思っていた。
やがて詭諸が死んだ。重耳の所に帰国をうながす使者がやってきたが、孤偃がこれをとめた。今帰国すれば、厄介な問題が待ちかまえており、重耳にとって良くないと判断したのだ。
かわって帰国したのが夷吾だった。後ろ盾になったのは秦の任好(穆公)であった。だが、夷吾は任好の力で君主の座に座ることができたにもかかわらず、任好に対して礼節を欠くことを平気で行った。
怒った任好は晋を攻め、夷吾は捕虜となってしまう。
帰国することを得た夷吾は重耳へ刺客を放った。閹楚である。この閹楚に立ちはだかる者が重耳の陪臣にいた。介推。後に介子推と呼ばれる男である。
重耳は孤氏を出発して斉へ向かうことにした。
重耳の一行を受け入れない邑もあった。衛にたどり着いたものの、衛の君主は重耳一行に対して冷たく接した。この態度に重耳は怒りで身を震わせた。
斉までの道のりは一行にとって困難なものだった。介子推はこの道中で影ながら重耳を支え続けた。
斉につき、桓公は限りない厚意を示した。重耳は五十五才になっている。桓公は重耳を信任し、重耳もこれに応えようとした。いつしか、重耳は斉で骨を埋めてもいいと思うようになっていたが、孤偃らに酒を飲まされ酔っている間に重耳は斉から連れ出されていた。
重耳は再び流浪の公子となった。
曹公に嫌な目に遭わされ、宋では厚いもてなしを受け、楚へと向かった。
楚王は重耳を手厚くもてなした。
この滞在中に秦から使者がやってきて、重耳を迎えたいと言ってきた。その秦への道の途中で夷吾が死んだことを知った。
重耳は任好の後ろ盾を得て、晋の君主となった。
本書について
宮城谷昌光
重耳
講談社文庫 計約一〇七〇頁
春秋時代 紀元前七世紀
目次
沙中の黎明
東方の花
狐氏の賢人
畢万
卿士の陰謀
初陣
密約
一陽来復
危急存亡
水中の宝剣
翼の滅亡
計略
遷都
策命の使者
称の死
二人の王
口中の骨
粛清
驪姫
陰謀の渦
公子分散
太子の危難
羊神の冠
生と死の境
兄妹の行方
死計
風雪の季
韓原の戦い
介子推
斉へ
流亡の群像
天啓の人
楚王との約束
一万里の果て
剣と棒
戦雲おこる
城濮の戦い
あとがき
登場人物
重耳
孤毛…狐突(伯行)の息子、兄
孤偃…狐突(伯行)の息子、弟
趙衰…趙公明の末子
先軫
胥臣
魏犨
顛頡
孤射姑…孤偃の息子
郭偃…重耳の師
長孤…孤偃の娘、重耳の妻
叔隗…趙衰の妻、姉
季隗…重耳の妻、妹
閹楚…寺人
称…重耳の祖父
詭諸…重耳の父
賈姫…詭諸の妻
斉姜…申生の母
狐姫…重耳の母
小戍子…夷吾の母
驪姫
優施
汐
士蔿
畢万
丕鄭
趙公明
趙夙…趙公明の息子
里克
欒枝
申生
狐突(伯行)
夷吾
郤豹
郤芮
虢公
任好(穆公)…秦
伯姫(穆姫)…詭諸の娘
百里奚