司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第3巻の感想とあらすじは?

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「竜馬がゆく」は司馬遼太郎氏の作品の中で最も売れている作品です。この後には「坂の上の雲」「翔ぶが如く」と続きます。

さて、本書の坂本龍馬は二十九歳。勝海舟に出会うことによって、幕末史劇の舞台を一段上ろうとしています。

幕末の史劇は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じたといわれます。

その坂本龍馬と清河八郎が邂逅する場面が描かれています。

バトンタッチのような場面であり、いわば幕末史劇の転換が始まろうとしている象徴的な場面です。

時代はまだまだ倒幕の機運が熟しているわけではありませんが、血なまぐさい様相を呈してきています。その代表が寺田屋騒動です。

この時に龍馬は二つの唄を作っています。
『咲いた桜に/なぜ駒つなぐ/駒が勇めば/花が散る』
『何をくよくよ川端柳/水の流れを見て暮らす』

寺田屋での即興の二つの唄は、龍馬が寺田屋で命を落した連中に捧げた唄でした。

この後、勝海舟に出会った龍馬は海軍塾の設立に奔走します。

そのために雄弁をふるうことになりますが、龍馬の雄弁は二つの点で有名でした。

ひとつは、盛んにたとえ話をひき、それが卑俗でユーモアがあるというもの。

いまひとつは、議論に夢中になると、羽織の紐を解き始め、それを口にくわえてニチャニチャ噛みながらやる。ヒモはべっとりと濡れ、さらに興にはいると、グルグルと回すものだから、房からツバが飛ぶのです。

…これは、目の前でやられたら、正直たまらん…。

龍馬とはつかず離れずの微妙な距離にいる人物がいます。岩崎弥太郎です。

武市半平太の評では、もってうまれた気力胆力が超人的で、文字にも明るいくせに、勤王でも佐幕でもありません。主義めかしい事を一切口にしません。興味がなく、徹頭徹尾自分を信じています。

その岩崎弥太郎は龍馬を次のようにみています。

『(癪だが、おれより人間が上品だ。あいつが、おれに優っているところが、たった一つある。妙に、人間といういきものに心優しいということだ。将来、竜馬のその部分を慕って、万人が竜馬をおしたてるときがくるだろう。竜馬はきっと大仕事をやる。おれにはそれがない。しょせんは、おれは、一騎駈けの武者かとおもう)
弥太郎が、竜馬を小面憎くおもうのは、竜馬のそういう部分への嫉妬だろう。それ以外は、弥太郎は、人間として竜馬に、おどろくほど似ている。似ているから、なお、いやなやつだ、とおもうのかもしれない。』

この岩崎弥太郎を見いだしたのが吉田東洋であり、吉田東洋に信任していたのが土佐の御隠居・山内容堂でした。

この御隠居様に対する司馬氏の評価は厳しく、傑物だが、幕末維新では時勢にブレーキをかける役目しか果たさなかったとバッサリと斬り捨てています。

学殖があり、勤王思想家であるが、強烈な佐幕派でもあります。いわゆる公武合体派の殿様であり、それがために、はねっかえりの郷士たちのすることが我慢できなかったのです。

小説(文庫全8巻)

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内容/あらすじ/ネタバレ

二十九歳になった岩崎弥太郎に客がある。この前まで藩の大目付だった故吉田東洋門下の大崎巻蔵と弥太郎との同僚・井上佐一郎だ。

弥太郎は東洋暗殺の前後、勤王党の動静を探るために随分働いたが、今は病気を言い立てて引っ込んでいる。

大崎らは江戸の山内容堂から東洋暗殺の下手人を捜せとの命を受けている。目星は脱藩した、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助、坂本竜馬である。

竜馬と沢村惣之丞の脱藩は清河八郎、真木和泉、平野国臣らの指導による京都義兵への参加である。

彼らは薩摩藩の軍勢を待っている。薩摩藩の事実上の当主・島津久光の上洛をもって兵を挙げようというのだ。

だが、竜馬と沢村はそうした情勢が分からず、京・大坂とは反対の下関に向かっていた。下関には豪商・白石正一郎という不思議な人物がいる。

下関から大坂へ竜馬と沢村は急いだ。そこに岩崎弥太郎と井上佐一郎が現われた。弥太郎は竜馬と剣を交えず逃げた。そしてそのまま土佐へ帰ってしまった。

弥太郎は大坂・京とうろつく内に、薩長を中心とする尊王攘夷党が意外なほどに力を持ちつつあることをはっきりと見た。

残された井上を狙っているものがいた。足軽の岡田以蔵だ。この時はまだ人斬りの異名はついていない。

竜馬と沢村惣之丞は京坂の地でさまよっている。二人は吉村寅太郎を探していた。

その竜馬と沢村が東山産寧坂をのぼったところにある料亭・明保野亭で吉村寅太郎と再会した。この場に久坂玄瑞を含めた長州藩の連中もいる。

竜馬は長州藩の有志も薩摩藩有志に負けず暴発するつもりであることを知った。京もえらいことになる。

この時期、文久二年の初夏。時代は沸騰しつつあるが、煮え詰まるほどではない。倒幕という激しい言葉の似合う時勢ではなかった。

天下三百諸侯の九割九分は泰平の金屏風に囲まれて眠っている。それは薩摩侯、長州侯、土佐侯しかりである。だが、ふしぎなことに、この時期、この三大藩から才子、奇士、豪傑、戦略家、策士、論客などが群がってでた。家来にとほうもないはねっかえりが大勢出たのだ。

伏見の船宿寺田屋での惨劇が長州藩邸にもたらされた。薩摩藩の勤王有志が全滅したという報を聞き竜馬は跳ね起きた。いわゆる寺田屋騒動である。

竜馬は天を見上げ、まだ時期が早すぎたと、無駄に命を捨てた連中への、いいようのない怒りを感じていた。

その寺田屋を竜馬は訪れた。お登勢が出迎えてくれた。この頃、竜馬は変名として才谷梅太郎を名乗るようになっている。

清河八郎が竜馬に声をかけてきた。竜馬はこの男を余り好きでない。

清河は非常な尊王家であるが、独り策謀をめぐらし、その策謀で世間を踊らせ、策士らしくなく功を独り占めにして常に策謀の中心に座りたがる。しかも徳がない。

竜馬は、凄い男だ、と思ったが、策が顔に出すぎた策士だと思っている。

この清河が各地を論じて周り、京大坂へぞくぞくと人を呼び寄せたのだ。そしてこれが寺田屋の変となり、京洛における幕末の血なまぐさい風雲劇の幕開けとなるのである。清河はたった一人で幕末の風雲を呼んだ男といっていい。

惜しい男だ。万能があるくせに、たったひとつ、人間への愛情が足りない。竜馬は清河をそう見ていた。

寝待ノ藤兵衛が田鶴を訪ねていた。

その頃、竜馬は清河八郎と一緒に東海道を下って江戸へ向かっていた。

一方、土佐では、武市半平太黒幕の革新内閣ができあがっていた。武市は竜馬の脱藩を惜しんでいた。

武市は観念論者であり、竜馬は実際主義者である。竜馬は武市の革新内閣も砂上の楼閣であると踏んでいる。それは実のない清河八郎と同じである。

その武市は竜馬と入れ違いに京に入ってきた。長州が密勅降下で活気が強くなっている。土佐もというわけである。

竜馬は桶町千葉の門前に立った。五年ぶりのことである。

千葉貞吉は脱藩してきた竜馬を快く迎えてくれた。

幕末は攘夷か開国の時代である。当時、志士と名の付く連中はある時期まではみな強烈な攘夷論者であった。坂本竜馬もそうである。

この時、天下を衝撃させる事件が起きた。生麦事件である。薩摩の殿様が攘夷をなすったというのだ。この顛末を竜馬は清河八郎に説明してもらった。

千葉重太郎が勝海舟を知っているかと聞いてきた。奸人だという。竜馬は勝を日本随一の男子だと思っている。
その勝を殺ろうという。

勝は咸臨丸による渡米によって幕府よりも日本国を第一に考えるようになっていた。当時の幕臣としては危険思想である。

竜馬は軍艦操練所を見て、残念に思っていた。竜馬は軍艦を学びたい。だが、それを阻んでいるものがある。幕府である。おれは、ここへ入所できないのだ。幕府の軍艦操練所は幕臣の子弟のみに門戸を開いている。

井伊直弼が殺されたのは一昨年だったが、今年の正月には老中安藤対馬守信正が斬られて負傷している。京では毎日のように、佐幕派、開国主義者が殺されている。

この京での天誅騒ぎの黒幕が武市半平太であるという噂が竜馬の耳に入ってきている。岡田以蔵は人を斬りまくって、人斬りのあだながついている。

竜馬と千葉重太郎の二人が勝海舟の赤坂元氷川の屋敷を訪ねた。

訪ねてきた二人を見て勝海舟は、斬りに来たんだろうといった。勝は竜馬を見て、こいつ、ものになるなと思った。

幕末の時期、宗教的攘夷論が大きなエネルギーとなったが、奇妙なことに攘夷論者の中に宗教色をもたない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵、西郷吉之助、そして坂本竜馬である。

その竜馬に向かって勝は、百年の大計を語り始めた。日本防衛のために海区を六つにわけ、六艦隊を浮かべる。その艦隊を作るために開国して貿易し、金を稼げというのだ。航海貿易論である。

竜馬はびっくりし、この勝がいよいよ好きになった。

これを実行できぬ幕府は倒すしかない。平明すぎるほどの実利的倒幕論であり、こんな発想を持った倒幕主義者は坂本龍馬以外に出現しなかった。

竜馬は勝に弟子にしてくれと平伏した。

勝が軍艦操練所に竜馬を案内した。

勝は開国に興味があったくせに、攘夷志士として刺しに来た竜馬を笑った。

この時期に竜馬の人生への基礎が確立した。勝に会ったことが、竜馬の生涯の階段を一段だけ踏み上がらせた。

全くの晩熟である。長州の久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、薩摩の西郷吉之助、大久保一蔵などは国事に奔走しているのに、竜馬は一歩上っただけである。

幕末、「日本人」は坂本竜馬だけだったといわれる。勝海舟は幕臣であり、そうした立場を引きずりつつも「日本人」に近い意識を持った持ち主である。だから竜馬は勝海舟に不可思議な魅力を感じたのだ。

坂本竜馬が千葉道場にいるというのは鍛冶橋の土佐藩邸での公然の秘密になっている。

この間、武市は京での公卿工作を進め、薩長とともに京都守護の内勅を得ていた。

その武市半平太が千葉道場に竜馬を訪ねてきた。

勝が竜馬を軍艦で大坂に連れて行ってやろうという。軍艦は順動丸である。これに竜馬は寝待ノ藤兵衛、近藤長次郎(上杉宋次郎)、千葉重太郎も勝手に誘ってのっけてしまった。

今度の航海は幕末政治史上、重大なものである。老中・小笠原長行を乗せてゆく。朝廷の攘夷御督促に推されて江戸の権力中枢が京へあつまることになったのである。この後に将軍家茂も上洛することになっている。

勝海舟は山内容堂に会って、竜馬の脱藩の罪を許させようと考えていた。竜馬の世間を広くするためである。

容堂の諒解を得た勝は、竜馬を松平春嶽に会わせた。春嶽は御三家御三卿を除くと最高の家格の大名であり、幕府の政治総裁でもある。それが一介の素浪人・竜馬に簡単に会ってくれ、以後ひどく可愛がってくれるようになり、のちのちまで竜馬の後援者となった。

望月亀弥太が竜馬を呼び止めた。そして竜馬に脱藩の罪が許されたと知らせた。

武市半平太は京における尊王攘夷の志士群の重鎮になっている。しかも暗殺団をもっている。筆頭は岡田以蔵である。

竜馬は武市がこれだけの勢力を作ったことをに驚く反面、一流の名を残すことはないだろうと思った。

武市の謎な所である。人物と格調の高さは、薩摩の西郷に匹敵するだろうし、謀略の上手さは薩摩の大久保に肩をならべ、教養は両者に勝り、人間的感化力は長州の吉田松陰に及ばずとも似ている。だが、重要な所で武市は間違えている。仕事を焦る余りに、人殺しになっていることである。

その武市に竜馬は勝海舟を殺すなと釘を刺した。

岡田以蔵は竜馬を兄のように慕っている。だが、目は殺戮者特有の目になっている。

その以蔵に竜馬は勝海舟の護衛を頼んだ。以蔵は悩んだ。武市半平太から見れば開国論者の勝海舟は大奸賊である。だが、それを守れという。以蔵にしてみれば師に背けといっているのと同じである。

勝も妙な奴を護衛に寄こしたと思ったが、人を信じた以上、それに文句を言わない男である。以蔵を供にした。

勤王家・楢崎将作の遺族が窮迫していると聞いている。その娘がお竜(おりょう)である。火事の現場で竜馬はこの娘に出会った。

このところ竜馬は土佐藩邸で下級武士をつかまえては海軍に入らないかとすすめてまわっていた。竜馬の構想では京に集まっている勤王浪士を集めて海軍を組織しようとしている。

国事を論じていて何になる。竜馬は具体的なことが好きなたちの男である。

竜馬は、海軍学校という得体の知れないものを作るのに忙しかった。その連絡のために京都滞在中の勝海舟にも毎日会った。

寺田屋のお登勢に竜馬はおりょうを養女として預けた。

竜馬の好きな女性のタイプは、男勝りで才気がある姉・乙女に似た人に限られる。千葉さな子、福岡家の田鶴、みなそうである。おりょうもそうである。だが前者と異なるのは、おりょうが悲境にある点であった。

勝が幕府の許しを得て、兵庫の生田に私立の軍艦塾を開くことになった。だが、金が足りない。その金の越前福井の松平春嶽に無心することにした。

竜馬は越前に入って三岡八郎にあった。三岡は明治に由利公正と名を改めている。

竜馬は三岡を買っている。それは金銭のわかる武士であり、産業を興し、船舶をつくるべきという考えが一致しているからである。

竜馬は三岡に五千両を出させるのに、タダでとは思っていない。投資であると説明した。商社をつくり、利益を還元するというのだった。

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本書について

司馬遼太郎
竜馬がゆく3
文春文庫 約四三〇頁
江戸幕末

目次

追跡者
寺田屋騒動
流転
生麦事件
勝海舟
伯楽
嵐の前
海へ
京の春

登場人物

坂本竜馬
勝海舟
永井玄蕃頭
中浜万次郎
松平春嶽…越前藩主
三岡八郎…越前藩士
沢村惣之丞
吉村寅太郎
岡田以蔵…土佐の足軽
武市半平太
長次郎…後の上杉宋次郎、近藤長次郎
望月亀弥太
間崎哲馬
清河八郎
おりょう(お竜)…楢崎将作の娘
久坂玄瑞
桂小五郎
白石正一郎…下関の豪商
山内容堂
岩崎弥太郎
大崎巻蔵…元大目付
井上佐一郎…下横目
福岡田鶴
信受院…三条実万の未亡人
お登勢…寺田屋の女将
寝待ノ藤兵衛…泥棒
千葉貞吉
千葉重太郎…貞吉の息子
千葉さな子…貞吉の娘
坂本乙女…竜馬の姉、坂本家三女
坂本権平…竜馬の兄、坂本家嫡男
春猪…龍馬の姪、権平の娘

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