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宮城谷昌光「天空の舟 小説・伊尹伝」の感想とあらすじは?

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第十回新田次郎文学賞

古代中国。伝説の世界に入るような古代を描いた、凄い作品です。

伊尹(いいん)。名は摯(し)といいます。

商の湯王(とうおう)をたすけ、夏王朝から商王朝へ革命を成功に導く人物です。

商とは「殷」と言った方がいいかもしれません。

「伊」とは伊水のことで、「尹」は聖職者を意味します。

摯(伊尹)は桑の木から生まれたといわれます。

桑の木は神木で、桑の木から生まれるのは「日」つまり「太陽」であるとされました。

太陽は十個あると考えられ、一個ずつが毎朝桑木から生まれて天に昇ると信じられていました。

桑の木とは太陽を生む木であり、そこから生まれた児は太陽だったのです。

古代中国でも太陽信仰があったことに驚かされます。

摯(伊尹)が支えた商という民族はさまよえる民族でした。

どこからきたのかが未だに謎だそうです。

何度も首邑をかえ、八度遷ったといわれています。

遊牧民族ではなかったかというのが筆者の見解です。

頭がずば抜けて良い民族で、二頭の馬に車をひかせる「兵車(戦車)」を発明しました。

湯王は摯を商に迎え入れる時に「三顧の礼」をもって迎えています。

三顧の礼というと三国志における劉備が諸葛亮を迎える場面で有名だですが、原型は、摯に対する湯です。

摯は湯王が亡くなった後も商に貢献します。

最初は湯王の跡継ぎとなる嗣王の太甲(至)を湯王の墓所に監禁したことです。

クーデターに近いものですが、太甲の資質が桀に似ているものを感じた摯がやむをえず取った策でした。

服喪が終わり、王として迎えられた太甲は見違えるほどの別人となりました。

摯の政治は大変素晴らしく、太甲に「阿衡」という最高の賛辞で呼ばれました。

摯が死んだのは、太甲の次の王である沃丁のときであり、永く商室によって祀られたそうです。

(注)一部現在では使われない漢字などがありましたので、原文とは変えています。なお、ブラウザの表示上、変な文字が出た場合は、ご容赦下さい。

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内容/あらすじ/ネタバレ

女は神女から洪水が起きることを知らされた。臼や竈に蛙がのっていれば東へ走り、桑の樹の空洞に嬰児をあずけなさいという。女の嬰児が後に「伊尹(いいん)」と呼ばれる人物となる。

この時より四年前。夏王朝から信任の篤い昆吾氏が百七十六年にわたる王幾の守護を放棄して国に引き上げてしまった。

伊水で洪水が起きた。嬰児をのせた桑の大樹は東へ東へと流された。伊水は洛水にそそぎ、洛水は黄河にそそいでいる。

嬰児は有莘氏の君主の娘に発見された。この頃の君主は「后」の字があてられるから、有莘氏の君主は莘后(しんこう)と呼ぶのが無難であろう。

莘后は嬰児が福をもたらしてくれそうだという予感はしたものの、高い身分を与えず、身近のおくために宮廷料理人にすることとし、料理人に育てさせることにした。このときに嬰児に名が付けられた。「摯(し)」という。姓はない。

莘后は先を見越して接近していた「発」が十六代目夏王になった。一方で昆吾氏は発の世子「桀(けつ)」に接近していた。

摯が十三才になった。彼はおのれの出生の不思議さを知っていた。摯は自分で姓をつくったが養父にきつく叱られた。姓はいずれ人がつけてくれる。

摯の非凡な人格の形成は養父の薫陶によるところが大きい。厨房の仕事はきびしくしこまれた。

その摯が夏邑につれていかれることになった。莘后の意向で摯を夏王の厨房で修行させることになったのだ。

夏王は摯に割烹だけでなく故事、天象の事なども学ばせることにした。夏王は関龍逢を呼び、面倒を見るようにと厳命した。

夏王朝には腐乱の兆しが大きく育ちはじめていた。桀である。この桀が乱暴をしようとしているところに摯は出会ってしまう。

摯は十日に一度の割合で故事を学ばされることになった。師となる史官は厳格な人だったが、語る言葉に血が通っている。

次の年、摯は関龍逢を通じて天象を学ぶようにと王名がくだされた。摯はこの天象を学ぶ場で桀と再会してしまう。

秋。摯は王族の狩りに従って郊外に出た。ここで摯は桀に狙われた。執念深さを思い知ることになる。

だが何とか生き延び、摯は十九才になった。この年、摯の養父が死んだ。久しぶりに帰国することになる。

帰国して摯は南から帝王が興る兆しを見た。

商后が叛逆した。葛伯が不意をつかれ、葛の邑は壊滅した。これを聞いた莘后は倒れ、有莘氏の嗣君は狼狽した。

いつまでも莘后に会えない葛伯の臣は不審に思い、商后と莘后は以前から気脈を通じていたのではと考え、莘邑を脱出して夏邑へ向かった。直接夏王に訴えようとしたのだ。

この時には帝発は崩御しており、桀が王となり昆吾伯が輔弼の席に着こうとしていた。

夏王朝の新しい首脳は商后だけで叛逆はできないと踏んだが、真相は商の単独叛逆だった。商の若い君主の名は天乙という後に商王朝を開く成湯(せいとう)(湯王(とうおう))である。

ところで、この商側にも葛を伐つ正当な理由があった。

摯の周辺が俄に慌ただしくなった。葛から莘に逃げてきた人々がいる。

摯は莘后への攻めての恩返しと考え、嗣君に忠告をした。そして、摯は十日以内に凶事が起きると予言した。

帝発が崩御し、莘后と商后が謀叛したために嗣王桀が討伐に向かうことになった。莘が攻撃対象となったことを知って嗣君は恐れおののいた。

嗣君は摯を呼び出し、善後策がないかを問うた。摯は后女を桀にさしあげる。つまり生け贄にすることを提案した。

摯は世にも悲しげな顔をした。桀の弱点は無類の好色であると摯は見ていた。それに今回のことはそもそも誤解がある。それさえわからせれば活路はあると考えていた。

摯は后女の他、葛人の顎とともに桀に会いに行った。后女は妺嬉(ばっき)とよばれる。

養母を失った摯は莘后に退官を願い出た。この後、摯は有莘の郊外で鍬を手に十年間静修をつづけた。三十才に近づく頃、全くの無名ではなくなった。

葛人の顎との親交は続いていた。その顎が湯(とう)と呼ばれるものが東方を平らげつつあるらしいといってきた。

湯とは商后のことだ。顎は商后に葛伯を滅ぼされたので、怨みがある。一方で、桀に嫁いだ妺嬉の評判がまことに悪いという。

摯は妺嬉を悪女に仕立て、朝廷の権柄を握ろうとしているのは推哆(すいし)だと考えていた。

桀が地震で死んだという噂が流れた。これを信じて商后が立とうとしていた。商后を陰で支えたのが仲虺(ちゅうき)である。

そして、実質的には天下分け目のいくさがはじまろうとしていたが、夏王桀にも商后にもその意識が欠如していた。

商后湯が勝った。仲虺の献策によるところが大きい。桀はすぐに反攻を決意していた。

摯は顎から桀が負けたことを聞いた。

湯は摯にまつわる話しを知っていた。そこで莘の息女を娶る時にその家内奴隷として付いていくことになった。それを知り、摯は怒りで身体が震えた。逃げようと考えたが厳重に見張られている。

この摯を見た湯は摯に神秘さを見いだせなく、失望した。だが、仲虺から摯のことを聞くにつれ、摯が相当の人物であることを思い知る。その頃、摯は逃げ出していた。湯は、摯を逃亡させたのは、このわしだと反省した。

摯は三十年の大洪水の話を聞きまわっているときに一人の童子を拾った。童子は咎単(きゅうぜん)と名乗った。
摯は関龍逢の宅に赴き、桀の宮廷料理人として帰参することになる。

湯が商始まって以来の大勝利に飾られ、かえってきた。南方と東方はあらかた平定し終えたのだ。天下の半分近くを有することになり、次の年を商王朝樹立の年、成湯元年とされる。

摯は立場の微妙になっている妺嬉に仕えることになった。久しぶりに妺嬉を見た摯は妖婉になったと感じた。この妺嬉が摯に有莘の地にもどり、湯の命運を絶ってほしいといわれた。摯はこれを夢語と思い、妺嬉に幻滅を感じた。

摯が有莘に戻ってきた知らせは湯の元に届いた。湯は三顧の礼で摯を迎え入れた。

摯は湯に会って、根深くあった商への反感などが揺らぎだした。湯の器量は桀よりはるかに大きい。湯も摯の中に民を慈しむ広い心があることを知った。

湯は摯に朝貢の使者として夏邑にたたせた。

摯の急務は商の使者として夏への入朝をはたすこと、逆賊の汚名をすすぐことである。

この頃、商は疲弊しきっており、ここで攻められたらひとたまりもなかったが、夏にはそのことは知られていないようだった。

摯は人質に似た境遇で桀の近くに仕えることになった。この間にも、湯はみだりに動かず、富国のための改革を地道に進めていた。

夏王朝の脆弱ぶりが知られ、諸后の心は離れている。さらに、夏王室と昆吾との反目は激化の一途をたどっている。昆吾の征伐には商をつかうことになった。

咎単は顎に預けていたが、摯が顎にとっての仇敵となる湯に仕えたことを知り咎単を摯の元に返し、交わりを絶つといってきた。

湯は苦しい国事情の中、摯を助けるためのことを何でもした。

桀は自らを神と称し、王宮の大改革を発表した。商には多くの象がいるので、象牙で廊下を飾らせるために、象牙を送れと命じた。摯は桀に悪霊がおりたとしか思えなかった。

商が昆吾と通じている有洛氏を伐つことになったころ、摯に嫁取りの話が来た。湯はすでに相手を決めているという。仲虺に連れられてきた女を見て、摯は商后湯の娘ではないかと思った。

有洛氏は滅びた。

摯は桀に呼ばれ、象牙を運んでくるように直接命を受けた。この頃、推哆と趙梁は湯を謀殺する計画をすすめていた。

仲虺は湯が王宮に参上したまま消えたという一大凶変の報を受けた。摯が桀に象牙を運ぶように直接命ぜられたと聞いても、仲虺は摯に図られたのではないかと考えた。

やがて、仲虺は夏の朝廷が商が立ち枯れになることを待っていることに気が付いた。そして、夏王室と昆吾氏が手を結んだことを知る。

ともかくも、湯の行方を知らなければならない。摯は本気になって南方を歩いて象牙を集めているらしいことが仲虺にはわかり、摯を信ずる気になっていた。

やがて、湯の監禁場所が推定できた。「夏台」である。一種の聖域である。湯を殺していないことに不満なのは推哆だった。

二年続きの猛暑で湯は痩せ衰えた。これを助け出したのは摯たちであった。生きて夏台から還ったことは奇蹟であった。湯がもどって三年して商の国力は回復した。

商は昆吾氏の連合軍と戦うことになり、おそらくこれは夏王朝末期に行われた戦争としては最大規模のものとなった。

敗れた商だったが、おびただしい異族の旅をしたがえ、大反攻に転じた。中国の戦史上でも奇蹟に近い回復を見せた。

摯は仲虺に九夷の力を得るために一年が必要だという。南方を巡ったおりに、九夷にも行ったのだ。九夷とは九つの異族の総称で、この力を借りないと中間を制覇できなかった。その位の実力を備えていたのだ。

その九夷が商のために腰を上げてくれた。

そして鳴條の戦いが始まる。

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本書について

宮城谷昌光
天空の舟 小説・伊尹伝
文春文庫 計約八一五頁
夏~商(殷) 紀元前17世紀

目次

大洪水
王宮での生活
商の叛乱
北からの凶風
莘邑の危機
いけにえの使者
舟の橋
野人二人
仲虺暗殺計画
東方会戦
商からの脱出
土笛の少年
西方の花
楽園の夢
湯の訪問
入貢の使者
有洛氏の怪
関龍逢の死
摯の結婚
湯を待つ罠
一大凶変
夏台の囚人
陽城の暗闘
商軍の敗退
大反攻
昆吾連邦の崩壊
鳴條の戦
桑林の雨

登場人物

摯(し)(伊尹(いいん))
咎単(きゅうぜん)
商后(天乙)成湯(せいとう)(湯王(とうおう))…商王朝を開く
仲虺(ちゅうき)
顎(がく)…葛人
螽(しゅう)
有莘(ゆうしん)氏
葛伯
発…十六代目夏王
関龍逢
桀(けつ)…十七代目夏王
妺嬉(ばっき)…莘の后女
推哆
趙梁
終古…史官
昆吾伯
費伯