深沢秋男の「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

幕末の江戸城に近い九段坂下に井関隆子という旗本夫人がいた。彼女の存在を後世に伝える事になったのは、五年間にわたる膨大な日記である。

日記は天保の改革が行われた天保十一年(一八四〇)一月一日から十五年(一八四四)十月十一日まで書かれている。井関隆子が五十六歳から六十歳までである。

息子は御広敷御用人で十一代将軍徳川家斉の正室・広大院(松の殿)の掛を長年勤めたので、江戸城大奥の様子が詳細に伝えられる事となる。

正確な情報に裏付けられているため、天保期の歴史に修正を迫るものを少なからず持っている。

この日記は蔵書家の鹿島則文が桜山文庫として蒐集したものの中にあった。

日記は著者自筆の写本で天下一本である。全十二冊、墨付合計九百六十六丁(千九百三十二頁)、十八の挿し絵が入っている。

彼女がこの日記を書き始めたのは「とりたてて、何事かは言はれむ。しかれども、つれづれなるもののすさびには、はかなき事をも記しつつ、心を遣るよりほかの慰めなむなき」という心境からの事であった。

日記に書かれている江戸の年中行事では、元旦、年越し、鏡開き、十四日年越し、初午、雛祭、出替わり、更衣、灌仏会、流鏑馬、端午の節句、両国の川開き、山王祭、七夕、四万六千日、草市、廿六夜待ち、十五夜、重陽、十三夜、神田祭、玄猪の祝い、子祭、宮参り、事始め、煤払い、等である

日記には落語の「品川心中」と筋立てが非常に共通するものが書かれている。この事件が落語の原話となっている可能性があるようだ。

天保の改革の迷走ぶりを示す事件として「三方所替」が書かれている。松平斉典を庄内へ、酒井忠器を長岡へ、牧野忠雅を川越へというものだった。

結局は様々な事情から中止する事になるのだが、幕府の権威の衰退を象徴する事件として扱われる事になる。

この「三方所替」については、藤沢周平が小説「義民が駆ける」で描いている。

将軍の没日に関して。従来の歴史書等と井関隆子の日記との間には日時に差違が見られる。

幕府の正史などとともに、地方の史料等を参照しなければ、真相は明らかにならない。

そもそも、将軍の没日の公表は遅れてされるものである。政治的な意図によるのだが、同じく、幕府の徳川正史などにも政治的な意図が入り込む可能性が否定できない。そうした意味で、井関隆子のような一次史料というのはとても重要性を帯びてくる。

この井関隆子の日記のような重要な史料というのは各地に眠っている可能性が高い。

従来の時の権力が遺した史料を裏付けるため、もしくはその誤りを修正するためにも、こうした史料から真実を探り出す必要がある。同じ側からしか歴史を見ないというのは、歴史学の科学性を否定しているようなものである。多角的に見るためには、地方に散らばっている史料を新たに掘り出す必要があるはずだ。

こうした重要な史料で、陽の目を浴びていないものはまだまだあるはずである。ものによっては海外に流出している可能性もあるだろう。

学者たちのやるべき事はまだまだある。

研究室に閉じこもってばかりではなく、このような一級の史料を探し求めていくのが今後の歴史学者のあるべき姿だと思う。

【詳細な目次】

はじめに
第一章 旗本夫人の批評眼-心の風景と幕末の記録
 一 鹿島則文と桜山文庫
    蔵書家の数奇な生涯 三万の珍籍奇冊
 二 血縁なき家族との暮らし
    隆子の離婚と再婚 恵まれた家計
 三 活き活きとした主婦の記録
    多岐にわたる筆先 旺盛な批判精神 情報が集まる環境 書かねばならぬ日記へ
第二章 江都有情-武士と町人の生活
 一 井関家の四季
    九段坂下の屋敷 鹿屋園の庵主 豪華な元旦の拝領物 愛酒家の月見 花見の趣向 絶好の酒肴 四谷の実家の復興
 二 江戸の風俗・風聞
    将軍上覧の天下祭り 改革下の神田祭 両国の川開き 盛大な佃島の花火 浅草の「眼力太夫」 平将門の首を拝む 永代寺の陰間
 三 江戸の事件簿
   イ.旗本心中事件
      思わぬ人違い 一線を越える 心中決行の暁
   ロ.品川心中事件
      冤罪・騙り・恨み 江戸詰め侍の女遊び 女の裏切り 幽霊登場 落語の原話か
   ハ.余聞・風聞
      上総のふたなり 長安寺の好色僧
第三章 天保の改革-衰退する統治力
 一 迷走する改革
    書かずにおれない三方所替 出羽の駕籠訴 羽黒の山伏 三方所替の中止 家斉没日の謎 家斉側近の罷免 大奥も粛清 三佞人の評判 寄合に降格された人々 天保の改革、発令さる 二宮尊徳の印旛沼工事 氏栄の左遷 燃える土 工事が中止に 上地令に不満続出 将軍の真意 忠邦への反発 利で行えば恨み多し
 二 日光東照宮への長い道のり
    将軍、最後の参詣 葬式用具を持参 演習の見物衆 将軍家慶、出発す 社参の意義
 三 水野忠邦批判
    賄賂を求める人物 八王子村のいざこざ 隆子の小説のモデル 罷免に世間は歓呼 忠邦の返り咲き
第四章 江戸城大奥-エリート官僚は見た
 一 中奥と大奥をつなぐ御広敷
    大奥のトップ事務官・井関親経 御用人拝命 名代で京に出張 莫大な出張手当て 大名並みの旅立ち うるわしの上方土産
 二 将軍家斉の素顔
    植物愛好家 九段坂上の火除け地 権勢ふるう中野碩翁 同性愛の殿様たち 大奥に粛清の嵐 家斉の没日は? 幕府の公式記録 奥医師の大失態 家斉の葬儀 あやしい徳川正史
 三 将軍家慶の心持ち
    猿楽愛好家 家慶夫人の没日 日蓮宗批判 養女を歓待
 四 家定夫人の謎
    正夫人の実父 光格天皇の崩御 有姫との縁組 有姫の実父は誰か
 五 江戸城、炎上す
    早朝の出火 大慌ての大奥 早い火の廻り 黄金白金も焼失 出火元と死体の始末 家定の見舞い品
終章 井関隆子という自我-近代の眼差し
 一 確かな歴史意識と人間意識
 二 天保期の批評者
 三 豊かな学識と知性
 四 旺盛な好奇心と執筆意欲
 五 旗本夫人の気位と気品
 六 敬愛された母・祖母
あとがき
井関隆子関連略年表
参考文献

目次

はじめに
第一章 旗本夫人の批評眼-心の風景と幕末の記録
第二章 江都有情-武士と町人の生活
第三章 天保の改革-衰退する統治力
第四章 江戸城大奥-エリート官僚は見た
終章 井関隆子という自我-近代の眼差し
あとがき
井関隆子関連略年表
参考文献

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