司馬遼太郎の「竜馬がゆく」第8巻の感想とあらすじは?

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坂本龍馬。享年三十三歳。

司馬遼太郎氏は言います。

『天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。』

坂本龍馬と中岡慎太郎が死ぬのは慶応三年十一月十五日です。

諸説ありますが、司馬遼太郎氏は、刺客を見廻組組頭佐々木唯三郎指揮の六人としています。

あとがき一にこうあります。

『坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。
たしかに、そうであったろう。同時代に活躍したいわゆる英雄、豪傑どもは、その時代的制約によって、いくらかの類型にわけることができる。型やぶりといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。
竜馬だけが、型破りである。
この型は、幕末維新に生きた幾千の志士たちのなかで、一人も類例をみない。日本史が坂本竜馬をもったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか。』

坂本龍馬は幕末期に二度の大転換を行いました。

それは、薩長同盟であり、大政奉還でした。

勝海舟をして、後年、そう言わしめました。

その大政奉還が実現した場面でのこと。

『と、一同は竜馬の膝の上の後藤の文章をのぞきこむと、なんと大政奉還の実現がありありと報じられているではないか。
みな、声をうしなった。首領の竜馬が、依然として言葉を発せず、顔を伏せたままで凝然とすわっているからである。
やがて、その竜馬が顔を伏せて泣いていることを一同は知った。
(中略)
大樹公(将軍)、今日の心中こそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よく断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。
と声をふるわせつついった。竜馬は自分の体内に動く感激のために、ついには姿勢をささえていられぬ様子であった。』

この大政奉還を仕上げたことで、歴史的に坂本龍馬の役割というのは終わったのかも知れません。

そして、司馬遼太郎氏のいうように、天の意思によって、天に戻っていきました。

坂本龍馬の最期は、斬られて終わっています。

北辰一刀流・千葉貞吉道場で塾頭までつとめた男が刀に倒れたのです。

ですが、思い起こせば、坂本龍馬という男は、その生涯において、刀で人を殺めたことがありませんでした。

そもそも、一流の志士といわれた男たちは、刀で殺していません。

桂小五郎しかり西郷隆盛しかりです。

こうした人物は、刀を抜くことの無意味さを分かっていたからこそ、回天の大事業を成すことが出来たのです。

小説(文庫全8巻)

内容/あらすじ/ネタバレ

竜馬の活躍が始まった。

土佐の幹部たちにも会い、薩摩の西郷にもあった。西郷は大政奉還が出来るのかと驚いた。
それゆえ、例の倒幕の火蓋を切るのを待って貰いたいと竜馬は頼んだ。西郷はこまったことをいうと思った。

西郷から大政奉還の話しを聞いた中岡慎太郎は竜馬に腹を立てた。苦心惨憺して積み上げた計画が、竜馬の出現で瓦解してしまうではないか。

竜馬は中岡を前に、落ち着けといった。
今の時点で、京に長州の兵は零。薩摩は千人足らず。幕軍に勝てる見込がない。竜馬は兵力が同一時期に集まらなければ戦力にならないと考えている。今のままでは駄目だということだ。

それに、大政奉還こそが武力倒幕の道でもあるという。つまり、大政奉還案を土佐藩公論として薩摩藩に働きかけ、薩摩の賛同を得る、となれば、動議上提の名目によって藩兵上洛の理由になる。同一時期に兵が京に集まることになるのだ。

動議は土佐藩から出る。薩長の後塵を拝してきた土佐人たちも多いに面目を一新することになる。

竜馬の大政奉還案は、一種の魔術生を持っている。倒幕派にも佐幕派にも都合よく理解されることが出来たのだ。

数日たった。この間の奔走は中岡慎太郎に帰すべきである。

「大政奉還」というのは、幕末の危機的情勢下で演ぜられた最大の史劇といっていい。

重要な脇役がいる。土佐藩大監察の佐佐木三四郎だ。筆者は、佐佐木三四郎の人柄に一種の悪意を感じるらしい。書きながら、そのように気づいてきた。佐佐木三四郎は、立身出世型の官僚の特質がある。

この佐佐木の主任務は大政奉還案をもって京都藩邸の意見を統一せよというものである。

この佐佐木にあった竜馬は、まがいものかも知れないが、そうとしても本物同然で使えるまがいだ、と見て取った。となると、本物にしてしまうより手がない。

中岡慎太郎は竜馬の海援隊を羨ましく思っていた。自分の陸援隊には、海援隊ほどの人材はいない。竜馬には優れた女房役が多かった。長岡謙吉、陸奥陽之助などなど…。

竜馬は中岡のために田中顕助と那須盛馬をよこした。
大政奉還案を幕府側に提示するに誰をと考えていた竜馬は永井主水正を思い浮かべていた。経歴は勝海舟によく似ている。

竜馬の毎日は忙しい。
この中、万国公法の翻訳を長岡謙吉と陸奥陽之助にやらせていた。だが陸奥がさぼっている。

陸奥は酒宴で仲間が酔っている時に、一人醒めており、さらに酔っているやつをへらへらと冷笑している具合である。

竜馬もその状態はわかる。それは武市半平太が土佐勤王党を組織した時のことだ。竜馬も参加したが、どうしても酔えなかった。だが、一緒に酔った振りをした。でなければこの世で大事業はなせぬ。

そして、陸奥らに万国公法の翻訳をさせているのは、新政府ができたとき、万国公法を知っているものはいないだろう、そのために一日でも早く翻訳が必要だからであり、そして、外国のことを海援隊が引き受けねばとんでもない国辱が起きる。その外国のことを陸奥に一手にやらせるつもりなのだ。

陸奥は目が覚めたような顔をした。そこまで竜馬に評価されているとは思わなかったのだ。

竜馬に降って湧いたような事件が持ち上がった
長崎で海援隊の隊士が、英国海軍の水兵二人を斬殺したらしいというのだ。

竜馬は密勅降下の秘密工作が依然として進んでいることを知った。そこで岩倉具視の説得に出向いた。

竜馬は長崎にいくことにした。この事件を場合によっては、鷺を烏と言いくるめてもそういう方針で解決するつもりだ。

道中、竜馬は思っていた。薩長の士には、維新回天後の構想がない。こうなると頼むのは土佐の士である。土佐の連中に竜馬の構想を吹き込んでゆくしかない。

イギリス側の公使はパークスである。広東駐在のときに身につけたのは、東洋人には恫喝をもってすべきというものだった。パークスはこの時もそうした。

だが、相手が悪かった。土佐を代表してきたのが後藤象二郎だった。後藤はパークスの恫喝にむしろ冷笑をもって対応した。明らかに後藤はパークスが今までに相手にしてきた東洋人と異なっていた。パークスは態度を改めざるを得なかった。

桂小五郎が伊藤俊輔を連れて長崎に現われた。竜馬に大政奉還案が武力倒幕の思想を含むのかそうでないのかを聞き出すためである。
桂が恐れるのは無血革命を竜馬が夢見ているのではないかということである。

幕府は土佐藩から出された大政奉還の建白書を無視することは出来なかった。却下すれば、それを理由に薩長は幕府こそ朝敵であると倒幕軍をおこすだろう。

このころ、竜馬は長崎の水兵斬り事件を片付け京に入った。

時間との戦いである。倒幕の密勅降下の陰謀は岩倉具視と大久保一蔵が進めている。その密勅が降りる前に大政奉還を成さなければならなかった。

大政奉還成る。
わずか半日の差であった。

竜馬にしてみれば、あとは倒幕急先鋒の三人の大謀略家をひきこみ、新政府樹立の中心的存在にしてゆかなければならない。でないと、革命の流れが、坂本・後藤閥と岩倉・西郷・大久保閥にわかれてしまう。

竜馬はひっこむことにした。
その人選の腹案を西郷に示した。

西郷はその腹案に竜馬の名前がないことに不審を抱いた。
これに対して、竜馬は「世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えた。

竜馬は新政府に財政に明るい人物の必要を思い、越前の三岡八郎を推挙していた。三岡は以前に竜馬に対して金札の発行をといている。兌換紙幣のことである。

この三岡の手元に竜馬の写真が残されたが、あるとき、三岡は強風が吹いた時に写真をうしなってしまう。丁度その頃、竜馬と中岡慎太郎が暗殺されていた。

本書について

司馬遼太郎
竜馬がゆく8
文春文庫 約四四〇頁
江戸幕末

目次

夕月夜
陸援隊
横笛丸
朱欒の月
浦戸
草雲雀
近江路
あとがき一
あとがき二
あとがき三
あとがき四
あとがき五

登場人物

坂本竜馬
中岡慎太郎
陸奥陽之助宗光…伊達小次郎
長岡謙吉
菅野覚兵衛
沢村惣之丞
高松太郎…竜馬の甥
新宮馬之助
中島作太郎
桂小五郎…長州藩士
品川弥次郎
西郷吉之助
大久保一蔵
小松帯刀
岩倉具視
永井主水正
山内容堂
乾退助…後の板垣退助
後藤象二郎
佐佐木三四郎
岩崎弥太郎
松平春嶽
中根雪負
三岡八郎
パークス
アーネスト・サトウ
お登勢…寺田屋の女将
おりょう(お竜)…楢崎将作の娘
寝待ノ藤兵衛…泥棒
坂本乙女…竜馬の姉、坂本家三女
坂本権平…竜馬の兄、坂本家嫡男
春猪…龍馬の姪、権平の娘

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