覚書/感想/コメント
前田慶次郎利太。利益ともいう。一次史料が少ないため、わからない点が多い人物である。
前田利家の甥であるが、滝川家の血が流れている。本書では滝川左近将監一益の子という設定である。
「穀蔵院飄戸斎(こくぞういんひょっとさい)」や「龍砕軒不便斎(りゅうさいけんふべんさい)」とも名乗った。本書では「ひょっと斎」である。他書では「ひょっとこ斎」というのもある。
傾奇者として知られるが、本書の題名のように風流な人物でもあった。
だが、本書では題名と異なり、風流な人物というよりは、隠密のような人物として描かれている。ひたすら陰働きをするのである。
信長の時代には織田・前田家と上杉家の間を取り持ち、そして秀吉の天下ののちは前田家と上杉家のために陰働きをする。
今ひとつというより、まったく風流な感じがしないのが残念である。
さて、本書に登場する「蘭奢待(らんじゃたい)」は東大寺にあるため、寺の三文字を入れてそう呼ばれている。蘭の文字には東、奢の文字には大、待の文字には寺が入っている。この香木の元の名は黄熟香というそうだ。
同じく前田慶次郎を主人公とした小説。
内容/あらすじ/ネタバレ
前田慶次郎は幼少のころから気が強く、父・前田利久や母・阿知津をてこずらせ、乳母の於長もそれを気にしていた。
利久が荒子の城主になったころ、織田信長が岐阜の金華山に城を作り、荒子の城へ使者をよこした。
八歳になった時、慶次郎は勝手に馬に乗って熱田神宮に行った。そこで出会ったのが所山内記という侍だった。
慶次郎は叔父たちの中で利家が一番の苦手であった。しかし利家はこの小さな甥がどう成長していくのかを楽しみにしているようだった。
慶次郎は自由気ままな侍の生き方を考えていた。それは大将の器量を比べ、気に入ったほうの味方をするというものであり、恩賞の多いほうを選ぶというものだった。
二年後、慶次郎が十歳になったとき、織田信長の下知で前田家は四男の利家が継ぐことになった。利久は慶次郎らを連れて荒子の城を出た。
この荒子の城を出るときに乳母の於長が病で亡くなった。そして、於長こそが慶次郎の実母であることがわかった。
京へ向かうことになった慶次郎は、京の都には風流を教えてくれる人も多かろうと期待をした。
慶次郎は所山内記から京における情勢を教えてもらい、同時に父・利久が荒子を追われたのではなく、織田信長の計らいで足利義昭という人のために力を尽くそうとしていることを知った。
京に入る前に一行は奈良に向かった。この途中で慶次郎は申楽師の乗阿弥と出会った。
そして奈良の都で慶次郎が見たのは、松永久秀の軍勢によって焼かれる東大寺の大仏の姿であった。
永禄十一年(一五六八)から足掛け四年、慶次郎らは山城国伏見の藤の森近くに住んでいた。
慶次郎は利家が烏帽子親となって元服した。名乗りは利太と書いて「としたか」と読む。
慶次郎は織田信長のやり方が気に入らなかった。その目に映っているのが比叡山を焼き尽くす劫火であった。
慶次郎は申楽師の乗阿弥を訪ねた。そこには妹のおけいもいた。
この後、慶次郎は風流というものを何も知っていない自分に気がついた。
慶次郎は矢野伝左衛門によって馬から落とされた兄・宗助の仇を討とうとしていた。その場で、上杉景勝と出会った。
上杉謙信の甥が何故この場にいたのか。それは、景勝が謙信の意向を受けて、足利義昭には味方しないという口上を織田信長に伝えるためにやってきていたのだった。
織田信長が小谷城の浅井長政と越前の朝倉を攻めるために出陣した。慶次郎は戦陣の前田利家を訪ねた。そして、慶次郎は前田家から姿を消した。
天正五年(一五七七)。慶次郎を見かけたといううわさがちらほらと聞こえてくる。この五年の間どこでなにをしているのか。前田利家も利久もそれを思っていた。
慶次郎はよくよく信長を嫌っているらしい。それはいいが、越後に行き、上杉景勝と義兄弟の約束をしたようである。
この年、慶次郎は安土にいた。供には上杉家がつけてくれた小者の伊藤太というのがいる。伊藤太は伊賀の忍びである。
この前に慶次郎は上杉謙信に会っていた。謙信は信長から贈られた洛中洛外図を見て、信長の真意が知りたいといった。謙信は慶次郎に織田家と上杉家の間に立って役目を果してくれないかという。
この一言で慶次郎はもと将軍の義昭に会うため、毛利家までゆくという長い旅についたのであった。
上杉家と織田家の関係が緊迫している。羽柴秀吉と会った慶次郎は、秀吉から上杉家の気持ちを和らげる方法はないかと聞かれる。
慶次郎は越前を越えて加賀に入り、七尾城を見ようと思った。そして、そのまま謙信に会って進言しようと考えていた。
七尾城では上杉派と織田派が睨みあいを続けている。慶次郎はそれに巻き込まれないようにと考えていたが…。
上杉謙信が死んだ。慶次郎は景勝と会い、しばらく離れる旨を伝えた。それは上杉家中の争いごとを見たくなかったからである。
慶次郎はそのまま甲斐を経由して京へ向かった。そして、その頃、武田勝頼が妹・菊姫を景勝にめあわせるという噂が聞こえてきた。何人かが間にあって、人渡ししたのではないかという噂があった…。
慶次郎が織田信長に呼ばれた。この後、慶次郎の姿が消えた。
だが、慶次郎が信長とツレ舞をしたという噂が流れ、舞の後に二人で長い間話していたという。そして慶次郎はひどく上機嫌で安土城を出たという。その後、慶次郎の姿が春日山城にあったともいう。
しばらくして、織田家と本願寺家の和睦がなった。
慶次郎は申楽師乗阿弥の妹おけいと夫婦になった。
それを知った信長は、おのれの信じるままに自由に生き、出世も権力も持たない慶次郎をうらやましいと、呟いた。
明智光秀が信長に反旗を翻した。それを聞いた慶次郎は息を飲んだ。急変は前田利家にも伝えられた。
慶次郎は、明智を討った羽柴秀吉と上杉家の仲を取り持つことになりそうだった。一方で、前田利家は柴田勝家に対する義理がある。
慶次郎は秀吉の内意を受け、春日山城の上杉景勝を訪ねた。この橋わたしは景勝も待っていた機会であった。
天正十三年正月。大坂城の秀吉から所山内記を使者として慶次郎を迎えに来た。
そのまま、慶次郎は大坂城内の能舞台建築の仕事を与えられ、とどめ置かれた。
慶次郎が前田屋敷に呼ばれ、利家から城を一つ与えられた。だが、しばらくすると城のあるじというのが自分に向いていないことを知る。
慶次郎の家臣たちは景勝があずかるという形になった。
本書について
村上元三
戦国風流 前田慶次郎
人物文庫 約三四〇頁
目次
荒子城の暴れ者
南都炎上
動乱の都
おけいの笛
ひとり武者
小谷の城
洛中洛外図屏風
春の雨
君は舟、臣は水
仲秋の陣
影の旅
信長の声
大馬揃え
蘭奢待
本能寺炎上
天下人の器
鍾馗の馬印
大坂城絵図
手鏡
雪の城
会津騒動
人の世
浮雲
一碗一文
登場人物
前田慶次郎利太
伊藤太…小者、忍び
前田利家…叔父
前田利久…父
阿知津…母
前田宗助…兄
於長…乳母
乗阿弥
おけい
所山内記
織田信長
豊臣秀吉(羽柴秀吉、木下藤吉郎)
矢野伝左衛門
上杉喜平次景勝
上杉謙信
遊佐盛光
乃江
高山右近