記事内に広告が含まれています。

海音寺潮五郎の「戦国風流武士-前田慶次郎」を読んだ感想とあらすじ

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

覚書/感想/コメント

戦国時代を彩る快男児の一人前田慶次郎利太。

武勇に優れるばかりでなく、この時代の武人としては珍しいくらいに文学や技芸に通じていた。だが、一方では傾奇者でもあった。こうした慶次郎を海音寺潮五郎は傾奇者とは言わずに「途方もない気ままもので、世を屁とも思わないことばかりをする」と表現している。

だが、こうした慶次郎も恋にはウブなようで、名古屋山三郎とお篠から迫られる場面などは滑稽で可笑しい。

二人が一つ屋根の下で鉢合わせ、双方からなじられるという、せっぱ詰まった状態でも、慶次郎は源氏物語にも伊勢物語にもこうした境地が出ていないと嘆くばかりである。

この話と同じく進行する石川五右衛門を巡る関係も面白い。こちらでは、慶次郎の謀略を嫌う真っ直ぐな人間性が強く描かれている。

エピソードに事欠かない慶次郎であるが、入道して「ひょっと斎」と号するようになってからの出来事も面白い。

家康の上杉討伐軍と対決するために出陣準備をしているときのこと。

慶次郎は「大ふへんもの」というさしものをしている。「大武辺者」とは何事だと息巻く者どもを相手に、慶次郎は「いやいや、長らくの浪人暮らしに、妻子もなく、不便この上ない。大不便者だ」という。またしても、慶次郎流の冗談なのだ。

紛らわしいから、にごりを打てというと、この返答がウィットに富んでいる。

慶次郎は「本来、仮名文字はそのまましるし、読む人が意味をくんで、にごるべきはにごって読むのだ。面白い話に、さる町人が堂上家にまいり、和歌一首をしたためた短冊をもらった。

下の句に「かすみそのへのにほひなりけり」とあった。「霞(かすみ)ぞ野べのにほひなりけり」と読むべきを「粕味噌(かすみそ)の屁(へ)の臭ひなりけり」と読んでしまい笑われた」という話をする。

また、徳川の旗本を風呂でからかう話も面白い。こちらは本書で読まれたい。

上杉家への仕官を持ちかけた直江兼続。彼もまた教養ある武人であった。兼続が朝鮮から持ち帰ったものの中に、五臣註の「文選」と宋版の「史記」があった。兼続は「文選」を自らの手で出版し、「史記」は慶次郎との二人で註釈と批評を加えて上杉家の書庫の蔵めた。

慶次郎が上杉への仕官を決めたのは、こうした兼続の教養の豊かさもあったのかも知れない。

さて、上杉家の大幅削封の際には慶次郎にも暇を出されたらしいが、上杉景勝以外での奉公はできないと、他家からの仕官の口を断り、五千石から五百石に身代を落として終生上杉家に仕えた。

同じく前田慶次郎を主人公とした小説。

スポンサーリンク

内容/あらすじ/ネタバレ

豊臣秀吉の小田原城攻めの時のこと。

叔父・前田利家について来ていた前田慶次郎利太。絶倫の武勇があり、文学のたしなみが深く、書道、茶の湯、香道等の技芸にも通じ、文武兼備の武士なのだが、途方もない気ままもので、世を屁とも思わないことばかりをする。

だから、この度の小田原城攻めの秀吉のやりようには、ついフンと言いたくなってしまう。

そして、慶次郎はこの陣中で秀吉が退屈を慰めるために催した仮装大会で猿回しに扮し、周囲の顔を青ざめさせた。秀吉がさるに似ていることは誰もが知っており、そして、そう人に言われることを嫌っているのも知っているからである。

いたずらがたたって、慶次郎は加賀へ追い返された。帰ってからは読書に没頭する慶次郎であった。

…慶次郎は本阿弥光悦と親交がある。光悦が加賀に来ているときはいつも訪問して風雅談にふけることにしていた。本阿弥光悦は稀世の天才芸術家である。この本阿弥光悦がいる間の出来事である。

慶次郎は家老の村井又兵衛宅を訪れた。そこで、とても美しい女性に出会い、心奪われる。女性は又兵衛の娘でお篠といった。やがて、二人の間には婚約ができた。

だが、ある出来事をきっかけにこの婚約は上手く周りにし向けられたものだということに気がつく。

そして、叔父の利家を、生まれ変わった記念の茶事と称して呼び出し、真冬にもかかわらず水風呂に突き落とし、行きがけの駄賃とばかりに駿馬の松風を頂戴して加賀を飛び出してしまう。

…加賀を飛び出した慶次郎は京へ出て、本阿弥光悦へ身を寄せた。それから間もなく朝鮮出陣の動員令が下った。

京では後に歌舞伎で有名になる若き日の名古屋山三郎に出会う。そして石川五右衛門とも。

…豊臣秀吉がみまかり、世は再び騒然としてきた。慶次郎は再び仕官をすることにした。仕官先は上杉景勝で、誘ったのは直江兼続であった。

景勝にお目見えする日、手みやげに慶次郎が持ってきて、三方の上にのっけたのは三本の大根だった。

そして、上杉景勝が家康の専断怒り、会津に戻る直前のこと。

慶次郎は皆朱の槍を堂々と持ち歩いた。皆朱の槍は抜群の武勇を意味することであり、上杉家中の勇士達が色めき立った。だが、慶次郎は武功で許されたものではなく、先祖代々のもので、前田の家にそなわる格式だとさらりといいのける。

会津に戻ってからは、上杉の勇士等が皆しゃくにさわっている林禅寺の和尚を機知でなぐりつける。

この和尚をなぐりつけるために髪を剃っていた慶次郎はそのまま入道することにした。号を穀蔵院忽々斎という。忽々斎とは「ひょっと斎」と読むのだという。

「人の世のことは、一寸先はわからん。ひょっとすればひょっとする。さればひょっと斎というわけ」

本書について

海音寺潮五郎
戦国風流武士 前田慶次郎
文春文庫 約二七五頁 戦国時代

目次

山王の神
駿馬松風
恋談義
六条柳ノ馬場
名古屋山三
朱金のよそおい
石川五右衛門
内外蹉跌
からくりの世
激湍
土大根
ひょっと斎出陣
河原歌舞伎
白雲悠々

登場人物

前田慶次郎利太
前田利家
お松…利家夫人
村井又兵衛…家老
お篠…又兵衛の娘
豊臣秀吉
本阿弥光悦
名古屋山三
お国
石川五右衛門
上杉景勝
直江兼続