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森田安一の「物語 スイスの歴史」を読んだ感想

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覚書/感想/コメント

スイス。歴史的に政治は中央集権を嫌い、地域主義をとり、そのため連邦は二次的形成物にすぎず、主体はカントン(州)である。複数言語国家でもあり、宗教は改革派、カトリック、古カトリックを主体とする。国家としての歴史はドイツ語圏地域を中心に始まった。

ケルト人のうち、現在のスイスに居住していたのはヘルウェティイ族だった。カエサルによると他のガリア人(ケルト人)に比べて武勇に優れ、軍事力抜群、好戦的な部族だったようだ。このヘルウェティイ族を利用して、カエサルはゲルマン人の南下を防ぐローマの盾にするつもりであった。

その後、ヘルウェティイ族の地にもローマ支配の拠点としての植民都市が建設される。カエサルが目をつけたのは現在のニヨンであった。

前十五年にはアルプス全域がローマの支配下に入り、スイス全体がローマの支配下となる。

四〇一年以降のローマの貨幣や碑文が見つからないことから、この頃のローマ軍の徹底的な撤退が見られる。そして四七六年に西ローマが滅ぶと、北東スイスは西ローマの名目上の後継者である東ゴート王国の支配下に入ったようである。西部スイスではブルグント王国が独立し、このブルグント人が定住した地域はフランス語を話す地域となっていった。

カール大帝とスイスの関連というのは典型的なものがチューリヒにあるようだ。それまではヨーロッパ政治の辺境にあったスイスだったが、カール大帝の死後、フランク王国が分割されると脚光を浴びるようになる。

積極的な修道院政策が行われ、スイスはカロリング支配領域の中で最も修道院が乱立することになる。

一〇世紀には。マジャール人が東から侵略してバーゼルが攻略されている。南からはイスラム教徒の脅威もあった。

こうした中、アールガウの伯権力を握ったレンツブルグ家とブルグントと縁戚にあるラインフェルデン家が力をつけていく。

叙任権闘争の時代を過ぎると、ラインフェルデン家が断絶し、「マインツの平和」によって一一世紀末にはツェーリンゲン家がスイスに支配の地歩を築く。だが、このツェーリンゲン家も一三世紀初頭に解体すると、帝国封土が皇帝に戻され帝国都市となる。

その後スイスで台頭し始めたのが、キーブルク家である。同じ頃東スイスではハプスブルク家がおきていた。

一四世紀にはペストの流行や飢饉によって人口が激減する。経済的に優位にある都市だけが生き残っていくことになる。

ハプスブルク家がスイス最大の封建君主となるのは「老ルードルフ」の時からであった。この老ルードルフは大空位時代を終わらせるためにドイツ国王に選出される。諸侯の思惑とは逆に、ルードルフは老練な政治家であり、後のハプスブルク家の繁栄の基礎を築く。

ハプスブルク家の台頭する以前から中央スイスの三地域は帝国都市なみの自由と自治を享受していた。ルードルフが死ぬとすぐの二週間後の一二九一年八月一日に永久同盟を結ぶ。スイス国家誕生の出発点となり、八月一日はスイスの建国記念日となっている。

この後にも原初三邦は改めて、モルガルテン同盟と呼ばれる同盟を結んだ。同盟関係は変わることなく、一七九八年のスイス革命まで持続することになる。

ハプスブルク家との対立関係が生まれると、チューリヒは原初三邦およびルツェルンとの同盟を一三五一年に締結する。

このように、一三三二年から一三五三年にかけて五つの同盟が締結され、八邦同盟が成立することになる。

一方で、中央・東スイスとは異なって、西スイスではサヴォワ家と戦わなければならなかった。

ネーフェルスの戦いによって一三八九年に盟約者団とハプスブルク家は休戦条約を締結する。これによってハプスブルク家はスイス地域の支配体制をほぼ瓦解させられる。

一五世紀初頭には、ハプスブルク家の根拠地アールガウを盟約者団の共同支配地として獲得する。

こうして一五世紀後半にはスイスの北東南では輪郭が見えてくる。西ではブルゴーニュ公国との対決が待っていた。

ブルゴーニュ戦争が終わり、シュタンツ協定が結ばれることとなる。それまで緩い連合体でしかなかった盟約者団を結束することになった。

一五世紀にもなると、人口増加が始まり、労働人口が過剰気味となる。すると傭兵出稼ぎが積極的に行われるようになる。

一五一三年にはスイス盟約者団の一三邦時代が始まる。

チューリヒではツヴィングリが宗教改革を実施する。ジュネーヴではカルヴァンが登場し、スイスでの宗教改革が本格的に始まっていく。

三〇年戦争中には中立を維持し、ウェストファリア条約によって国際法上スイスの独立が承認される。

ナポレオンの登場によって、スイスは衛生国家となるが、ウィーン会議でスイスの永世中立が承認されることになる。

*詳細な目次は下記のとおり

まえがき
第1章 カエサルからカール大帝へ ケルト、ローマ、ゲルマン
 ケルト/ローマ時代/アウェンティクムの建設/帝国の衰退とゲルマン諸部族の侵入/ブルグント王国/アレマン公国/カール大帝/修道院、王宮、都市/ブルグント王国とシュヴァーベン公国
第2章 神聖ローマ帝国 諸侯割拠の時代
異民族の侵入と神聖ローマ帝国/叙任権闘争/ツェーリンゲン家の台頭/キーブルク家の登場/帝国都市/都市貴族マネッセ
第3章 スイス盟約者団の成立 原初三邦同盟から八邦同盟へ
 ハプスブルク家の台頭/「ルードルフと司祭」伝承/「帝国自由」の特権/「永久同盟」/モルガルテン同盟/ルツェルン同盟/チューリヒ同盟/八邦同盟の成立
第4章 対外膨張の時代 強国スイス
 サヴォワ家との戦い/ネーフェルスの戦い/共同支配地の獲得/古チューリヒ戦争/ブルゴーニュ戦争/シュタンス協定/シュヴァーベン戦争/ミラノ戦争
第5章 宗教改革と対抗宗教改革 盟約者団の分裂の危機
 ツヴィングリとミラノ戦争/チューリヒの宗教改革/公開宗教討論会/スイス各地への改革派の浸透/カペル戦争/フランス語圏の宗教改革/対抗宗教改革/スイスの縮図、グラウビュンデン
第6章 アンシャン・レジームの時代 門閥寡頭政治の矛盾
 三十年戦争とスイスの独立/スイス農民戦争/フィルメルゲン戦争/傭兵制の盛衰/ルイ十四世時代のスイス外交/瀕死のライオン/諸邦の経済・社会の変化/ベルンの門閥支配/チューリヒの企業家支配/ジュネーヴ 革命の実験室/農村邦
第7章 変転するスイス 革命と復古
 フランス革命とスイス/フランス名誉市民、ペスタロッチ/ヘルヴェティア共和国/小復古 「調停法」下のスイス/諸協会の設立/大復古 「同盟規約」下のスイス/永世中立の実現
第8章 連邦国家への道 分離同盟戦争前後
 自由主義者の台頭/保守派の抵抗/アールガウ事件/「分離同盟」の形成/分離同盟戦争/連邦国家の誕生/軍事制度/連邦憲法の改正規定
第9章 すべては国民によって 合意民主主義へ
 アルフレート・エッシャー/教育政策/言語政策/鉄道と金融/すべては国民によって/「ひとつの法、ひとつの軍隊」/連邦憲法の改正/合意民主主義の開始
第10章 戦争と危機 両大戦間の苦悩
 工場法の制定/新たな対抗軸/比例代表選挙制の成立/第一次世界大戦/ゼネストの失敗/スイスのファシズム/社会民主党の路線転換/戦間期の外交/第二次世界大戦/中立の影の部分/ユダヤ人亡命者
終章 二一世紀の入り口にたって
 直接民主制への復帰/「魔法の公式」の成立/一九九九年の国民議会選挙/連邦憲法の全面改正
あとがき
図版出典
参考文献
年表

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本書について

物語 スイスの歴史
森田安一
中公新書 約二七〇頁
解説書

目次

まえがき
第1章 カエサルからカール大帝へ ケルト、ローマ、ゲルマン
第2章 神聖ローマ帝国 諸侯割拠の時代
第3章 スイス盟約者団の成立 原初三邦同盟から八邦同盟へ
第4章 対外膨張の時代 強国スイス
第5章 宗教改革と対抗宗教改革 盟約者団の分裂の危機
第6章 アンシャン・レジームの時代 門閥寡頭政治の矛盾
第7章 変転するスイス 革命と復古
第8章 連邦国家への道 分離同盟戦争前後
第9章 すべては国民によって 合意民主主義へ
第10章 戦争と危機 両大戦間の苦悩
終章 二一世紀の入り口にたって
あとがき
図版出典
参考文献
年表