覚書/感想/コメント
ヨーロッパの粋を集めたロンドンにあるワドスドン館。フランス・ワインの第一級の格付けを持つ五つのブランドの内、ラフィットとムートンの二つ。イギリスがスエズ運河の株式を握るために必要だった資金。ツタンカーメンの発掘の真のスポンサー。などなど…。
こうしたものは全てロスチャイルド家に絡むものである。
このロスチャイルド家は二〇〇年を超える歴史を持つ。その始まりは、父と五人の息子の物語からはじまる。
この初代と五人の息子の話は面白い。小説のネタとしても最高の部類に入るだろう。
一族に伝わる話では、初代のマイヤー・アムシェルは死に臨んで、紀元前六世紀頃のスキタイの王の話をした。
日本でも馴染みの深い毛利家の三本の矢と同じ内容のものだ。ロスチャイルド家の場合、三本ではなく、五本だった。
五人の息子が束ねた五本の矢のように決して離れることなく力を合わせて稼業を発展させるように言い残した。この五人の息子は矢さながらにフランクフルトから、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリへと放たれる。
一族の連帯は最も大切な家訓となり、紋章に書き込まれた協調、完全、勤勉と最初に据えられる。またロスチャイルド家の事業は息子だけが継ぐものとされ、娘は決して参加できなかった。
またもう一つ大きな家訓は「語るなかれ」である。信用が大切な銀行家としての身だしなみとして必要であり、初代が財をなしたのもその口の堅さゆえだった。
初代マイヤーは一七八九年のフランス革命よりも前に、フランクフルトで金融業に手を染めた。一七六〇年代のことである。
中風ドイツのハノーバーの銀行で奉公をしていた二十歳のマイヤーが故郷に戻った時、二人の兄弟が古物商をしており、両親はなくなっていた。
マイヤーは古銭商になり、フランクフルトのヘッセン・ハナウ家のヴィルヘルム公に古銭を売り込むチャンスを得る。
マイヤーは「ヴィルヘルム公の宮廷御用商人 M・A・ROTHSCHILD」の看板を掲げた。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド商会の誕生だ。
英語ではロスチャイルド、フランス語ではロチルド、ドイツ語ではロートシルトと発音され、「赤い楯」を意味する。以後、マイヤーはこれを姓として使う。
両替商も兼ね、マイヤーはヴィルヘルム公の財政運営に関わろうと奔走し、ロンドン振り出しの為替手形の割引の仕事をもらうことになる。
マイヤーには五人の息子がいた。アムシェル、サロモン、ネイサン、カール、ジェームズ(改名前はヤコブ)である。
アムシェルとサロモンをヴィルヘルムスホーヘ宮殿に差し向けサービスに務めさせ、三男ネイサンをイギリスのマンチェスターに送り込んだ。
やがてネイサンは綿製品の利益に魅力がなくなったと考え、一八〇四年ロンドンの金融街シティに姿を現した。
いよいよロスチャイルド家独特の国境を越えた金融ネットワークが動き始める。
ロスチャイルド家は暗号の手紙を使いながら、駅馬車を走らせていた。このことが役に立つ。
一八〇六年にナポレオンがプロシアに攻め込んできた。ヴィルヘルム九世は逃げざるを得なくなったが、財産の管理をロスチャイルド家に任せた。そしてロスチャイルド家に任された財産は見事ナポレオンに見つかることがなかった。
このナポレオンがイギリスを痛めつけるために大陸封鎖令を出すが、逆にこれを使って密輸によってロスチャイルド家は儲ける。
さらにはナポレオンへの反撃のための密書を運んだのもロスチャイルド家の駅馬車網であった。快挙はウェリントン将軍へ運んだ八〇万ポンド相当の金であった。
ロスチャイルド家の情報ネットワークはナポレオン最後の戦争のワーテルローの戦いでも威力を発揮する。
いち早くナポレオン敗北の情報を得ていたネイサンは、本来とは逆にイギリス国債を売りに出た。ネイサンの売りを見て、ナポレオンが買ったと誤解した市場は売りが殺到し、国債は暴落した。それを見たネイサンは今度は二束三文で買いに転じた。
この儲けでネイサンは天文学的な数字の儲けを手にしたといわれ、これがロスチャイルド家の基盤となったとされる。
ウィーン会議で旧勢力によるロスチャイルド家排除の動きが画策された。それを知ったロスチャイルド家は反撃に出る。
アーヘンで開催された会議の最中にヨーロッパ各地でフランス国債が暴落したのだ。フランスの財政が破綻しては賠償金が取り立てられないから、各国の代表は青ざめた。ロスチャイルド家の仕業だったのだ。
アーヘン会議から二年後の一八二〇年。二男のサロモンがウィーンに移住する。ハプスブルク家での仕事が増えたためである。
翌年には四男カールがナポリに移り住んだ。
ロンドンには三男のネイサンがおり、パリには五男のジェームズがおり、ここに五極体制が出来上がった。
一家が得意としたのは国債などの公債の起債である。そのため、国の安定が必要であり、その見通しが立たなければ、価格が下がって大損してしまう。つまり、ロスチャイルド家にとって戦争はマイナス要因でしかなくなっていた。
深刻な事態は一八三〇年のフランスの七月革命の後に起きた。一気に戦争へ突入の危険性を孕んだが、ロスチャイルド家は戦争の費用をどの国にもビタ一文出さないことにし、さらには軍事公債の起債を拒絶したため、どの国も身動きがとれなくなってしまった。
イギリスで鉄道が大成功するのを目の当たりにすると、ネイサンは他の兄弟に鉄道の利権を確保するように勧める。オーストリアのサロモンが飛びつき、パリのジェームズも大々的に鉄道事業に乗り出す。
金融資本家から産業資本家に徐々に体質が変化していく過程でもあった。
一八四八年のフランス二月革命はロスチャイルド家にかつてない打撃をもたらす。ルイ・ナポレオンがつくった「動産銀行」との死力を尽くした戦いが一〇年間ほど続くことになる。
だが、各国での動乱が起き、イタリアが一八六一年に統一されるのと同じ時期にナポリのロスチャイルド家も運命を同じくして没落していく。
ビスマルクの時代になると、ロスチャイルド家の各家は三代目になっていた。
帝国主義の時代になると、各国の利害がロスチャイルド家にも強く影響し、そのため伝統的な兄弟銀行システムが守れなくなり、それぞれの分家が独立した形で事業をせざるを得なくなる。
ロンドンとパリの分家は植民地にも手を伸ばす。そして南アフリカとのかかわりができる。デ・ビアスとロスチャイルド家の関係である。
帝国主義が活発になった時代において、フランクフルトの本家は機運に乗り遅れてしまう。そして没落していくことになる。ウィーン分家も脱皮に失敗し、オーストリア帝国と運命をともにすることになる。
第二次世界大戦を終えてみれば、残ったのはロンドン分家とパリ分家だけであった。
そして、この後、ロンドン分家では分裂を経て、パリ分家もミッテランの国有化旋風に巻き込まれながらも現在に至る。
最後に。ロスチャイルド家とユダヤの陰謀説がセットになって語られることがあるが、これは「シオン長老の議定書」が大正時代に日本に紹介されたことによる。だが、この議定書自体が一八六四年にフランスで出版されたモーリス・ジョリーの「マキャベリとモンテスキューの地獄対談」の完全なコピーであり、ロシアの秘密警察が一九二一年の段階で細工して流布したものだった。
本書について
ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡
横山三四郎
講談社現代新書 約二〇五頁
解説書
目次
第一章 歴史を彩る
ワドスドン館
世界一のワイン
スエズ運河株買収
ツタンカーメン発掘
ロスチャイルド家訓
第二章 金融王国への階段(一九世紀)
人の心をつかむ初代マイヤー 三男ネイサン、イギリスへ 暗号の手紙 ウェリントン将軍の軍資金を運ぶ ワーテルローの大博打 ヨーロッパ随一の早耳 アーヘンの逆襲 放たれた五本の屋 平和への歴史を動かす 鉄道狂 乱世を生き抜く知恵 動産銀行との死闘 ナポリ分家の消滅 ドイツの台頭 計算ずくの一族
第三章 不死鳥の世界財閥(二〇世紀)
帝国主義と植民地獲得競争 ダイヤモンドの輝き ロスチャイルド・ノーベル賞 フランクフルト本家の没落 第一次世界大戦 体質転換 産業への投資 王冠を賭けた恋 ロンドンとパリだけが残った 株式会社への変身 カナダへの投資 ロンドン・ロスチャイルド家の分裂 上を向く五本の矢 パリ・ロスチャイルド家の復興 兄弟銀行は株式会社に ミッテランの国有化旋風 パリ家の分裂 二一世紀へ
第四章 受難のパワー
ユダヤの宿命 タルムードと銀行 ディアスポラの歴史 トルケマーダの異端審問裁判 ユダヤ教を忘れるな ローマ法王が接見 ポグロムへの復讐 慈善家エドモン男爵 バルフォア宣言 ヒトラーの足音 ウィーン分家の消滅 自由フランスとともに イスラエルへの支援 新時代のアラブとイスラエル
第五章 日本とロスチャイルド家
日露戦争で日本を金融支援 プラントハンターの来日 シベリア経由の先入観 変貌する世界経済とともに