宮城谷昌光「青雲はるかに」の感想とあらすじは?

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覚書/感想/コメント

秦の宰相になった范雎(はんしょ)が主人公です。

後半生を復讐譚と見れば、これほど見事な復讐譚は無いと、宮城谷昌光氏は述べます。

同じく復讐に生きた張儀には詐術の臭いが濃厚で、人に爽快感を与えないですが、范雎は颯爽としているといいます。

偽善の暗さがなく、寡欲の人だとも述べています。

また、范雎を映す鏡は数多あり、范雎像はさまざまな角度からも明らかにされますが、醜悪な影のない人であり、執政者としては純粋でありすぎたかもしれないとも述べています。

さて、宮城谷氏の描く次の場面は名場面だと思います。

「たしかにそうだが、かれらをあやつれるのは天しかいない。天はなんじを観ていた。わしの妹の足をなんじが治そうとしはじめたとき、天はなんじを見込んだ。天はみずからが見込んだ者に大いなる困難をあたえる。故事における傑人はすべてそうだ。死ぬほどの苦難とは天の愛情のまえぶれであり、なんじが天に愛されはじめたことはうたがいない。大いに祝いたい気分だ」
(略)
これほどうれしい励ましはない。須賈や斉王や魏斉の言動のうしろには天があり、天が自分に嘱目したというあかしが、一連の事件であったという鄭安平の観点の特異さに、范雎は目をみはるおもいがした。
「わしはな、范雎、これでも多少の志がある。その志を、天があわれんでくれたとおもう」
鄭安平はすこし口調をあらためた。
「どういうことだ」
(略)
「つまり、わしの命にかえても、なんじを守りぬく覚悟だ。いま肚の底からそう思っている。なんじが斉へゆきたいのなら、なんとしてでも大梁から脱出させよう。なんじが斉の国へはいるのをみとどけたい」
鄭安平の目に異様な力がある。その目をみつめている范雎の目が涙でうるんだ。

青雲はるかに(上)新潮文庫 初版 p382-383
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内容/あらすじ/ネタバレ

范雎が吟尼と出会ったのは春の丘であった。

范雎の先祖には偉大な人物が出ている。士会である。士会は范会とも呼ばれた。

だが范雎の家は貧しく、官途は閉ざされていた。何もないところから何かを産むことができるのが学問である。范雎は大梁に行き刑名学の門をくぐったが、そこにあったのは失望だった。

范雎は大言壮語の男と影で呼ばれ、苦しんでいた。范雎には友が居なかった。

だが意外な身近に生涯の友となる男がいた。鄭安平という。鄭安平の家も貧しかった。

ある時、范雎が放った言葉が鄭安平の胸に届いた。鄭安平ははっとした。神が范雎の体を借りて言ったのだ思った。鄭安平は范雎の声によって絶望から脱した。

范雎は斉に行くという。斉は湣王が暗殺され、楽毅が城を攻め落としていた。斉は亡国になりつつある。だからこそ、そこに行くという。

破壊の後に、新生がある。そこに活躍の場があると考えたのだ。

斉で范雎は比伝に出会った。比伝は臨淄にいけと言ったが、足は魏に向かっていた。むしょうに鄭安平に会いたかった。

その道中で吟尼に出会ったのだ。二人は吟尼の知り合いの原氏の家にやっかいになった。そこで原氏の妹・原声に会った。

范雎の雎は鳥の名である。水辺に棲む猛禽と言われる。自分は鳥であると信じ続ければ、いつか天空を飛翔する時がくる思ってきた。

范雎は鄭安平と再会した。そして鄭安平の家でしばらく厄介になることになった。家には妹の季がいた。季は婚家で酷い目に遭わされて戻ってきたのだった。

范雎は人としての器量が鄭安平より劣ることを素直に認めた。その上ではじめて弱者が見えた。范雎は旅をして変わってきた。

范雎は鄭季の足をかならず治すと誓った。それができなければ、青雲へ向かって飛び立つ翼は授けられない。そう思っていた。

范雎は吟さんに再会した。そして鄭季に効く薬がないか相談した。吟尼は、あるが高価だといった。

范雎は己を売って金を作るつもりでいた。奴隷になるというのだ。吟尼はそれを聞き、耳寄りな話をした。魏の須賈が家臣を探しているというのだ。

須賈が斉へ行く予定だという。范雎は鄭兄妹に別れを告げることが出来ずに斉へ向かった。

道中で秦の将である白起が楚に大攻勢をかけられて首都が落とされたという。范雎同じく新たに召し抱えられた左近がそう話した。

須賈の役目は魏と斉の国交の修復である。臨淄に着くと、斉の宰相の田単が須賈を訪ねてきた。

范雎が楚にいた時に見かけた荘辛の身の回りにいる南芷が、斉の襄王の正后・君王后の侍女として取り次ぎとして出てきた。

須賈と君王后との会談は上手く行ったようである。范雎と左近は郊外を巡って情報を集めるよう命じられた。

盧邑の宿に落ち着いた時、范雎は逃げる南芷をかくまった。そして、南芷が荘辛の娘であることを知った。

范雎と左近が昌国の門にさしかかると、まだ南芷を探している男たちがいた。

范雎は比伝に再会した。わずかな期間に比伝は門を衛るつとめから役人を使う地位に昇っている。范雎は奇異と羨望の感にうたれた。范雎は斉に比伝を抜擢した者がいるという事実にしまったと臍をかんだ。

その比伝が会わせたい人がいると范雎を招いた。その相手は襄王だった。

范雎は襄王を相手に話をした。比伝は以前の范雎と違っていることに気づいた。そして比伝は范雎に襄王に仕えないかと誘った。范雎もその気になった。

須賈が急に魏に帰ることになった。理由はわからない。范雎は鄭安平と鄭季に会うために戻る。

襄王から范雎に褒美が下されることになり、須賈が范雎にわけを言えと迫った。須賈は范雎が機密漏洩を行なったと思っていた。

須賈は宰相の魏斉を訪ね、范雎が機密漏洩をしたと告げた。魏斉は范雎を罰し、半死半生になった。そのまま厠中に放り込まれた。気絶していたが、意識が戻ると、魏斉を殺すまでは死なぬと誓った。

范雎は何介に救われた。そして何者かによって范雎は運ばれた。

魏は王が病に倒れていた。魏斉はそのことが斉に漏れたことを恐れていた。

范雎は原声にゆかりある者に助けられていた。そして原声が魏斉の妾になったことを知って、涙を流した。然るべき官位を得たのちに、妻に迎えようと思っていたのだ。范雎の世話をしたのは原声に仕える夏鈴だった。

すぐさま范雎は移された。魏斉は執拗だった。捜索は数ヶ月続いたが、魏の昭王が薨じたため中止された。

左近は鄭安平を訪ね、范雎の身に起きた事を話した。

范雎は南芷に匿われていた。南芷がいるのは魏の公孫という貴族の家である。

范雎は魏斉に復讐しなければならないと思った。人生のひとつの目的が自ずと定まった。魏斉の上に立たなければならない。

范雎はようやく鄭安平と鄭季に再会した。鄭季の足が治ったのを見て、范雎は自分の命運が必ず啓けると確信した。

范雎はこれまでに起きた事を鄭安平にあらいざらい話した。鄭安平にだけは全てを告げておきたい。

左近が鄭安平邸を訪ねてきた。鄭季を妻にしたいという。范雎は破顔したが、鄭安平はにべもない。公子無忌に仕えられたら考えようと言った。

南芷が父の荘辛に強引に陳へ連れて行かれた。范雎は楚王がなぜ挙兵したのか、理由が急にわかった。荘辛が楚王のもとに戻り、挽回の策を立てたからだ。

南芷は書き置きを残していた。東郭の劉延子を訪ねるようにという内容だった。范雎は南芷のせいいっぱいの愛情の表現を感じた。

劉延子は古学で一家を立てていた。范雎はおもに法家の論説を喜んでいたが、ちかごろでは利害についての考えかたが変わり、無用の用を説く道家の書物でさえ読むことができるようになった。

劉延子の妻は隹瑤という。弟がおり隹研という。その隹瑤が范雎に逃げるように告げた。隹研が良からぬことを企んでいるようだ。

范雎は逃げたが、隹研は范雎を匿うために魏斉側の情報を得ようとしていたのだった。隹研は范雎と言葉は交わさなかったが、遠くから見ていて神気を感じていた。

劉延子は隹研に范雎に仕えてはどうかと勧めた。

范雎は夏鈴の別邸に逃げ込んだ。ある日、夏鈴が原声を連れてきた。原声はハッとした。范雎に気づいたのだ。だが、そのことに気づいた范雎はすぐさま夏鈴の別邸から去った。

范雎は北を目指した。龍首家に鄭安平がいることが分かったからである。その途中で左近に襲われた。数日で主が須賈から公子に代わるところだったが、まだ須賈の臣である。そこを助けたのが隹研であった。

隹研は范雎が出国する時に連れて行ってくれないかと頼んだ。

鄭安平が待っていた。龍首はすでに家を用意していた。甘安という商人の家である。鄭安平もそこに住んでいる。家には甘安の妻・先恵と娘の哥がいた。

左近が訪ねてきた。主が信陵君になったので鄭安平に報告に来たのだ。信陵君とは無忌のことである。人格は愛情が豊かで、士の身分の人にも腰や辞を低くした。漢の時代には孟嘗君より高名になった。

吟尼が目の前に現れた。甘安が道中具合が悪くなったのを吟尼が助けたのだった。

范雎は吟尼に原声が魏斉の妾になった理由を聞いて、次に助けなければならないのは原声だと知った。

范雎は吟尼に、范雎が、どう生きて、どう死んだか、を見届けてもらいたいと頼んだ。吟尼は目で頷いた。

秦軍が恐ろしい速さで魏に侵入してきた。率いるのは宰相の魏冄である。

魏斉と魏冄の会談が不調に終わったことで、大梁は籠城の空気が濃厚となった。

須賈が魏冄の前にいた。そして説くことによって、魏は温を割譲することで講和した。

鄭安平は范雎が原声を妻にしたいことを知った。だからね鄭安平は原声に会ってやれと言った。

范雎は原声とようやく会った。范雎は原声に魏斉を倒さなければ、原声を得られないと伝えた。そして、それまで待って欲しいと言った。原声はうつむいた。

魏はまたも秦軍の侵攻を受けて四城が魏冄に落とされた。

范雎が劉延子の家を訪ねた。隹研に会うためである。出迎えたのは輸乱という童子であった。

范雎は隹瑤に身を潜められるような家はないか相談した。すると、啓封に家があると言う。その家は臾という人物に任せている。そこに隹研と向かうつもりだった。

だが、またしても大梁は秦軍に包囲されようとしている。魏軍が華陽で大敗北を喫したようだった。秦軍は本国を発って、魏と趙の軍を撃破するのに8日もかけないはなれわざをやってのけた。電撃戦を敢行したのは魏冄だった。将は白起と胡陽だった。

白起が突如引いた。それにより大梁の門が開いた。魏はまた領土を割いたのだった。

范雎と隹研は啓封に向かった。范雎は主人不在の家を運営している臾に興味があった。

隹研の家でお世話になることになったが、身の回りを絳がしてくれることになった。その絳は臾を慕っていることを范雎はすぐに見抜いた。臾も范雎の弟子となった。

隹研と臾が范雎のために選んだのは穂だった。寡婦である。

秦の王宮で昭襄王の前で稽首したのが王稽という謁者である。王稽に魏を探らせに向かわせたのだが、この王稽が范雎に雲上に届く梯子をかけてくれる人であった。

秦では何かが変わりつつあった。それまで魏冄一人であったのが、昭襄王が動き始めた。これから別の国際情勢を産んでいく。

王稽が魏に入った。范雎が王稽に会った。間を取り持ったのが鄭安平だった。

王稽は昭襄王がかごのなかの鳥であることを嫌って、天を翔びたがっている。昭襄王の未来を考えると、古代の名宰相に比肩しうる大賢を補佐にすえておきたい。

昭襄王はこれから魏冄の息のかかっていない臣を集めるべきであろう。自分が昭襄王の足下に集合する臣と自負する王稽は、そうした者を一人でも多く見つけたいと思っていた。王稽が范雎と会ったのは、時宜というものであろう。

范雎は隹研を連れて王稽とともに秦へ向かった。しかし、范雎は一年余も昭襄王から顧返されないことになった。

意を決して范雎は書を奉呈した。范雎の書は、秦における権力の趨勢を変え、天下の形成をも変わるきっかけをつくったため、戦国策にも史記にも採られた。

昭襄王は范雎と会うことにした。范雎が昭襄王に語ったのは、すさまじい内容だった。昭襄王は、これは讒言であるか、と一瞬思った。太后や魏冄をそしって二人の権威を失墜させる内容に目眩さえ覚えた。だが、これは讒言ではなく、昭襄王思っての箴言であると気づいた。

王と范雎は少なからず通うところがあり、范雎の辛辣な指摘にも生理的反感を覚えなかったようである。

范雎は昭襄王に「遠交近攻」を主張した。占領し続けられない地をいくら広く獲得しても意味がない。昭襄王は昂奮した。

昭襄王は口が固かった。魏冄に范雎が昭襄王に話した内容が漏れなかったのだ。

昭襄王は趙を攻めた。軍を率いるのは胡陽である。戦国時代のなかで有名な戦の一つになる「閼与の役」が始まる。

范雎は昭襄王が自分の献言を理解していないと思った。たとえ閼与を落としても保持し続けるのは難しい。

秦は大敗北をする。この失敗が昭襄王を大いに范雎にかたむかせるきっかけとなる。着実に領地を広げていくしかないのである

范雎の戦略の大要は、秦は斉、楚と結び、三晋(韓・魏・趙)を滅ぼすということである。

范雎は懐を攻略した。これで邢丘も取れると范雎は確信した。これまでの秦は系統づけた戦略がなかった。それゆえに百邑を陥落させても百邑を保持できなかった。

范雎は昭襄王の覇業を考え、その主題に取り組んだ。秦による中国統一は、范雎の頭脳という出現によって端緒についたといえる。

魏で人質生活を送っていた太子外が亡くなった。次の太子となる公子柱に面謁することになった。そして南芷が公子柱の華陽夫人であることを知った。

翌年、秦は邢丘を落とした。

昭襄王は母、叔父、弟という五貴人を廃した。そして范雎を宰相とした。

魏から須賈が来ることを知った。いよいよ復讐の時である。

范雎は隹研に原声、夏鈴、夏風、龍首、劉延、隹瑤、甘安、先恵、甘哥へ篤く報いてもらいたいとお願いした。まずは何介に礼をお願いし、鄭安平は連れてきて欲しいと頼んだ。

須賈は范雎が秦の宰相と知り、地がゆらいだように感じた。そして、自分と会わないつもりであることを知り戦慄した。范雎に会えなければ、昭襄王にも会えず、使いは失敗し、帰国すらできない。

范雎は須賈を魏へ返したが、魏斉に対しては如何なる容赦も用意していなかった。魏斉の首を持って来なかったら、大梁を全滅させると脅した。

魏斉は秦の宰相に范雎がついたことを知ると、原声と夏鈴を盾に平原君のところに逃げた。

原声と夏鈴を見失った隹研はうちひしがれて咸陽に戻ってきたが、原声と夏鈴は生きていた。范雎は隹研の苦労に礼を述べた。二人を逃したのは平原君の客だった弗亀であった。

范雎は虞卿という容易ならぬ敵の存在を知った。秦にとって最大の敵は趙になりそうだった。

范雎は王稽の恩に報い、友の鄭安平を招聘し、昭襄王は鄭安平を将軍に任用した。范雎は鄭安平と堅く手をにぎりあった。

人の目のつかないと声で魏冄は勢力挽回を狙っていた。魏冄ができることは、太子を擁立することしかない。

范雎は公子柱を太子につけることに成功した。後の孝文王であり、始皇帝の祖父にあたる。同時に魏冄は官界から消え、太后の死によって勢力挽回の意欲を失った。

咸陽に平原君が入った。昭襄王が招いたという。昭襄王は平原君のところにいる魏斉を寄越せと脅した。

范雎は白起を起用して韓を攻めた。白起を東西南北に動かせば、天下の城がことごとく落ちるという錯覚にとらわれるほど凄まじかった。

韓は上党を秦に割譲するつもりだったが、上党が秦に降ることをよしとせず、趙へ身売りした。これを知った秦は上党を攻略することになる。戦国期で最大の死者をだす長平の戦いへつながってゆく。

長平の戦いはおよそ3年にわたって国運を賭して秦軍と趙軍が戦った大会戦である。中国戦史上でも特記される決戦だった。趙は一両日で働き盛りの男全てを失った。趙の大惨敗であった。

秦は上党を制圧した。そして程なくして魏斉が自頸した。

范雎は魏斉の首を前にしていた。一賤臣が一国の宰相に復讐をやり遂げた姿がここにあった。これほど完全な復讐は無いであろう。

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