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【式内社】鵜ノ木八幡神社の参詣記-歴史や見どころは?(東京都大田区)(薭田神社の論社)

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式内社・薭田神社の論社とされますが、・・・違いますね。多分。

神社は多摩川を向いています。多摩川ではなく、その先の富士山を向いているのかもしれませんが…。

昔は川が神社に近いところを通っていたのかもしれません。

神社は若干高台に位置しているので、避難場所になったのでしょう。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

「薭田神社」の論社にはいくつかありまづ。

東京都の式内社
東京都内の式内社。東京湾沿いに少しある他は、府中以西の多摩のほうに固まっている。一方で大島などの伊豆諸島には数が多い。海運の要衝だったということか。式内社は延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に記載された神社をいう。延喜式神名帳は、...

関東にある式内社は、独特の立地が多いです。

もしこの周辺だとすれば、亀甲山古墳のそばか、多摩川の河口付近というのが最も納得がいきます。

周辺に古墳が多くあるなどの特徴があればいいのですが、そうした遺跡/史跡がない当地は中途半端すぎます。

鵜ノ木八幡神社の歴史

江戸時代に存在していた「鵜ノ森明神社」が「薭田神社」に比定されていました。

「新編武蔵風土記稿」の「鵜ノ森明神社」の項目に「薭田神社は則當社なり」と記述されており、それが式内社の根拠だったらしいです。

ですが、「鵜ノ森明神社」は所在不明。「鵜ノ森明神社」を当社に合祀したのかもしれませんが、それも分かりません。

戦後に編纂された「式内社調査報告」で、当社を「薭田神社」の論社の一社としています。


延徳元年(1489)下野国(現栃木県)佐野の在より天明五郎右衛門光虎が当地に移った際に一族の守護神として八幡大神を祀ったのが当社の起源である。創建より既に500有余年の時代が流れ一族の主神から地域の氏神として信仰されるようになった。長い年月の間には数々の補修があったが、特に弘化四年(1849)に建立された社殿は戦火で失うまで現存していた。その後平成十二年氏子崇敬者の寄進により待望の社殿社務所を始め付属建造物が再建され、これを機に八幡総本社である大分県宇佐神宮より御分霊を勧請し一層の神慮が深まり霊験あらたかな社として今日に至る。

頒布の資料

鵜ノ木八幡神社の見どころ

鳥居。明神系。

手水舎

摂社・末社

境内社はありません。玉垣の外に稲荷社(写真右)と青面金剛の石像(写真左)が祀られています。


鵜木八幡神社の概要

項目内容
創建不明
主祭神誉田別命
社格等古代社格制度式内社(小社)…論社
中世社格制度
近代社格制度無格社
現代の制度
その他例大祭:9月第2土曜
備考拝殿:入母屋造 本殿:流造

住所&地図

所在地:〒146-0084 東京都大田区南久が原2丁目24−1