【式内社】磐井神社の参詣記-歴史や見どころは?(東京都大田区)大森にある古社(東海七福神)

この記事は約3分で読めます。
記事内に広告が含まれています。

国道15号(第一京浜)沿いにあります。

京急線の大森海岸駅から歩いて行くのがオススメです。

JRの大森駅からでも歩けますが、それなりの距離になります。

足に自信のない人は、バスで近くまで行くのが良いです。

武蔵之國鎮座 磐井神社
武蔵之國鎮座 磐井神社
宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
スポンサーリンク

磐井神社の歴史

磐井神社(いわいじんじゃ)は、東京都大田区大森北にある八幡宮。社格は旧郷社。「武蔵国八幡総社」とされます。

神社の創建年代等については不詳。敏達天皇の代に創建されたと伝えられています。

「日本三代実録」によれば貞観元年(859年)に「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、武蔵国の八幡宮の総社(総社八幡宮)に定めたといわれています。

平安時代後期編纂の「延喜式」にも記載されています。

江戸時代には、将軍家の帰依を得、「鈴ヶ森八幡(宮)」とも称されました。

「江戸名所図会」には鈴森八幡宮という名で記録されています。

鈴ヶ森という地名はこの神社に社宝として伝わる「鈴石」によるものとされます。

2つの石が社宝として伝えられており、神功皇后ゆかりの「鈴石」は、打つと鈴のような音がしました。

もう1つの社宝は「烏石」。江戸時代の書家 松下烏石(まつしたうせき)が寄進した鳥の模様のある自然石です。

石は非公開。境内には烏石を記した烏石碑(1741)をはじめ、江戸時代の文化人達の筆塚や書学碑があります。

式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社です。『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されています。  別名、鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されています。  万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、万葉の時代の神社周成の地名であり、笠島弁財天にその名ごりを見ることが出来ます。 また、当社の境内に佇む一対の狛犬には、都内でも珍しく子獅子が合計で6匹もおり、子宝の早朝として親しまれています。
御祭神 | 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命
社格等 | 延喜式内社(小社)・郷社
例大祭 | 8月第1金・土・日曜

https://iwaijinja.tokyo/yuisyo.html
スポンサーリンク

磐井神社の見どころ

鳥居

明神鳥居。

鳥居と社号標

手水舎

拝殿

拝殿と狛犬

子獅子が合計で6匹いるそうです。

拝殿と本殿

神楽殿

御神木など

石碑

摂社・末社

海豊稲荷神社

磐井の井戸

社名の由来と「磐井の井戸」は鳥居を出たすぐそば、国道15号沿いにあります。

東海道往来の旅人に利用されていました。

「この水を飲む時は、心正しければ清水。邪心があれば塩水になる」と言い伝えがあります。

霊水・薬水とも呼ばれていました。

もともと境内にありましたが、国道15号(第一京浜)の建設により神社前の歩道上に残されています。

「東海七福神」のうちの弁財天

社殿の左、池の中に弁天島があります。

東海七福神」のうちの弁財天(笠島弁天社)が祀られています。

磐井神社の概要

項目内容
創建不詳
主祭神応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命
社格等古代社格制度式内社(小)
中世社格制度
近代社格制度郷社
現代の制度
その他例祭:8月第1週の金曜日から日曜日
備考

公式ページ

武蔵之國鎮座 磐井神社
武蔵之國鎮座 磐井神社

住所と地図

所在地: 〒143-0016 東京都大田区大森北2丁目20−8
電話: 03-3761-2931

タイトルとURLをコピーしました