雲巌寺の参詣記-歴史と見どころ紹介(栃木県大田原市)禅宗の四大道場でもあり松尾芭蕉ゆかりの寺でもある

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雲巌寺の橋
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奥の細道 松尾芭蕉ゆかりの寺

新幹線の那須塩原駅からバスで1時間程度かかる。終点まで乗ることになる。バスで向かうよりも車で行くのがおススメ。

寺の前に、バスの停留所があるが、とてものどかでのんびりした場所。臨済宗妙心寺派の名刹として、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで「日本禅宗4大道場」の一つに数えられるとおり、今も修業の場である寺らしく、人里離れた清楚なたたずまいを感じさせる。

松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄った寺院としても知られ、寺域には当時の住職であった仏頂禅師と芭蕉の歌碑がある。

木啄も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)

竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)

松尾芭蕉は江戸深川時代に仏頂国師から禅の教えを受た。仏頂国師が雲巌寺で修行をしたことから、芭蕉が寺を訪ね、仏頂国師を偲び句を残した。その後の芭蕉は東山道(義経街道)を辿り、「奥の細道」へと旅立った。

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入口

寺には橋を渡る必要がある。欄干が朱塗りになって、とても印象的。

下流れる小川は武茂川という。朱塗りのそり橋は「瓜鉄橋(かてっきょう)」と呼ばれている。東山五橋(独木橋、瑞雲橋、涅槃橋、梅船橋)にも数えられる橋で、「瓜鉄」とは「子孫が長く続いて繁栄すること」を意味するそうだ。

橋の向こうに見えるのが山門。山門は豊臣秀吉の小田原征伐の焼き討ちにも耐え残ったと言われている。小田原征伐では烏山城の那須資晴が豊臣秀吉に恭順しなかった。そのため城攻めの際に付近の住民が雲巌寺に逃げ込んで、豊臣方は雲巌寺を要塞と判断して火を放ったとされる。

雲巌寺の橋
雲巌寺の橋

山門から橋を見る。

雲巌寺の入り口

雲巌寺の境内風景

雲巌寺の山号は東山。後嵯峨天皇の第三皇子である仏国国師が関東地方を行脚中に黒羽山麓に庵をかまえた。その時に、八溝山の高梨勝願法印が国師に禅の教えを受け、恩に報いるため八溝山を献上したといわれる。その後、弘安6年(1283年)に執政北条時宗が雲巌寺を建立たした。

雲巌寺の境内

鐘楼

雲巌寺の境内
雲巌寺の境内

山門の正面ある獅子王殿。

雲巌寺の本堂
雲巌寺の境内
雲巌寺の説明版
雲巌寺 松尾芭蕉の説明版

雲巌寺の概要

項目内容
山号東山
院号
正式名東山雲巌寺
開基叟元和尚
北条時宗(大檀那)、
仏国国師(開山)
宗派臨済宗妙心寺派
本尊釈迦牟尼仏
別称
備考

文化財

指定内容
国指定国宝
重要文化財絹本着色仏国国師像
絹本著色仏応禅師像
木造無学祖元(仏光国師)像
木造高峰顕日(仏国国師)像
登録有形文化財
県指定有形文化財
市指定有形文化財山門

地図

所在地: 〒324-0213 栃木県大田原市雲岩寺27
電話: 0287-57-0105

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