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橘寺の歴史と見どころは?(奈良県高市郡明日香村)聖徳太子の生誕地

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天武・持統天皇陵を出発して、坂を上り切って、石舞台古墳に向かう途中にあります。

坂道が多いと、電動自転車をレンタルできたことが大正解なのが分かります。

右に橘寺、左に川原寺跡が見えます。橘寺は少し上ったところにありますので、門まで自転車で向かいました。

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橘寺とは

橘寺は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院です。

山号は仏頭山、正式名称は仏頭山上宮皇院菩提寺。

聖徳太子ゆかりの寺として知られ、一般には「聖徳太子の生誕地」と伝えられています。

聖徳太子建立七大寺の一つにも数えられています。

現在の橘寺は、飛鳥時代の大寺院としての姿をそのまま残しているわけではありません。

発掘調査によって古代寺院の伽藍配置が明らかになっており、今よりも大きな寺院でした。

道路を隔てて反対側には、同じく国指定史跡で世界遺産に登録されている川原寺跡があります。

由緒・創建

橘寺は、聖徳太子(厩戸皇子)がこの地で生まれた場所とされます。

この場所にはもともと、太子の祖父にあたる欽明天皇の別宮・橘の宮があったとされます。

推古天皇14年(606年)に、推古天皇の命を受けた聖徳太子が橘の宮を寺に改めたという伝承があります。

このため、橘寺は「聖徳太子建立七大寺」の一つとされています。

出土した瓦から7世紀前半頃には創建が始まっていた可能性が考えられています。

本格的な伽藍整備は7世紀半ば以降と推定されています。

寺名「橘寺」の由来

橘寺の名前は、橘の木にまつわる伝説に由来するとされています。

垂仁天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が、不老不死の果実を求めて常世の国へ渡り、持ち帰った橘の実をこの地に植えたとされます。

本尊

橘寺の本尊は、聖徳太子35歳の坐像である木造聖徳太子坐像です。

聖徳太子が推古天皇の命を受けて「勝鬘経(しょうまんぎょう)」を講義したときの姿とされます。

二面石

本堂の脇に置かれています。

飛鳥時代の石造物で、高さは約1m。石の両面にそれぞれ異なる人の顔が彫られています。

一方が「善」もう一方が「悪」を表していると説明されています。

古代伽藍跡

発掘調査によって、古代の橘寺はおおむね、中門、塔、金堂、講堂が東西方向に並ぶ伽藍配置だったことが分かっています。

一般に四天王寺式伽藍配置と呼ばれる形式です。

出土した大量の塼仏(せんぶつ)から、川原寺と同じように仏堂を三尊塼仏で装飾していた可能性も指摘されています。

境内には五重塔跡が残っています。

五重塔は平安時代後期の久安4年(1148年)に落雷によって焼失したとされています。

その後、文治年間(1185~1189年)に三重塔として再建されたと伝えられます。

現在、塔はありませんが、塔の心柱を支えた心礎(塔心礎)が残されています。

現在の中心となる建物が本堂(太子堂)です。

かつての橘寺の伽藍は中世に大きく失われ、現在の本堂は元治元年(1864年)から約30年をかけて再建されたものとされています。

橘寺境内は国指定史跡となっており、境内だけでなく、南側の仏頭山を含む範囲が指定されています。

2026年7月26日、「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録され、橘寺跡もその構成資産の一つとして登録されました。

所在地:奈良県高市郡明日香村橘532
拝観時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
定休日:原則年中無休
電話:0744-54-2026
駐車場:あり
アクセス:近鉄飛鳥駅または橿原神宮前駅から奈良交通の明日香周遊バスを利用し、「岡橋本」または「川原」下車、徒歩約3分。

山号 仏頭山
院号 上宮皇院
宗派 天台宗
本尊 聖徳太子勝鬘経講讃像
創建年 推古天皇14年(606年)7月
開基 伝・推古天皇(勅願)
正式名 仏頭山上宮皇院菩提寺
別称 橘寺

札所等 新西国三十三箇所第10番,聖徳太子霊跡第8番