子母澤寛「勝海舟 江戸開城」第5巻の感想とあらすじは?

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第五巻は、文字通り江戸開城に至までの緊迫した期間を描いています。

ひたひたと迫ってくる官軍に対して、勝麟太郎、大久保一翁は江戸を戦火から守るためにどうすればいいのかと智恵を絞ります。

この時に登場するのが高橋政晃と山岡鉄太郎です。

俗に幕末の「三舟」といいます。

勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の三人を指した言葉です。

勝海舟は本書の主人公であるから除くとして、他の二人を簡単に紹介してみたいと思います。

高橋泥舟(たかはし でいしゅう)。幼名は謙三郎で後に精一郎とります。諱が政晃で泥舟は後年の号です。母方を継いで高橋姓となります。生家は山岡家。

生家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、泥舟自身が槍の達人でした。

講武所槍術教授方出役などを歴任し、一橋慶喜に随行して上京し、以後慶喜の信任が篤かったそうです。上野東叡山に退去する慶喜を護衛し、江戸城開城後も水戸へ慶喜を護衛しました。

江戸開城に際して、西郷吉之助への使者として最初は泥舟の名が上がりましたが、慶喜の側を離れるわけに行かず、代わりに泥舟は義弟の山岡鉄太郎を推挙しました。

徳川家が静岡に移住するのに従い、廃藩置県後は職を辞して東京に隠棲しました。

明治三十六年(一九〇三)没す。享年六十九。

高橋泥州の義弟が山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)です。

幕臣であり、政治家であり、思想家でした。剣、禅、書の達人です。

明治になってからの爵位は子爵。

通称は鉄太郎(鐵太郎)で諱が高歩(たかゆき)。鉄舟は号です。

一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。身長六尺二寸(約一八八センチ)、体重二十八貫(一〇五キロ)と並外れた体格でした。

九歳より直心影流を学び、後に北辰一刀流剣術を学びました。江戸にもどって、安政二年に講武所に入って、千葉周作らに剣術を学んでいます。

山岡静山に槍術を学びましたが、その静山が急死し、静山の実弟である高橋泥舟らに望まれて山岡家の養子となって、静山の妹・英子(ふさこ)と結婚しました。

江戸城開城に関しては本書に譲るとして、明治維新後は徳川宗家を継いだ徳川家達に従い静岡県に下りました。

廃藩置県に伴い新政府に出仕し、静岡藩権大参事などを歴任しました。

明治五年からは、西郷のたっての依頼により宮中に出仕して十年の約束で侍従として明治天皇に仕えました。

明治二十一年(一八八八)、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命しました。享年五十三。

二人とも生粋の武人であり、初志貫徹、まったく曲げることのない人物です。

幕末の時期によくもまぁ、こうした人物が登場したものだと感心するほどです。

こうした人物たちが、江戸を戦火から救ったのです。

さて、江戸城明け渡しの際、麟太郎は大奥の処置に少々苦労したようです。結果としてではあるが、天璋院は田安家に、静寛院宮は清水家に行くことになりました。

この説得の際、麟太郎は、天璋院にどうしてもこの江戸城で死ぬと言われ、刀を傍らに引き寄せて、これに侍女どもが一緒になって手がつけられなかったというのです。

これを麟太郎は、嘘も方便というわけではないが、ほんの四五日ごたごたするから、避けるために移動してくれないかと、うまくだましたというわけです。

※勝海舟と西郷隆盛が会談をしたのが池上本門寺。その池上本門寺の紹介はこちら↓。

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内容/あらすじ/ネタバレ

フランス公使のロセスが新役に面謁することになった。すでに将軍家は恢復快挙を断られている。そのロセスがシャノワン少佐に逢ってくれという。

シャノワン少佐は勝麟太郎を見つめながら、戦いなさいと言った。今戦えば必ず勝つ精鋭に仕上がっていると力説した。その目が、ハッとするほど激しく燃えている。

ただ単純に、日本の武士のようなひたすらな感激をもって開戦を説いているのだ。野心もなければ、策もない。麟太郎はそれに頭が下がる思いがした。

だが、麟太郎は幕府には毛頭戦をする考えがないことを伝えた。日本国の国柄として、この戦は断じて出来ないのだ。

吉岡艮太夫は麟太郎に恭順、謹慎で意趣が立つのかと聞く。麟太郎は日本の武士が天子に背いて何の意趣が立つというのだという。柳営では酒を飲んでいる奴もいる。あれでは戦をしても勝てるわけがない。艮太夫は黙ってしまった。

吉岡艮太夫が率いるのは別手組。宿営は千駄ヶ谷の旗本戸田越前守の空屋敷だ。この別手組に給金が届かない。このままどうなるのかと思っていた矢先にようやく給金が届いた。これでハッキリと別手組は幕府の兵であることが示された。

麟太郎は越前家の家老・本多修理を訪ねていた。

朝廷では内争を避けよと言っている。特に岩倉具視がそういっている。問題はいかにして前将軍の恭順の意が朝廷に徹するかである。麟太郎もそこを苦しんでいる。

いまの江戸の状況では恭順の赤誠を示そうにも示しようがない。

その間にも官軍はどんどん進んでいる。

新徴組の山口三郎が来た。坊さんになっている。

小川町伝習隊内に暴発の兆候がある。それらが高田馬場で休息していると聞くや、麟太郎はすっ飛んでいった。

麟太郎は暴発直前の隊士に向かって説く。上様のことを仰せを守るのが恩ではないのかと。

花川三樹が京へ上るという。これに麟太郎は手紙を託した。西郷吉之助と海江田信義にあてたものだ。

その頃、いよいよ三番町の歩兵二大隊が暴発脱走する事態になっていた。

そしてこの事態の後、徳川慶喜は千代田城を去り、上野大慈院に謹慎することになった。

静寛院の宮、天璋院の使者も官軍はとんと受け付けない。

大久保一翁は麟太郎に、しゃにむに海道を下ってくる官軍に対する策はあるかと聞いた。麟太郎は無策と答えた。

西郷は恭順謹慎をしていようが、ギリギリのところまでは推してくると思われる。そして、最後の最後、江戸での戦というのを麟太郎は念頭に置いている。

松本良順は近藤勇、土方歳三と話している。甲州の要害に立て籠っての作戦についてだ。だが、いかんせん装備が貧弱だ。

この頃、官軍は更に東に迫り、参謀の西郷吉之助は駿府にいた。

高橋政晃、伊勢と呼ばれる人物で、後の泥舟が徳川慶喜に呼ばれた。謹慎して以来慶喜の信頼が篤い。

麟太郎は誰かが決死の覚悟で嘆願に出なければならないと考えていた。高橋伊勢はその役に義弟の山岡鉄太郎をどうかと薦めた。至誠一貫、鉄石の人物である。山岡鉄太郎、後の鉄舟。

この時、鉄太郎は三十三歳、高橋は三十四歳、勝は四十六歳だった。

使者の任を聞いた山岡鉄太郎は、しかと承ると答えた。承る以上、必ず朝廷に貫徹し、疑念を氷解するのはもちろんだといった。慶喜直々の頼みであった。

その鉄太郎が麟太郎を訪ねて、腹中を承りたいと迫った。鉄太郎はいう。徳川がどうのこうの、薩長がどうのこうのという時期は過ぎている。天下ことごとく同胞、聖天子の赤子であると述べた。麟太郎は、こ奴なかなか、噂とは違うと思った。

そして、あんたなら遣れる、し損じはないだろう。一刻も早く駿府へ行き、こちらの情状を貫徹して欲しいと頼んだ。そして鉄太郎に益満休之助をつけてやった。

山岡鉄太郎と益満休之助はすっ飛ぶようにして駿府へ向かった。そして西郷吉之助は益満休之助が生きていることを知ると涙を流して喜んだ。

鉄太郎と会った西郷はその人柄に強く打たれたようだった。鉄太郎は、主人の赤心をただ伝えるために昼夜兼行これまで参上したのだ。

西郷は山岡が来たことで、本当のところもわかり、江戸の事情も知れたといった。

大総督宮から八箇条の書付が下った。この一部につき、山岡鉄太郎が強く撤回を求めた。

西郷は真意をはっきりと理解し、徳川慶喜の身の上はきっと引き受けると約束した。

麟太郎は江戸八百八町を一瞬で灰にするための方策を考え、手を打った。それは最後の最後の切り札である。そして、この時のためには江戸の市民を一人残らず房州へ避難させることにしていた。

灰にするために、麟太郎は、無頼の徒、遊び人、博徒、鳶、駕籠舁き、火消人足などに渡りをつけた。そのお膳立てのいくつかは岩次郎がやってくれた。

大総督府は池上本門寺にあり、西郷吉之助もここにいた。

麟太郎は明日西郷と会うことにしている。そのための使いを池上にやった。大久保一翁がその報告を聞いた。

慶応四年三月十三日。麟太郎は芝の薩摩藩下屋敷に向かった。そして、翌日。

西郷は江戸城を引き渡すかと聞く。麟太郎はもとよりと答えた。西郷は頷いて、勝先生、ほんに、よかことでごわした、といった。

これで三月十五日の総進撃は中止ということになった。

この会談の場には山岡鉄太郎も来ていた。事の成り行きを知っている鉄太郎は、敵も味方もない、この江戸を救い、天下を救う二人はどうしても殺してはならぬと思っている。自らは護衛のつもりだ。

麟太郎との会談の前、パークスの所へ官軍は相談に行っている。江戸城攻撃に際して、負傷者の手当の相談だ。軍医の派遣を要請したのだ。

だが、パークスは王政維新なったというが、外国公使に対しては一片の通報もなく、だから前の条約により徳川を日本国政府としてみている、よってそれを攻撃するのなら、お前らと一戦しなくてはならないといった。

さらに、徳川慶喜は恭順謹慎しているという、これはいわば降伏であり、それを攻撃するというのは国際法において断じて認められない。

これを西郷は道理と思った。

麟太郎はパークスに会いに行った。いろいろとこれからのことを伝えに行く必要があったからだ。そしてパークスを介して他の公使に伝えられることになった。

いよいよ城の明け渡しの日が近づいてきた。

大久保一翁と麟太郎は互いを見合って、思えば苦しい辛抱だったと語った。江戸の市民も塗炭の苦しみから救われ、今死んでも口惜しくなく、心残りもなかった。

西郷吉之助はまごついた。

当時の作法として、式台へあがると、刀を脱して係の手に渡すことになっている。だた国主大名だけが刀を手にさげて奧にはいることが出来た。

当惑していた西郷吉之助は、やがて両腕で、そうーっと胸の前に抱えるようにして入っていった。他に渡しもせず、大名のように下げもせず…。

城の受け渡しに関して、麟太郎は自信を持てなかった。大久保一翁も同様だ。いたずらに旗本どもを興奮させることを避けなければならない。

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本書について

子母澤寛
勝海舟5 江戸開城
新潮文庫 約五二五頁
江戸時代

目次

河童
衣更着
野焼
壺の中
丁字花
一つの灯
大用現前
雑然騒然
絶言語
天下掌中
面やつれ
目と目
一朶の雲
天道不違
諸天及人
地中の火
清濁
別れ路
任天知
一嘆の声
この一つ
野の人
鷸蚌の悔
卯月
陽光
無辜大災
散る花咲く花
勝海舟略年譜

登場人物

勝麟太郎
おたみ(君江)…麟太郎の妻
お夢…長女
お孝…次女
小鹿…長男
お逸…三女
お信…麟太郎の母
お糸
杉享二(純道)
おきん…杉の嫁
梶お久
梅太郎…お久の子
お仲
お順(瑞江)…佐久間象山の妻、麟太郎の妹
岩次郎…頭
三公
小林隼太
丑松
新門辰五郎
三次郎…わ組
松五郎…東屋の亭主
花柳寿助…芝居の振り付け師
大久保忠寛(一翁)
山岡鉄太郎(鉄舟)
高橋謙三郎政晃(泥舟)
木下大内記(伊沢謹吾)
佐藤与之助
伴鉄太郎
松本良順…元奧医師
吉岡艮太夫
矢柄弥左衛門
清水の次郎長
松平春岳
本多修理…家老
徳川(一橋)慶喜…十五代将軍
松平勘太郎…大目付→大坂町奉行
益満休之助
伊牟田尚平
西郷吉之助
小松帯刀…薩摩藩家老
柴山良介…薩摩藩士
大久保一蔵
海江田信義
花川三樹
近藤勇
土方歳三
山口三郎…新徴組
門奈小太郎
ロセス…フランス公使
シャノワン少佐…フランス人

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