堺屋太一の「世界を創った男 チンギス・ハン 第1巻 絶対現在」を読んだ感想とあらすじ

この記事は約9分で読めます。
記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

覚書/感想/コメント

チンギス・ハンを主題とした書物が多い中、堺屋太一氏はあえて選んだ理由を述べています。

平成になったころと同じくして、チンギス・ハンの歴史研究が飛躍的に進み、新たなチンギス・ハン像が描かれるようになったのが理由のひとつだそうです。

これは、従来の歴史学が唯物史観と社会主義の影響を受けていたのが、その呪縛から解き離れるに従って、新しい歴史学が始まったのに起因しています。

こうした歴史学の流れは日本史の研究においてもほぼ同じくしています。特に社会史や民俗史などの急速な発展というのはこうした流れを象徴しています。

従来の社会主義歴史学では「狩猟採取社会→牧畜社会→農耕社会→工業社会と段階を踏んで発展してきた」と規定しています。

そして、「社会の進歩は生産技術の発展と階級闘争から生まれるのであって、個人の天才や偶発的事件から起きるのではない」としていました。

この理論でいくと説明に窮するのがチンギス・ハンでした。

そのため、社会主義者はチンギス・ハンの歴史的価値と人物像をできるだけ小さくせざるを得なかったのです。

この社会主義的な考え方が二十世紀の七十年間をチンギス・ハンが活躍した地域の大半を支配していたのですから、研究が停滞するのは当たり前です。

そして、著者の主張する「知価革命」が一九八〇年代に起きると、その結果として歴史研究も大きく変わります。

文献学的な枠から飛び抜け、自然科学や心理学とも協同した実験歴史学や理論(推定)歴史学が始まったのです。

この「知価革命」によって歴史学が変わったという主張には疑問があり、むしろ「唯物史観」の呪縛からの解放により、従来スポットが当てられなかった研究方法にも目が向けられるようになったと考える方が自然な気がします。

著者は「知価革命」によって歴史学が変わったという主張をしたあとに、歴史学の進歩により批判されたのが、社会主義の唱えた発展段階論であると述べていますので、著者自らも唯物史観からの解放による側面もあるとは認識している風です。

そして、発掘調査により、農耕の始まりは一万年くらいまで遡れ、遊牧社会はせいぜい四、五千年前だそうです。遊牧民は農耕以前にとどまる遅れた人々ではなく、別の倫理と美意識と技術を発展させてきた人々だといいます。

この後に続く理論展開は面白いです。

これまで十三世紀の当時は、「遅れた遊牧民」がようやく「進んだ西欧」の中世封建社会に追いつき、チンギス・ハンは封建社会を基にして破壊と征服を行ってきたと説明されてきました。

ですが、これではチンギス・ハンの言動と業績は説明できず、むしろ「部氏族封建制を打ち破って、可汗(皇帝)独裁の絶対王政を確立した近世の先駆け」と考えた方が、上手く説明できるといいます。

この考え方は、新しいです。

絶対王政は西欧では十六世紀になってから始まります。それに先んずるというのです。この考え方が当を得ているのかどうかは今後の研究次第で判明するでしょう。

もう一つチンギス・ハンを書く理由があるといいます。

それは、チンギス・ハンがなぜ世界征服という途方もないことを考えたのかということに対する解答を得られたからだそうです。

それまでの超大国の拡大征服目的は、自国の経済的繁栄と自己の文化や信条信仰の普及であったといいます。チンギス・ハンはこれが当てはまりません。

著者の考えるチンギス・ハンの征服目的は「人間に差別なし、地上に境界なし」のグローバルな社会を創ることではなかったかというものです。

そのための政策として、「信仰の自由と広範な自治」「安上がりの軍事、つまりは大量報復戦略」「不換紙幣の運用」だといいます。

ですが、こうした政策は他の「帝国」においても別のかたちであったにしろ、見られた政策のような気がするのですが…。

シリーズ全4作です。

  1. 世界を創った男 チンギス・ハン 第1巻 絶対現在 本書
  2. 世界を創った男 チンギス・ハン 第2巻 変化の胎動
  3. 世界を創った男 チンギス・ハン 第3巻 勝つ仕組み
  4. 世界を創った男 チンギス・ハン 第4巻 天尽地果
本の紹介

チンギス・ハンを主人公にした小説です。

  1. 井上靖「蒼き狼」

モンゴル史の入門書としては次が参考になります。

  1. 杉山正明「モンゴル帝国の興亡」
スポンサーリンク

内容/あらすじ/ネタバレ

西暦一一七二。キヤト族の氏族長イェスゲイの後ろに十一歳のテムジンがついていた。イェスゲイが率いるのは約百戸。従僕や幼児まで含めた人数は一千余り、馬と牛は各二千頭、羊と山羊は併せて二万匹ほどである。

前からジャダラン族の族長カラカダンの集団がやってきた。互いに敵意なしの合図を出す。カラカダンには十三歳になる息子のジャムカがいた。

チンギス・ハンがテムジンと呼ばれていたこの頃、ユーラシアの東西交易は発展途上だった。昔からこの交易路はあったものの細い道でしかなかった。

それが経済的に成り立つ交易路となるのは、十世紀末に遼王朝ができ大量の絹と銀を得るようになってからである。十二世紀には遼に代わって金が支配するようになり、ますます盛んになっていった。

テムジンはジャムカに遊びに誘われた。そして二人は盟友(アンダ)になった。この時にテムジンはジャムカから算術を教わった。

十二世紀後半、この地域には文字と暦と通貨と算術がなかった。テムジンはジャムカからその一つを教わったのである。

今は乱世である。タタルやメルキトがいつ襲ってくるか分からない。そんな中でモンゴル族がばらばらではいけない。次のハンを選んで結束しなければならない。イェスゲイはケレイト部族のトオリル・ハンの後ろ盾を得て、モンゴルの結束を図ることにしていた。

だが、この年は記憶にないほどのベタ雪が積もり、家畜の大量死が発生した。

十三歳になったテムジンは父を補佐している。イェスゲイはテムジンを連れて嫁を探す旅に出ることにした。

途中でボスクル氏族の族長デイ・セチェンと出会い、その十四歳になる娘ボルテをテムジンは自分の嫁にしようと思った。そしてしばらくテムジンはデイ・セチェンの所で過ごすこととなった。

ここでの生活の中でテムジンは隊商と出会う。その中の少年・ハッサンと仲がよくなる。

後のモンゴル帝国の特色のひとつとなるものに、交易の拡大と経済の成長がある。ハッサン(漢文史料で阿三)はこれ以降四十五年間テムジンと親交を持つことになる。

旅芸人がやってきた。この一行が父・イェスゲイの動静を伝えてくれた。トオリル・ハンを巡る政治問題と軍事行動で忙しいらしい。そのためにテムジンを迎えに来るのが遅れているようだ。それに父はタイチウト族を完全に服従させたようである。

この旅芸人の一行の少年・コルコスンがより新しい情報を得に出かけた。コルコスンはチンギスからモンケまで四代のハンに仕え高位にのぼるウイグル人だ。ユーラシアを覆う情報機関「可汗の鷹」の組織者であったかもしれない人物である。

テムジン十四歳、ボルテ十五歳の春。父・イェスゲイの補佐役ムンリクが慌てた格好で現われた。あろうことか父が死んだのだ。母のホエルンは毒殺されたと泣いている。

ホエルンはいわゆる「レヴィート婚」を拒否してテムジンの母であることを選んだ。そのせいもあるのか、人の流出が止まらず、わずか十九人まで減ってしまった。ムンリクの一家も去ったが、その後もこっそりとホエルン一家をたすけた。三十年後、テムジンはムンリクを功第一位に表彰した。

異母弟のベクテルが荒れている。ベクテルの存在は少なくなっている一家のまとまりを欠かせる要因となっている。テムジンはベクテルを排除することを決意する。

テムジン達一家をタイチウト族が襲い、テムジンが捕まる。重い手枷をはめられたが、スルドス族の馬乳酒造りのソルカン・シラによって逃げ出すことに成功した。

洋の東西を問わず、史上の英雄といわれた人物はみな失敗や敗北の窮地から立ち直る力が凄まじい。チンギス・ハンはほぼ十年おきに三度の絶体絶命の危機が訪れるが、耐え抜くだけでなく、次の発展の飛躍台としている。このタイチウト族に捕らえられたのは最初のひとつである。

馬泥棒があらわれた。それを追いかけている中で出会ったのがボオルチュ少年だった。ボオルチュはモンゴル帝国創建の最大の功臣となる人物である。二人は親友となり、ボオルチュは少し大きくなったらテムジンをたすける約束をする。

そして母ホエルンがムカリとボロクルという少年を迎えていた。ムカリは大将軍志望。四十年後に国王の称号を得る。ボロクルは使い番志望である。二人とも後に「四頭の駿馬」と呼ばれる側近となる人物だ。

ボロクルが噂を聞き込んできた。テムジンの窮地を救ったソルカン・シラの二男チラウンがタイチウトの族長タルグタイに睨まれているという。テムジンはチラウンを助けることにした。

ここに、ボオルチュ、ムカリ、ボロクル、チラウンの四人がそろった。後に「チンギス・ハンの四頭の駿馬」と呼ばれるモンゴル帝国創建の元勲となる人々である。まだ十代の若者だった。

テムジン二十歳。ボオルチュが男女十人の従僕らを連れて合流してきた。

メルキトの動きが怪しくなり、テムジンは意を決してボルテを迎えに行くことにした。

そして、トオリル・ハンにも会うことにした。こちらは主君と臣下の出会いであった。まだ力のないテムジンにしてもトオリル・ハンの後ろ盾が必要な時期だった。少しましになったものの、父のいた頃の十分の一までにしか回復できていない。

その中、山の民からジェルメが加わった。後に「四匹の忠犬」の一人に数えられる人物である。ジェルメは鉄を焼く技術を持っていた。

メルキト族が襲ってきた。この中でボルテが攫われた。すぐの奪回は難しい。

テムジンはトオリル・ハンの助けを借りることにした。しかもトオリル・ハンが断る理由を無くすようにしなければならない。そしてトオリル・ハンが動くことになった。この戦いにはテムジンの盟友ジャムカも加わるという。それぞれが二万を率いる。この頃の漠北の軍隊としては異常な大軍である。

ボルテを奪い返すことができたが、ボルテの胸には生後二ヶ月ほどの嬰児が抱かれていた。テムジンはメルキトの子かもしれないその子をどうするかで悩んだが、ジョチ(旅人)と名付け我が子として育てることにした。

十二世紀後半まで、漠北では南のタタル、東のコンギラト、北のメルキトが強制を誇っていた。モンゴル草原の中央部にいたケレイト族やモンゴル族は有力な指導者を欠いていた。だがこの十年間でケレイト族にはトオリル・ハンの政権が続いており、モンゴル族ではジャムカの人気が高かった。かすかな変化の胎動が生じ始めていた。

本書について

堺屋太一
世界を創った男 チンギス・ハン1 絶対現在
日本経済新聞出版社 約二八五頁
モンゴル帝国 13世紀

目次

盟友
冬の母親
別の「世界」
旅芸人
母の選択
影の他に友なし
「今」が全てだ
風が変わった
四頭の駿馬
北の烈風
母と妻と
天与の苦しみ
戦機、来たる
勝利の味わい
「盟友」の効果
全体解説
第一巻の注釈

登場人物

(家族)
テムジン…チンギス・ハンの本名
イェスゲイ…テムジンの父
ホエルン…テムジンの母
シャラ・エゲチ…父の側女
カサル…テムジンの次弟
カチウン…テムジンの三弟
テムゲ…テムジンの末弟
ベクテル…異母弟
ベルグテイ…異母弟
ボルテ…テムジンの妻
(部下)
ムンリク…父の補佐役
ボオルチュ…義侠心で臣下になる。のち「四頭の駿馬」(四駿)
ムカリ…大将軍志望。のち「四駿」
ボロクル…使い番志望。のち「四駿」
チラウン…馬乳酒造りの子。のち「四駿」
ジェルメ…山の民。のち「四匹の忠犬」(四狗)
(同盟者)
ジャムカ…テムジンの盟友(アンダ)
トオリル・ハン…父の盟友
(支援者)
ハッサン…イスラム教徒の隊商親方になる
コルコスン…ウイグル人の旅芸人。情報屋。
(仇敵)
タルグタイ…タイチウト族長
トクトア…メルキト族の氏族長。

タイトルとURLをコピーしました