覚書/感想/コメント
前漢の文帝の皇后である竇皇后(とうこうごう)が主人公です。
名は不詳で、猗房または猗という説があります。本書では猗房(いぼう)説を採用しています。黄老思想を好んだとされ、本書でも老子と荘子を好んだ旨が書かれています。
竇皇后の兄弟2人は幼い頃に竇皇后と離れて奴隷にされたようです。再会の場面は本書のクライマックスになります。
竇皇后(とうこうごう)の夫である文帝は前漢の第5代皇帝(第3代皇帝とする場合もあります。)で高祖・劉邦の四男です。文帝の治世は子の景帝の代と合わせて「文景の治」と賞賛されました。
その文帝の生母である薄姫(はくき)は高祖・劉邦の側室で、薄氏あるいは薄太后と呼ばれることが多いです。人相学で有名だった許負は、薄姫を見て天子を生むだろうと言ったと伝わります。
薄姫と竇皇后の二人を主人公にしても面白かったと思います。
内容/あらすじ/ネタバレ
漢の時代。
猗房の家を老人が訪ねてきた。老人は郷父老である。
皇室で全国から子女を集めて皇宮で養成することになり、推薦のあった家を訪ね歩き、最後の一軒が猗房の家だった。
郷父老は猗房と話をして、猗房が持っている声の大小や明暗など生まれつきの品格を注意深く聞いた。
良い声だ。
猗房が郷の代表として県の城に行くことになった。竇家が名門の誇りを取り戻した1日でもあった。
翌朝、猗房は出発した。いちどふりかえってみた我が家は見納めとなった。
妹の猗房を兄の建が郷父老の家まで送った。
一晩を過ごして猗房は郷父老と県の城へ馬車で向かった。
郷父老は猗房が選ばれると言った。猗房でなければならないわけがあるのだった。
他の郷の代表も集まり、全員で5名揃った。
県令だけでなく、警察の長官というべき県尉、監察の長官の県丞も揃っていた。
猗房が選ばれて皇都の長安に行くことになった。
実は別の者が選ばれるはずだったが、郷父老が県令に驚嘆すべきことを告げたのだ。
それは猗房の眉から鼻にかけ至尊の色が出ているというのだ。天子を産むことを告げていた。
これを聞いて県令は笑い飛ばせなかった。他の2人とはかり、改めて猗房を見ることにしてきまったのだ。
翌日の出発の前に猗房は母と建、弟・広国との別れを済ませた。
猗房は比較的に呂太后に近いところで仕えることになった。今の天子である恵帝は19歳だった。
長安に集められた若い娘たちが各地の王国へ下向した。猗房は代国へ行くことになった。
代王は高祖の四番目の子で名を恒という。高祖に愛されなかった皇子であった。
猗房含めた5人の娘は宮中に入って姫の呼称が与えられ、猗房は竇姫となった。
猗房は代王に会った。14歳だったが立派な成人に見えた。そして目には深い慈愛をたたえていた。代王と並んで薄姫が座っていた。
代王と薄姫は5人を警戒していた。なぜなら送り出したのが呂太后だからである。
代王は猗房を見た瞬間に心が動いた。まれに見る清美な姫だと感じた。
翌年、猗房は女の子を出産した。名を嫖という。さらに一年後男児を産んだ。啓という。
猗房の幸せは代王ばかりでなく薄姫からも愛されたことである。
代王は猗房を寵愛するようになってから聴政に一層熱心になった。臣下にも好感をもって見られていた。
猗房が2人目の男の子の武を産んでから顔色が冴えない。
実は実家の家族の所在が分からなくなっていたのだ。父母は亡くなり、兄と弟の行方が知れない。
中央では恵帝が崩御し、呂太后の権勢がさらに高まっていた。
その頃、粗衣を着た男が代国の城中に入ってきた。猗房の兄の建だった。
猗房は建から広国が人攫いに連れ去られたことを知った。その広国は12年間に12回売られていた。
呂太后が死んだ。広国の運命が急に変わった。
新しい天子は徳が高く、世評も高い。そして皇后は竇氏という。広国はそれを知り驚いた。
呂太后の専横を憎んでいた長安の官僚たちは、呂太后が死ぬとたった二ヶ月で呂氏一族を粛清した。
そして選ばれたのが代王の恒だった。官僚が恐れたのは外戚の良否だったが、恒の母・薄夫人決め手となった。
猗房は広国と再会した。司馬遷は「史記」にはこう書かれている。「侍御左右、皆、地に伏して泣き、皇后の悲哀を助く。」
皇帝・恒は死後文帝と呼ばれる。前漢王朝類代の皇帝の中で最高の帝徳を持っていたとされる。
広国は皇太后の弟でありながら、君子としての態度を崩さず、生涯驕りを見せなかったと言われる。
本書について
宮城谷昌光
花の歳月
講談社文庫 約二〇〇頁
目次
花の歳月