西郷従道(さいごう・つぐみち)略歴
天保14年(1843)~明治35年(1902)。60才。
幕末・明治の軍人・政治家。薩摩生。大勲位・侯爵。
幼名を竜助。本名は隆興(たかおき)、通称は信吾。西郷隆盛の15歳年下の弟。兄・西郷隆盛の「大西郷」に対し、「小西郷」と呼ばれた。
従兄弟に大山巌がいる。
幕末
9歳のとき両親と死別し、兄隆盛を親代わりとして成長、出世だけでなく思想面でも多大の影響を受けた。
13歳で島津家の茶坊主、17歳で還俗して慎吾と改名。
薩英戦争、戊辰戦争に従軍。戊辰戦争では各地に転戦したが、特別の功績は記録されていない。
維新後
明治2年(1869)、山県有朋とヨーロッパ兵制調査研究のため渡欧(プロイセン、フランス、ロシア)し、近代兵制を調査研究する。
帰国後、明治3年 (1870) に兵部権大丞、陸軍掛となり、明治4年(1871)兵部大丞、兵部少輔に任ぜられる。
台湾事務都督、次に台湾生蕃処理取調委任、台湾蕃地事務都督となる。
明治5年(1872)陸軍少将、明治7年(1874)陸軍中将。台湾事件が起こると、台湾蕃地事務都督に任じられ、台湾出兵では政府の中止命令をおして征台軍を指揮した。
明治9年(1876)征台の功により最初の勲一等に叙せられる。
西南戦争時期
明治10年(1877)西南戦争が勃発、従道は陸軍卿代理を務め、兄・隆盛に荷担せずに東京を動かなかった。
隆盛と袂をわかったことに対する非難が強かったため、これを避けるためイタリア特命全権大使になったが、赴任しなかった。
明治11年(1878)参議兼文部卿、兼陸軍卿、山県に並ぶ陸軍、政府の要石の位置に立った。
明治14年(1881)農商務卿、明治17年(1884)伯爵となる。
海軍
海軍に転じ明治18年(1885)第1次伊藤内閣で海軍大臣、翌年農商務相をかねた。
鎮守府を中心としたフランス式海岸防備体制を導入、清国に対する戦備の充実に努めた。
明治24年(1891)第1次松方正義内閣の内務大臣、枢密顧問官。大津事件の際に司法権に干渉し辞任した。
明治26年(1893)第2次伊藤内閣の海相に就任、日清戦争を指導した。
明治27年(1894)最初の海軍大将に昇進、
明治31年(1898)まで海軍大臣として海軍部内をまとめた。同年、小松宮彰仁親王、山県有朋、大山巌とともに元帥となった。
明治35年(1902)歿、60才。
東京・目黒にあった旧西郷従道住宅は国の重要文化財として、明治村に移築された。