首里城の守礼門を下り、信号を渡って100メートルくらいでしょうか。
右手に首里高校の校舎があり、左手に玉陵(たまうどぅん)の入り口があります。
入り口を入って、券売所で入場券を購入して見学です。
玉陵(たまうどぅん)の入り口を少し下ったところに中山門があったようです。ぜひ再建してもらいたいと思います。
王墓ということもあるのでしょうか。石垣の門をくぐって、広場に入ると静寂が包み込みました。音も暑さもほとんど感じなかったように思います。特殊な空間でした。
独特の宗教観が詰まっている場所のように思えます。
世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成要素
2000年11月30日、日本で11件目の世界遺産として登録されました。
- 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
- 座喜味城跡(ざきみじょうあと)
- 勝連城跡(かつれんじょうあと)
- 中城城跡(なかぐすくじょうあと)
- 首里城跡(しゅりじょうあと)
- 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
- 玉陵(たまうどぅん)⇐ここ
- 識名園(しきなえん)
- 斎場御嶽(せーふぁうたき)
玉陵(たまうどぅん)とは
周囲は石垣で囲まれています。
玉陵は、琉球王国最盛期といわれる尚真王(しょうしんおう)が建てた陵墓です。
歴史書「琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)」は、「玉陵碑」が建立されたのが1501年としています。
尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれました。
その後、第二尚氏王統の陵墓となります。
墓室は東西に連なる自然の崖壁に穴をあけ、連続した3つの室に分かれています。
中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋です。
東室は洗骨後の王と王妃遺骨、中室は洗骨までの遺体、西室にはその他の家族の遺骨を安置しました。
墓前広場の「玉陵碑」に、葬られるべき人を限定したことが刻まれています。
外見は当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物です。
棟には尚家の家紋や牡丹・唐草・宝珠等が彫りこまれています。
また、左右袖塔上には陵墓を守護する石彫りのシーサーが置かれました。
玉陵(たまうどぅん)の見どころ
↑上の写真の後方に見えるのが首里高校です。
券売所から歩いていくと、石垣が見えます。
石垣によって閉ざされた空間という感じです。
人によっては結界を感じるのかもしれません。
門をくぐった広場は、珊瑚でてきた白砂で敷き詰められています。
神の島と呼ばれる久高(くだか)島の珊瑚が使われています。
荘厳とか、尊厳とか、神聖とか、というような感じではないのですが、何というか…、別世界に来た感じで、不思議な体験でした。
場所など
所在地: 903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1丁目3