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平等院の参詣記-歴史や見どころは?(京都府宇治市)伝説の宇治の宝蔵がある場所

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京都市内は観光客で溢れかえっていましたが、少し離れた宇治市の平等院はとても静かでした。

平等院は一般的には平等院鳳凰堂で知られます。京都府宇治市にあります。

山あいに近いところにあり、すぐそばを川が流れています。

藤原氏ゆかりの仏教寺院です。

京都市内や奈良市内のように古の面影が残るエリアにあるのかと思っていましたので、イメージとはだいぶ違いました。

平安時代の人口ははるかに少なかったはずですので、喧騒からは程遠い雰囲気の場所だったのだろうと思いました。

平安時代には別荘地だったということですので、なるほどなぁ、と思いました。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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平等院(びょうどういん)の歴史

10円硬貨の裏面

国宝の鳳凰堂は、日本に住んでいれば、日常的に見かけているはずです。

というのは、10円硬貨の裏面に彫られているのが平等院鳳凰堂だからです。

山号は朝日山。開基は藤原頼通、開山は明尊。本尊は阿弥陀如来坐像。

17世紀以来、天台宗と浄土宗を兼ねていました。

現在は特定の宗派に属さない単立寺院です。

管理は最勝院(本山修験宗聖護院末寺)と浄土院(浄土宗寺院)が年交代制で行っています。

平等院庭園は1922年(大正11年)に国指定の史跡・名勝になりました。

1994年(平成6年)に世界遺産「古都京都の文化財」の構成物件の一つとなっています。

藤原氏の別荘地

現在の平等院の地には、平安時代の9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘がありました。

その後、宇多天皇から、天皇の孫である源重信にわたり、長徳4年(998年)に藤原道長の別荘・宇治殿となりました。

藤原道長が万寿4年(1027年)に没すると、子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)に宇治殿を寺院にしました。

開山は小野道風の孫で園城寺長吏を務めた明尊です。

1052年は仏教の教えが廃れ、悟りを得るものがいなくなる「末法」の始まりの年とされていました。

都では飢饉や疫病が流行しており、さながら末法の世を暗示していた時期です。

創建時の本堂は、鳳凰堂の北方に流れる宇治川の岸辺近くにありました。

本尊は大日如来。

天喜元年(1053年)に、阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されました。

この時期については、「テーマ:平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)」にまとめています。

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平等院の見どころ

入口付近

入り口は近代的なつくりで驚きました。

ミュージアムとショップが入っています。

このショップで売られているグッズ等はかなりおすすめです。

栞などをお土産に買って帰りました。

ミュージアムへの入り口

平等院南門

平等院の南門は、江戸時代初期に伏見桃山城から移築されました。門の型式は、現存する最古の医薬門です。

養林庵書院

浄土院

羅漢堂

不動院と最勝院と源頼政の墓

源頼政の墓

源頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人です。

鵺(ぬえ)退治でも知られます。「平家物語」に説話が記されています。

清和源氏として初めて従三位に叙せられ、源三位(げんざんみ)の通称が伝わります。

保元の乱と平治の乱の後、平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まりました。

しかし、以仁王の挙兵で平家の追討を受け、宇治平等院の戦いに敗れ自害します。

不動院

最勝院

観音堂

鳳凰堂

「鳳凰堂」は後世になってから呼ばれるようになりました。

平安時代の記録では阿弥陀堂あるいは御堂となっています。

江戸時代の延宝8年(1680年)、堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の刻銘に平等院鳳凰堂とあるので、江戸時代には鳳凰堂の名で知られていました。

本尊は国宝の阿弥陀如来坐像。仏師・定朝の作品。定朝の作品としては確証ある現存唯一のものです。

木造雲中供養菩薩像の52躯も見事な出来栄え。鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像です。

本尊・阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造天蓋も、像とは別個に彫刻部門の国宝に指定されています。

阿弥陀堂中堂大棟の南北両端部に設置されていた金銅製の鳳凰像も国宝。

これらの国宝は、敷地内の博物館に収蔵されています。

梵鐘

神護寺、園城寺(三井寺)の鐘と共に、「天下の三名鐘」に数えられています。

宇治の宝蔵

平等院の阿弥陀堂南西にあったとされる宝を納める伝説の蔵です。

宇治の宝蔵は最上の重宝をことごとく収めた日本一の宝蔵とされます。

そして、この宝蔵には、酒呑童子の首、大嶽丸の首、那須野の妖狐の遺骸(玉藻前、九尾の狐)が納められているとされます。

中世中ごろから流布した妖怪退治譚のなかで、宇治の宝蔵に納められたとされる妖怪は、酒呑童子の首、大嶽丸の首、那須野の妖狐の遺骸の3妖怪だけでした。

ところで、源頼政の墓はありますが、鵺は納められていません。

たとえ余所の重宝が散失することがあっても、宇治の宝蔵だけは紛失したことがないとされます。

それは平等院を建てた関白藤原頼通(=宇治殿)は龍神となって宇治川に住んて、守っているからとされます。

宝蔵では毎年3月3日に一切経会が行われました。

その日に開扉されるほかは、上皇や天皇の御幸、藤原氏の氏長者が就任後初めて平等院を訪れる「宇治入り」の儀式の日以外、余人の立ち入りが許されなかったそうです。

それは、蔵の中に摂関家が収集した貴重な宝物がたくさん収納されていたからです。

小松和彦「鬼と日本人」に詳しいです。

平等院の概要

項目内容
山号
院号
正式名
開基永承7年(1052年)藤原頼通
明尊(開山)
宗派単立
本尊阿弥陀如来
別称
備考鳳凰堂(国宝)
阿弥陀如来坐像(国宝)、ほか
世界遺産

公式ページ

世界遺産 平等院
【公式ページ】1052年、藤原頼通によって京都府宇治市に開かれた寺院で、鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像、周りには52体の雲中供養菩薩像が音楽を奏しています。 壁扉画、日本三名鐘の一つといわれる梵鐘とともに国宝を...

住所及び地図

〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
0774-21-2861