羽山信樹の「邪しき者」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

上巻

「流され者」に続く、題名に「者」の文字を用いた四部作の第二弾。

他の二作は「滅びざる者」「来るべき者」であるが、羽山信樹氏の死によって永遠に未完となっている。

本書は「勤皇思想」を最大のテーマとする伝奇小説である。

ここでいう勤皇思想は、幕末の勤皇思想とは異なる。もっと根本的なもので、北朝と南朝のどちらが正統であるかというものである。

そこで登場するのが、南朝の皇胤である新珠尊之介である。これに勤皇論者の尾張藩主・徳川義直がからみ、さらには南朝方に与した異形異類の末裔たちが絡んでくる。

面白いのは武士と能役者の関係である。本書で果たす能役者の役割に注目して読まれるといいだろう。

また、北朝対南朝の対立のような明確な対立構造が与えられているのも主題がはっきりと浮かび上がってよい。例えば、徳川義直と徳川家光、柳生兵庫助と柳生宗矩、といった徳川家と柳生家の内部の確執も上手く織り込まれている。

さて、上巻では新珠尊之介と徳川義直の邂逅、そして柳生十兵衛と尊之介の因縁の始まり、柳生宗矩の野望などが語られ、物語の幕開けを告げる。

中巻

中巻では新たな人物として鄭芝龍、鄭成功親子が登場する。

徳川家光の時代というのは、ちょうど中国では明が滅びる時期と重なっており、明からは援助の使者というのが実際に来た。幕府はこれをことごとく断る。

その鄭芝龍、鄭成功親子と新珠尊之介との出会い、そして、徳川義直の思惑が入り混じって新たな展開へと進む。

本書でたびたび登場するのが「菊池槍」。菊池千本槍ともいわれ、南北朝の動乱期に菊池氏が竹の先に短刀を付けた槍を考え出したところに依るらしい。

本書には多くの柳生が登場する。

柳生宗矩や十兵衛に比べてなじみが薄いのが柳生利厳(としよし)であろうか。

柳生利厳は柳生宗厳(石舟斎)の長男・柳生厳勝の次男であり、妻は島左近の娘の珠である。通称が兵助、兵庫助。尾張柳生家の初代であり、柳生厳包(連也斎)などの息子がいる。

石舟斎から剣術を学び、阿多棒庵より新当流長太刀(穴沢流薙刀術)を学んでいる。

下巻

物語は一気に十五年の時を経る。

徳川義直もついに病を得て死の淵をさまようことになる。その最後の頼みともいうべきものが、本物の勾玉を探し出すこと。それは吉野の奥にあるという。

新珠尊之介と自天親子は勾玉を探しに吉野を深く分け入ることになる。

「軍書合鑑」という徳川義直の著作に「依王命被催事」という六文字があるそうだ。

義直の没後は遺戒の一として深く秘され、尾張においては注解は家督相続の時に密かに口で伝えられたという。幕末において、尾張藩が紆余曲折の末に勤皇方についたのはこれがためと言われる。

意味は、幕府と朝廷が争うことがあれば、「王命に依ってのみ事を催せ」ということのようだ。

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内容/あらすじ/ネタバレ

柳生秘剣

新陰流兵法秘書、俗に「影目録」といわれる巻物がある。新陰流の祖・上泉伊勢守が柳生石舟斎(宗巌)に書き与えたといわれるものである。

不思議なのは、その題字だ。

新陰流と墨書したものの「陰」の字を消し、横に「影」と書き改められている。

そこに意図的な、何か伊勢守の秘められた意思が…。

陰は「鬼」であるという論がある。

これに従えば、上泉伊勢守は、鬼を消し、死者の霊・魂と書き換えたということなのか。

もうひとつ見逃せない説がある。

陰は天皇家の秘宝、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉だというのだ。

ともあれ、時代は寛永十年(一六三三)…。

尾張大国霊神社の境内。

細面の無精ひげに覆われた端正な顔立ちの男に、深網笠をかぶった大柄な男が剣を抜いた。深網笠は隻眼だった。

勝負は深網笠の負けであった。相手が意識的に笠のみを截ったことを知っていたのだ。でなければ、額が一刀両断に割られていただろう。

三月三日。江戸城では恒例の上巳御祝の行事が行われていた。

徳川家光の左手下座には御三家筆頭、尾張六十二万石の大納言義直が座っている。義直三十四歳、家光三十歳である。

義直は家康の十一人の男子の中で頭脳の明晰さでは一、二を争う。その義直が今日の観世太夫の姿に言い知れぬ胸騒ぎを覚えていた。それを惣目付柳生但馬守宗矩が見ていた。

宗矩が家光に呼ばれて十兵衛はどうしているかと聞かれた。

家光がいよいよ上洛を意図しているときのことである。その上洛に先立って、密かにかの国の内情を探ってみてはどうかと、知恵伊豆こと松平伊豆守信綱がいう。

家光、伊豆守、宗矩の三人は二年ほど前から一人の人物に照準を絞って失脚を図るべく談合を重ねていた。相手は家光の伯父に当たる尾張国主大納言義直である。

二君並び立たず。

義直は日ごろから神君家康の血を強く意識している。一方の家光も家康を神のごとく崇敬している。

この家光と義直という、伯父・甥と呼ぶには年の近い二人の家康崇拝者が衝突するのは必然だったのかもしれない。

尾張柳生の門前に一人の男が現れた。長髪が肩へ垂れ流れ、武芸者の総髪とは違い、前髪を禿のように横一文字に切りそろえている。

尾張柳生の当主は柳生兵庫助である。柳生宗矩の甥にあたり、宗矩より七歳下の五十六歳である。

男は新珠尊之介と名乗った。

尊之介の相手をしたのが高田三之丞である。七十にならんとする高齢だが、尾張柳生一の高弟である。

二人が対峙している中、兵庫助が現れた。そして、兵庫助は尊之介にしばらく逗留してはどうかと勧めた。

尊之介が二十七歳と聞き、兵庫助は同じ年の十兵衛の顔を思い起こしていた。

翌日、尊之介は姿を消していた。その姿は田辺八左衛門邸の前にある。

霊峰が義直を訪ねてきた。

義直は霊峰に聞きたいことがあった。それは勾玉のみが本物なのだなというものである。

だが、と霊峰は言い淀む。三種の神器のすべてが数奇な歴史の中で偽物になったというのだ。天子は神宝を戴くからこそ万民の上にいるのだ。

勤皇論者の義直にとっては衝撃的な話である。

浪人者が城中に召された。新免武蔵である。かねてから成瀬隼人正からの推挙がある。

柳生は南朝であるな。義直は兵庫助に聞く。事実その通りであった。

この後、兵庫助と霊峰は共に下城した。そして兵庫助は霊峰にとんでもないものを見たと伝えた。菊紋の冑金である。霊峰は絶句した。

それは新珠尊之介の脇差である。鞘の造りからいって、間違いなく菊池槍である。菊池槍は南北朝の争乱の時に、南朝に与した九州肥後の菊池氏創案の槍をいう。

霊峰は兵庫助に三十年前の亡霊が現れたというのかと聞いた。

尊之介の小脇差はまぎれもなく「仁」であり、それは、霊峰の「知」、兵庫助の「勇」と寸分たがわぬものだった。

田辺八左衛門の屋敷は大変なことになっている。異形異類の人々が頻繁に出入りするようになったのだ。

奥では淫行が行われている。荼吉尼天曼荼羅図が掛けられている。「立川流」という真言密教の一派である。般若理趣経を主要な経典とし、男女の性的な結合を即身成仏の秘術とする。鎌倉時代に流行し、南北朝の時代にも流行した。

一つの興味深い言い伝えがある。南朝の後醍醐天皇が立川流の信奉者だったというのだ。

だが、この立川流は邪教として織田豊臣、徳川政権の時に厳しく取り締まられた。

連日の来客の中で尊之介と特に親しげに接したものが三人いた。秀観、鬼夜叉、紅葉である。

熱田の浜で斬り合いがあった。成瀬隼人正の配下である根来衆が斬り殺されている。相手は相当な手練れである。

これだけのことをしてのけられるのは新免武蔵以外にいるはずがない。だが、これは濡れ衣であった。武蔵は真犯人を探し出し、己の無実を晴らそうと考えた。

同じころ、江戸八重洲河岸の柳生屋敷で但馬守宗矩と十兵衛三巌が向かい合っていた。

石舟斎が尾張に授けた冑金に菊紋を打ち出した小脇差と同じものを差している男にあったと告げた。しかも、ただの浪人者ではない。異形な剣を遣うと伝えた。

宗矩は話を聞き終えた後、家光が尾張を潰そうとしているのに躍起になっているように、自分の眼の黒いうちに尾張柳生を抹殺せねばならぬと思っていた。

宗矩は石舟斎より印可の相伝を受けているが、一流を伝授された域にとどまり、新陰流兵法正統は柳生兵庫助利巌ただ一人であった。正統は自分であるべきだと宗矩は考えていた。

十兵衛三巌が兵庫助の小脇差を密かに見た。茎に「勇」と切銘が切られている。

その頃、兵庫助は能役者の金春八左衛門安喜と対していた。二人は互いに師であり弟子であった。

柳生と金春のつながりは深い。両家とも出身は大和である。そして、能と武芸は切っても切れないほどに相似の関係にある。

武蔵が尊之介に行きあたったのは六月も末のことだった。

武蔵が尊之介に挑んだが、われ知らず深々と頭を下げ、ご無礼仕った、平にご容赦願いたいと口に出していた。武蔵には分からなことであった。だが、あの時、心の奥深くから、斬ってはならぬ、という声が聞こえたような気がした。

義直が驚愕したのは、大宮司武季からの言葉であった。南朝の皇胤が尾張の地にいると聞かされたのだ。それが新珠尊之介だった。

熱田大宮司家は古くより南朝とのつながりがあり、現在も後裔たちと密かなつながりがある。

尊之介には自天王の血が流れているともいう。自天王は後南朝最後の皇子一の宮のことである。

義直は新珠尊之介と会い、尾張にしばらく逗留してほしいと頼んだ。

南朝の勢力の多くは異形異類によって支えられた。海上でもそうであり、南伊勢の愛洲氏もそうである。この愛洲氏から陰流の愛洲移香斎がでている。移香斎が上泉伊勢守に菊池槍を授け、それが石舟斎、兵庫助へと伝わっている。

この脇差こそが、一子相伝の秘事を授かった者のみに伝授される影の霊剣であった。

兵庫助と霊峰は義直のことを案じていた。勤皇の篤い義直が新珠尊之介のことを知ったら、それこそ幕府と一戦も辞さぬかもしれない。

その中、江戸から家光が薨去した模様という一報が伝わってきた…。

血涙剣

新珠尊之介は徳川義直のお墨付きを得て自由に尾張領内を出歩くようになった。

その尊之介の前に柳生十兵衛三巌が現れた。

十兵衛に尊之介はおれが何者なのかを教えてくれと聞いた。尊之介の問いに、十兵衛は尊之介の持つ菊池槍と同じ脇差を尾張柳生で見たと告げた。

尊之介の傍らにはいつも一人の若者が付いている。尾張柳生の佐野九郎兵衛である。九郎兵衛は尊殿、尊殿と慕っている。尊之介も十歳になる兵庫助の三男新六(のちの連也斎巌包)とともに、この若者を好いていた。

二人は京に向かっている。京で霊峰に会い、その後武蔵屋に向かった。そこには七重と尊之介の子供がいた。

尾張に戻ると、そこには田川一官こと鄭芝龍がいた。倅の福松こと鄭森もいる。森はのちの成功である。

仙台黄門こと伊達政宗が参勤のため奥州街道を上った。途中の久喜御鷹場で鷹狩りをした。政宗も六十八歳である。

その政宗と義直が会談した。義直は政宗に袱紗を見せた。緋縮緬の中央に「忍」の一字が刻まれている。爪字だという。それも仙洞御所様の御爪であるという。仙洞御所とは先の天皇御水尾のことである。

別室では柳生兵庫助が陳元贇(ちんげんぴん)と会っている。陳元贇は我が国柔術の祖として知られる。同じ席に兵庫助の実弟・柳生権右衛門と狭川新三郎助信がいる。

また、さらなる別室では金春八左衛門、大蔵庄左衛門氏紀の兄弟も向かい合っている。

四月初旬、伊達政宗は柳生但馬守宗矩に招かれて八重洲河岸の上屋敷で遊んだ。

政宗は生涯天下を夢見続けた男である。両者の一見親しげな交際は、互いに何らかの価値ありと目論んだ計算づくのものだった。

宗矩と十兵衛が話している。十兵衛は新珠尊之介が皇御祖の貴種に連なる者ではないかという。

宗矩もそう考えていた。そう考えると、謎が一つ解ける。それは昨年末の徳川義直の突然のご参向である。

あれは土井大炊頭の仕掛けた罠であったが、やすやすと罠にかかるのが訝しい。義直に軽挙を促す要因があったとしか思えず、それは将軍職簒奪の勝算があったということなのではないか。そして、尊之介が南朝に連なるのではないかと…。

尊之介が四人の不審な者に囲まれた。

そこに現れたのは鬼の面をかぶり「紅葉狩」の一節を謡う者たちであった。尊之介は三匹の鬼の正体に気が付いている。秀観、紅葉、鬼夜叉であった。

鄭芝龍らは祖国明の危機を救うため、徳川幕府あるいは全国の有力大名に援軍を求めに来ていた。

家光の上洛の部隊が江戸を発った。その中に伊達政宗の姿もある。途中で政宗は名古屋に寄った。それは新珠尊之介に会うためである。

伊達家は南朝方である。とくに政宗は志の篤かった九代目と同じ名前を戴いている。

熱田大宮司では武季の他に柳生兵庫助らが頭を寄せていた。霊峰に、金春八左衛門らもいる。兵庫助はこうした人々のつながりに驚きを禁じ得なかった。

金春八左衛門が兵庫助に新陰流一子相伝の極秘口伝が影に関するものではないかと言ったときには驚愕した。柳生の秘伝が宗矩に口伝されなかったわけ、それは宗矩が骨の髄まで徳川幕府の信奉者だったからに他ならない。

そして、金春家も南朝の御代を夢見て陰ながら奔走してきたのだと打ち明けた。

金春八左衛門は柳生に忍びの術があるごとく、能の世界にも秘伝とされる裏芸があるといった。そして敵味方を区別するため「紅葉狩」の一節を謡うという。

「紅葉狩」の裏には壮大な主題が隠されている。それは大和朝廷に反抗した者たちの物語である。

異変は江戸を発って二日後に起きた。家光の宿泊する予定の建物が全焼したのだ。

宗矩は胸騒ぎがした。今、伊賀・甲賀の忍者たちを束ねているのは宗矩である。

宗矩はずっと紅葉の忍者のことを考えている。鬼の面をした者たちである。なんとしてでも正体に迫り、義直の次なる手立てを探り、陰謀を阻止しなければならない。

名古屋に着いたその日、宗矩は北(喜多)七太夫を呼んだ。

家光は七月十一日、入洛した。ただちに二条城に入った。

宗矩は兵庫助を訪ね単刀直入に聞いた。一つは紅葉の忍者のこと、そしてもう一つは新珠尊之介のことである。だが、兵庫助はしらばくれた。

宗矩は北七太夫を再び呼んだ。そして、七太夫はついに白状した。宗矩は紅葉の忍者が能役者に関係していると踏んでいたのだ。

宗矩は伊達政宗を訪ねた。そして事はすでに露見していると迫った。政宗は肩を落とし、すべてを語り始めたが、それは恐るべき陰謀であった。

すべてを知った宗矩は帰路、いかにして名古屋を回避するかを考えた。そのため、わずか四日間で江戸までの往復をした。そして、江戸で宗矩が画策した案とは…。

加藤浄与の屋敷が襲われていた。七重はすでにこと切れている。襲っていたのは柳生権右衛門である。この場に柳生兵庫助がやってきて、両者が驚いた。権右衛門は今すぐにでも赤子を殺そうとしているところだった。

生々流転剣

十五年の歳月が流れ慶安二年(一六四九)五月。

秀観、紅葉、鬼夜叉と新珠尊之介の一子・自天が旅をしている。今度久しぶりに尊之介と会うことになる。

同じころ、東海道を東に下っているのが尊之介らである。一緒にいるのは鄭成功、麗麗らである。

徳川義直が倒れたの知らせを聞いたのはアモイであった。尊之介は鄭成功と一緒に明国復興戦争の先頭に立っていた。

義直に会うなり、義直は尊之介に本年中に家光を討つと宣言した。討って、南朝の御代に回天させるのだという。だから、自天をくれと言った。

柳生宗矩は死んでいる。その死の間際、宗矩は家光に新珠尊之介のことを話した。それは家光にとって驚愕の事実であった。

これを聞いてすぐさま宗矩の子・宗冬に尊之介を討つように、そして自天を暗殺するように命じた。一方の宗冬もこの話を聞かされたのはほんの数日前のことに過ぎなかった。

その時、宗矩は目撃した場合は十兵衛に知らせよと言われている。十兵衛は故郷の柳生に引きこもっている。

宗冬は宗矩のすべてを引き継いだわけではなかった。伊賀・甲賀の精鋭もない。だからこそ自天の捜索が難航している。

義直が弟の紀伊大納言頼宜を伴い日光社参に発向した。松平伊豆守は、あっと思ったが後の祭りであった。

二人が接近していることは知っていたため、密談ができないように阻止してきたのだ。それがまんまとしてやられた。

紀伊藩にはお抱えの剣術者として田宮兵兵衛長家がいる。父は紀州田宮流の祖、祖父は抜刀田宮流の祖である。

義直は自天に、まことの勾玉が実在するなら、それを手にすれば南朝回天の悲願はなったも同然と言った。そして、それは吉野にあると告げる。だが、すぐには出立できなかった。

話は少し戻る。柳生宗冬が十兵衛のところに駆け込んできて、自天のことを告げた。そしてすべてを十兵衛に任せるという。

宗冬が去って、十兵衛の側に二人のものが現れた。一人は北七太夫。そしてもう一人を新太郎と十兵衛は呼んだ。そして新太郎に、死せる身の御主に、墓場から甦ってもらわねばならなくなったといった。

一方、尊之介、柳生兵庫助、霊峰があつまり、それぞれの脇差を出した。「仁」「勇」「知」の三本である。これが真の勾玉のありかに導くのだというが、皆目見当がつかない。

霊峰がぽつりと、やはり棒庵老師に頼るほかはないという。

この棒庵老師の居所をつかむのに時間がかかってしまったのだ。

義直が悪夢にうなされた。起きると人の気配がする。土蜘蛛の衣装をまとっている。

この後、義直の容体が悪化していく…。

尊之介はただちに吉野に入るといった。勾玉を探すというのだ。

山の中で棒庵老師に出会う。棒庵老師は真の勾玉のありかを示す謎を秘めた歌を教えてくれたが、それ以上のことはわからないという。

そして、この一行をずっとつけているものたちがいた…。

本書について

羽山信樹
邪しき者
小学館文庫

目次

序 陰と影
第一章 但馬守
第二章 春の嵐
第三章 義直
第四章 紅葉
第五章 皇胤
第六章 虎穴

第一章 日本甲螺
第二章 鬼揃
第三章 紅葉狩
第四章 家光上洛
第五章 紅蓮
第六章 志世道にあり

第一章 再会
第二章 殺父報国
第三章 土蜘蛛
第四章 北闕の天
終章 袂別

登場人物

新珠尊之介
秀観
紅葉
鬼夜叉

徳川義直
成瀬隼人正正虎
大宮司武季
柳生兵庫助利巌
柳生新六(連也斎巌包)
高田三之丞
佐野九郎兵衛
霊峰
金春八左衛門安喜
七重
加藤浄与
田辺八左衛門
於福

柳生十兵衛三巌
柳生但馬守宗矩
北(喜多)七太夫
徳川家光
松平伊豆守信綱
土井大炊頭利勝
新免武蔵

鄭芝龍(田川一官)
鄭森(鄭成功)
麗麗

伊達政宗
陳元贇

柳生権右衛門
狭川新三郎助信
大蔵庄左衛門氏紀

下巻

新珠尊之介
新珠自天
秀観
紅葉
鬼夜叉
徳川義直
成瀬隼人正正虎
棒庵老師
柳生兵庫助利巌
柳生兵助巌知(連也斎巌包)
高田三之丞
霊峰
金春八左衛門安喜
柳生十兵衛三巌
柳生主膳宗冬
北(喜多)七太夫
山岡新太郎景本
徳川家光
鄭成功
麗麗
陳元贇
村上彦右衛門
由比正雪
徳川頼宜
田宮兵兵衛長家

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