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童門冬二の「小説-上杉鷹山」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

同じ人物を扱っていても、作家によってこうも印象が異なるものかと思ってしまう。ここで対比するのは藤沢周平の「漆の実のみのる国」である。

本書では、上杉治憲が改革の旗振りとなり、自身も改革案を提示して家臣に実行させるトップダウンの姿が描かれている。

そして、その家臣の中では小姓の佐藤文四郎を重要な人物として登場させている。トップに近い視点で描くためにそうなるのだろう。

一方、「漆の実のみのる国」では、上杉治憲は改革の立案から実行を家臣にまかせ、その採決や責任を負うという姿が描かれている。

いわゆるボトムアップの姿であるが、トップの上杉治憲が全責任をきちんと背負うという図式になっている。そのため、重要な人物として執政の竹俣当綱がクローズアップされる。

また、本書と「漆の実のみのる国」とでの人物の決定的な取扱いが異なるのは先代藩主の重定である。

本書ではほとんど触れられることがないが、「漆の実のみのる国」では上杉治憲に影響を与えている記述が見られる。

その結果として、家臣が上杉治憲に引退を迫った事件や、上杉治憲の若くしての隠居などの記述に違いを持たせている。

この上杉治憲の引退に関しても本書と「漆の実のみのる国」では捉え方が異なり興味深い。

本書では、後進の育成のために引退する。更には自身の影響力を小さくするための出来事として描かれている。

一方で「漆の実のみのる国」ではさらなる改革を進めるために、より自由な隠居の身分を選んだとして描かれている。

藩主は参勤交代があるため、本国に常駐できない。隠居すれば本国に居続けて改革を推進させることが出来る。そのため、家督相続に問題がなくなった時点で家督を譲ったと捉えているのである。

童門冬二は上杉治憲の改革を行う姿勢に重きを置いているようである。実は、本書では改革の成果についての記述はあまりない。

成功したのか失敗したのかは、事実上描かれていない。つまり、改革を行うことの大切さを謳い、理想主義的な側面を強調しているのである。童門冬二は結果として表れるものよりも、観念的なものを重視しているようである。

一方、藤沢周平はより現実的な側面に重きを置いている。そのため、上杉治憲と竹俣当綱が進める改革が見込み違いや天災などにより全然進まない情況を描いている。現実主義的な面があるのである。

他にも両者の差至る所で見受けられる。比較して読まれるととても興味深いだろうと思う。

両者で共通する点が一つある。

それは、本書も「漆の実のみのる国」でも、上杉治憲が隠居して鷹山を名乗ってすぐで物語が終わってしまうのである。

そのため、莅戸善政が藩政に復帰してからの改革は詳しくは描かれていない。また、上杉鷹山は七十を超す長寿だったにもかかわらず、その後半の人生が描かれない結果となっている。

米沢藩の改革の成果が現れ始めるのは実際には上杉鷹山の晩年近くになってからだったのではないだろうか?改革の結果がすぐに現れるはずがない。

特に殖産興業政策が短期で実を結ぶ方がおかしい。だから、個人的には上杉鷹山の改革が成功したのかどうかを知るためにも、晩年の姿を描いて欲しかった。

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内容/あらすじ/ネタバレ

数日前、治憲は米沢藩の藩主の座を相続した。まだ十七才の青年藩主である。

だが、米沢藩は困窮に喘いでいた。借金を頼みに行った色部照長は不首尾に終わったことを告げた。そして、一つだけ策があるという。それは藩を幕府に返上することである。それ程までに追詰められていた。

米沢はもともと、藩祖・上杉景勝の家臣・直江兼続の領地であった。景勝は家来の国に転がり込んだのだ。

そのとき、所領が減ったにもかかわらず、家臣の人員整理を行わなかった。景勝の死後数代たち、さらに減封される出来事が起きた。その結果、米沢藩は収入の約九割が人件費として支出される異常な状態になってしまった。

だが、治憲は藩を返上しないことを決意していた。そのつもりがあるのなら、一度改革を断行してみてからでも遅くないと思ったからである。だが、そのためには人が必要である。

米沢藩は本国も江戸も開藩以来の形式主義、事大主義に毒されており、身動きがとれないでいる。この悪習に立ち向かえる人物が必要である。

そこで、小姓の佐藤文四郎に命じて人物を探させた。そして佐藤文四郎が持ってきたのは、竹俣当綱、莅戸善政、木村高広、藁科松柏らである。これは治憲が注目していたのと一致していた。

治憲はこの者たちを呼び、改革を命じた。まずは江戸からの改革を始める。米沢藩の改革は民を富ませることである。そして、まず取りかかったのが、虚礼の廃止である。だが、このことはすぐに本国での抵抗を招く。

治憲が始めて米沢に入国する。十九の時である。その途中のこと。治憲は炭の中の種火をみて、近習達を呼び、この種火のようにお前達は改革の火種となってくれと頼む。そしてその場で、種火から炭に火が移され皆に手渡された。

米沢に入国した治憲は竹俣当綱を執政に、莅戸善政を奉行に任命し本国での改革を始めるが、本国の重臣達が非協力的な態度に出るため、遅々として進まない。

そうしたなかで、治憲は米沢藩の殖産を竹俣らに命じる。だが、これも重臣達が妨害をする。

両者の対立は決定的な物になり、重臣達は治憲追い出しを企む。だが、先代藩主・重定のおかげで命拾いをする。この事件に関わった重臣達には厳罰が言い渡された。

藩政に落ち着きが戻り、改革が進む。そのなかで人物養成のために治憲は学校を作ることを決断する。学校は興譲館と名付けられた。

だが、改革が進む中、様々なことがあり、治憲の回りから頼みにしていた人間が去る。そして治憲は、若くして隠居することを決意する。三十五才のときである。

この時に次期藩主となる治広に送ったのが「伝国の辞」である。この後、治憲は鷹山と名乗るようになる。

本書について

童門冬二
小説 上杉鷹山
集英社文庫 約六八〇頁
江戸時代

目次

池の魚たち
冷メシ派登用
人形妻
断行
板谷峠
灰の国で
小町の湯
鯉を飼おう
神の土地
さらに災厄が
江戸
重役の反乱
処分
新しい火を
募金
そんぴん
なかま割れ
普門院
きあぴたれ餅
原方のクソつかみ
赤い襦袢
暗い雲
地割れ
竹俣処断
伝国の辞
改革の再建
鷹の人

登場人物

上杉治憲(鷹山)
幸姫
佐藤文四郎…小姓
山口新介
竹俣当綱…執政
莅戸善政…奉行
木村高広
藁科松柏…侍医
細井平洲
北沢五郎兵衛
色部照長
千坂高敦
みすず
紀伊