覚書/感想/コメント
幕末の時代を生きた閨秀画家・明世の人生を描いた作品。仕来りにめげず、画と向き合う明世の姿が清々しく描かれている。
さて、実は本書には苦労した。特に前半部分。
読むスピードがとてつもなく遅かった。ページ数がそれ程あるわけでもなく、読み辛いわけでもない。だが、遅々として進まなかった。私には苦手な類の本である。
本書の扉に、作者が友人へ捧げる言葉を書いている。別に珍しいことではない。が、どうも、思い入れが入り込んでいるような印象を受ける。私が苦手な本の一つの傾向としてこうした思い入れが詰まった本がある。
作者の友人も女性の画家であり、主人公も女性の画家である。このことが関係あるのだろうと思う。
思い入れがある作品は、文章が冗長になる。それは、分かってもらいたいがために、手を変え品を変えて説明するのと同じである。
だから結果として、本来であれば数ページで済むような事柄を、丁寧に丁寧に書き、数十ページになることも珍しくない。
だが、読む方にとってはたまったものではない。どうでも良いことを延々と読まされるのだから。
本書に置いては前半部分がそれに該当する。恐らく、文章を絞れば半分くらいの内容で済むのではないか。
以上、私はそう感じたのだが、作品から受ける印象や面白さというのは個々人で異なる。正反対の印象を受ける方もいるであろうし、そういう方の方が多いかもしれない。だが、私には苦手な作品であった。ここまで苦労した読書は久方ぶりである。
内容/あらすじ/ネタバレ
幕末の時代。明世が父に願い出て画塾の有休舎へ通うようになったのは十三の時であった。師は岡村有休という青年画家であった。他に竹翁とも葦秋とも号した。そして、明世は葦秋に師事して画を学び始めた。
明世が有休舎で親しくなったのは、平吉という蒔絵師の倅と、小川陽次郎という小禄の武家の次男だった。同じ年の彼らはよく帰り道で一緒になった。
その生活が変わったのは明世に縁談が舞い込んできてからだった。相手は御側御用人・馬島林左衛門の一人息子・蔀である。
明世は画に対する思いを捨てきれないでいたが、世の仕来りに従い嫁いだ。十八の時だった。その少し前に師・葦秋から清秋という号をもらった。だが、嫁いだ馬島の家では画を描くということは困難なことであった。
そして、息子の順之助を授かって普通の暮らしを営んでいた明世の身に災難が降りかかる。まずは、夫・蔀が亡くなり、舅の林左衛門も亡くなると、馬島の家は凋落した。息子の順之助は家を継げるような年ではないため、捨て扶持での暮らしになったのだ。
この時になって、明世は久しぶりに有休舎の葦秋を訪ねた。そして、再び画と向き合うようになる。だが、姑のそでが意地悪く明世を責める。明世はそうした中でも画に向き合う。
こうした中で、再び平吉と、今は光岡修理と名乗っている陽次郎に出会う。
時代はアメリカの黒船が来航し、一挙に幕末の動乱の時代へと突入する。
本書について
目次
冬の標
登場人物
明世
末高八百里…父
いせ…母
しげ
馬島林左衛門…舅
そで…姑
蔀…夫
林一(順之助)…息子
岡村葦秋…画家
寧…妻
光岡修理
平吉