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飛鳥寺の歴史と見どころは?(奈良県高市郡明日香村)日本最古の本格的な寺院

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石舞台古墳から飛鳥寺を目指しました。おもったよりも距離がありました。

この日、残念ながら、時間の関係で飛鳥宮跡は立ち寄りませんでした。

国の特別史跡に指定されており、世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産として登録されています。

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飛鳥寺とは

飛鳥寺は、日本で最初の本格的な伽藍を備えた寺院とされています。

飛鳥時代に蘇我馬子の発願によって建立されました。

境内には創建当初からあるとされる飛鳥大仏が安置されています。

飛鳥寺の歴史

崇峻天皇元年(588年)、百済から仏舎利がもたらされ、蘇我馬子によって法興寺(=飛鳥寺)の造営が始められたとされます。

当時の日本では、仏教は新しい宗教でした。

飛鳥寺の造営には百済から寺院建築に関わる技術者などが招かれたとされています。

推古天皇元年(593年)には塔の心礎に仏舎利を納め、推古天皇4年(596年)には塔が完成したとされます。

『日本書紀』によれば、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子は法興寺を建立することを計画、同5年には仏堂(金堂)・歩廊(回廊)が完成、推古天皇元年(593)には塔を起工し、同4年には一応の建物が完成した。同13年には丈六仏像を造り、翌14年に安置したとある。

日本最古の本格的な寺院で、その造営に際して多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来してあたったことが記されている。

大化改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通じて飛鳥における中心的な役割を果たしたが、建久7年(1196)に消失し、現在に至る。

法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師の作と伝える重要文化財の金銅丈六仏が残る。

昭和31年から継続的な発掘調査の結果、塔を中心に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側に中門・南門の跡があることが判明した。寺域は南北290m、東西200~250mの規模をもち、飛鳥では大官大寺とともに、最大規模の寺院であった。

創建当時、飛鳥寺は壮大な伽藍を持つ寺院でした。

発掘調査などから、中央に塔を置き、その東・西・北の三方に金堂を配置されています。

それらを回廊が囲むという伽藍配置だったことが分かっています。

さらに講堂なども備えていました。

皇極天皇3年(644年)、飛鳥寺の西にあった槻の木の下で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏打倒について相談したと伝えられています。

翌年に乙巳の変が起こり、蘇我入鹿が討たれ、大化の改新へつながります。

飛鳥時代(大化の改新から壬申の乱)はどんな時代?
飛鳥時代の年表蘇我氏の台頭6世紀ころになると、勢力を伸ばしたのが蘇我氏でした。飛鳥の地に進出し、漢氏(あやうじ)などの帰化人の知識・技術を用いて、財政・生産を担い、仏教を広めました。二人の娘を欽明天皇の后とし、皇子・皇女を即位させて外戚とし…

奈良時代になると、平城京への遷都にともなって飛鳥寺も転機を迎えます。

養老2年(718年)、法興寺(=飛鳥寺)は平城京に移され、現在の奈良市にある元興寺となります。

飛鳥には旧寺院の建物が残され、平城京の元興寺と区別して本元興寺とも呼ばれるようになりました。

これが今の飛鳥寺です。

飛鳥寺略縁起

崇峻天皇元年(五八八)蘇我馬子が創立した日本最初の本格的寺院であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。

本尊飛鳥大仏(釈迦加来)は推古天皇十三年(六〇五)天皇が詔して鞍作鳥仏師に造らせた日本最古の仏像である。

旧伽藍は仁和三年(八八七)と建久七年(一一九六)に焼失し、室町以降は荒廃したが寛永九年(一六三二)と文政九年(一八二六)に再建され今日に至っている。

現在は真言宗豊山派に属し、新西国第九番、聖徳太子第十一番の霊場でもある。

焼失と再建

長い歴史の中で飛鳥寺は次第に衰退し、建物も失われていきました。

平安時代後期には中門・回廊・南門などが倒壊したと考えられています。

建久7年(1196年)には落雷によって塔と中金堂が焼失しました。

これによって創建当初の主要な伽藍はほぼ失われます。

現在の本堂につながる堂宇は江戸時代に再建されます。

文政8年(1825年)もしくは文政9年(1826年)に本尊を納める仮本堂が再興されたとされ、現在の安居院につながります。

見どころ

本尊「飛鳥大仏」

正式には、銅造釈迦如来坐像といい、重要文化財に指定されています。像高は約2.75mの丈六仏です。

推古天皇17年(609年)に造られ、中金堂に安置されたと伝えられています。

鞍作鳥(止利仏師)の作とされ、日本で最初期の本格的な金銅仏です。

鎌倉時代の火災などで、創建当初の部分として残るのは主に顔、左耳、右手中央三指などです。

その他の部分には後世の補修が大きく入っています。

飛鳥大仏は、創建当時からほぼ同じ場所に座っているとされます。

蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺の西側には、蘇我入鹿の首塚と伝えられる五輪塔があります。