記事内に広告が含まれています。

唐招提寺の歴史と見どころは?(奈良県奈良市)天平の甍

この記事は約3分で読めます。
スポンサーリンク

歴史

唐招提寺

古都奈良のお寺の中でも、唐招提寺は火災などの被害が比較的少なく、創建当初の建物が多く残っています。金堂は奈良時代(780年頃)に建立された現存する唯一の本格的な金堂遺構として、寺院建築の研究にも非常に貴重な存在です。同様に、朝廷から朝集殿を移築した講堂は、現存している唯一の平城宮建築例です。日本人僧侶を教育するために、そして国内で仏教をさらに広めるために、聖武天皇が唐から招待した中国人僧侶の鑑真和上が、唐招提寺を759年に建立しました。

仏教の導入に鑑真は多大なる影響を与え、唐招提寺における鑑真の教えは、その過程において重要であったと考えられます。南太門を通り伽藍に入ると、参拝道が真っ直ぐ金堂に続き、落ち着いた色合いの大きくて延びやかな屋根が見えます。均衡のとれたその美しい軒を支える太い8本の円柱は、アテネのパルテノン神殿に比べられるほどです。素晴らしい外観とともに、金堂の中には仏教的な宇宙観を現す盧舎那仏坐像など、9体の仏像が安置されています。その中でも1000本の腕を持つ千手観音像は、木造のものでは国内最大最古のひとつです。

鑑真が日本へ

8世紀、日本では正式な仏教僧になるための「戒律」を授ける制度が十分に整っていませんでした。

鑑真は奈良時代の742年ごろに日本からの招請を受け、渡日を決意します。

しかし、5度にわたって渡航に失敗。

その過程で失明するほどの苦難を経験しながら、753年、6度目の渡航でついに日本へ到着しました。

来日後は東大寺などで授戒を行いました。

759年、朝廷から与えられた新田部親王の旧宅跡に唐律招提という修行道場を開きます。

これが唐招提寺の始まりです。

鑑真を扱った小説の紹介

鑑真の死後、寺が整備される

創建当初は経蔵・宝蔵などを中心とした質素な道場でした。

鑑真の弟子たちによって伽藍が整備され、8世紀後半には金堂が完成します。

平安時代には衰退しますが、鎌倉時代に覚盛(かくじょう)が戒律復興を進め、唐招提寺を再興します。

1998年には「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されました。

見どころ

金堂

境内の中心に建つ国宝・金堂。

大きく反り上がるような屋根が特徴で、天平時代の雰囲気を今に伝える代表的な建築です。

金堂の屋根には天平の甍として知られる鴟尾(しび)があります。

この鴟尾は、日本に現存する最古のものです。また、唯一の天平時代のものであり、国宝に指定されています。

堂内には、本尊の盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などの国宝仏が安置されています。

鑑真和上坐像

唐招提寺を開いた鑑真和上の国宝・坐像です。

講堂

国宝・講堂。

平城宮にあった東朝集殿を移築したものです。

堂内には弥勒如来坐像や持国天・増長天立像などが安置されています。

経蔵・宝蔵

経蔵は、創建以前の新田部親王邸の倉を改造したものとされます。

現存する校倉造の建物として非常に古いものです。

鼓楼

金堂と講堂の間にある鼓楼も国宝です。

堂内には鑑真が唐から請来した仏舎利を納めた「金亀舎利塔」が安置されています。

戒壇

鑑真が伝えた戒律を象徴する戒壇の建物は失われていますが、3段の石壇が残っています。