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井上靖「天平の甍」のあらすじと感想は?

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題名は「てんぴょうのいらか」と読みます。

天平(てんぴょう)は奈良時代の729年から749年までの元号で、天皇は聖武天皇の時代でした。

奈良時代の最盛期にあたり、鑑真ゆかりの唐招提寺が建てられた時代になります。

唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されました。

甍(いらか)とは、屋根の一番高いところである棟瓦や屋根瓦を指します。

題名には複数の意味が込められていると思います。

まず、唐招提寺の屋根の一番高いところを意味しています。

唐招提寺には、鴟尾(しび)という鯱(しゃちほこ)同様の飾りが大棟の両端にあり、甍を象徴しています。

そして、天平という時代の頂点となった偉業を意味していると思います。

唐招提寺が建て終わった時、屋根の上には、雲ひとつない青空が広がり、新たな時代の門出を祝福していたに違いありません。

唐招提寺は日本に初めて戒律をもたらした象徴であり、天平の頂点でもあったのです。

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覚書/感想/コメント

昔は海外に留学することは、まさに命がけでした。

まず、木造船で海を渡り切ることができるか分からなかったからです。

そして、渡りきることが出来たとしても、今度は帰ってくることができるかどうか分かりませんでした。

むしろ、帰国できずに、海の藻屑と消える確率の方が遥かに高かったのです。

留学した者は、必死に勉強に励み、得た知識を国に帰って役立てようと思っていました。

しかし、その志を遂げられなかった優秀な人物がどれくらいいたことでしょうか。

奈良時代とはそうした時代でした。

そういう時代の中で、本作品の主人公・普照と同僚の栄叡が成し遂げた偉業は、歴史に名を残すにふさわしいものです。

この偉業は、当時の日本の仏教界の強い意志が、後押ししたのだろうと思います。

その強い意志とは、仏教が伝来して日の浅い日本に、きちんとした仏教を広め、高僧を唐から招きたいというものです。

鑑真の来日という事実は歴史上の一つの結果でしかありません。

しかし、そのことを実現するために、国としての日本が払ってきた犠牲は、多大なものでした。

それは、国を担うはずの優秀な留学生や留学僧の命であり、船を操っていた船員達の命でした。

朝廷は多大な犠牲が生じるのが分かっていても遣唐使を派遣することは止めませんでした。

そこに国としての意思があり、覚悟が伺えます。

そして、それらの重責を留学生も留学僧も分かっていました。

ですから、留学生や留学僧は、運良く帰国することができたら国を支える中枢にいることができたのだろうと思います。

国を支えるというのは、どのような犠牲や覚悟が必要なのかを再認識させてくれる小説です。

歴史小説の周囲」の「天平の甍」に関する井上靖氏のエッセーも興味深いです。

この時代について「奈良時代(平城京遷都から遣唐使、天平文化)はどんな時代?」でまとめました。

舞台となる時代

717(霊亀3/養老1) 第9回遣唐使

  • 藤原不比等が名実ともに第一人者となる
  • 第9回遣唐使(大使:大伴山守)派遣(玄昉・阿倍野仲麻呂・吉備真備・井真成ら留学)
  • 行基の布教活動に対して禁令出る(養老元年4月 続日本紀))
  • 郷里制施行

724(神亀1)

  • 元正天皇、首皇子(おびとのみこ)に譲位する
  • 聖武天皇即位(首皇子)
  • 長屋王、左大臣に任じられる
  • 藤原武智麻呂、房前、正三位となる
  • 蝦夷の反乱起こる
  • 藤原宇合、征夷持節大将軍に任ぜられる
  • 多賀城、造営される
  • 遣新羅使(聖武天皇即位を伝えるため)
  • 勅により、藤原夫人宮子を大夫人を称するも、長屋王等の異議申し立てにより、皇太夫人と改める

729(神亀5/天平1) 長屋王の変

  • 長屋王の変。右大臣長屋王、謀反の嫌疑をかけられ、妃吉備内親王および諸王子と共に自害する
  • 年号を天平と改められる
  • 夫人藤原光明子を皇后とする(光明皇后)

733(天平5) 第10回遣唐使

  • 第10回遣唐使(大使:多治比広成、副使:中臣名代)派遣
  • 戒師招請の任務を受ける興福寺僧・栄叡、普照も乗船

737(天平9) 藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡

  • 天然痘が流行する
  • 藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡 (4月房前(57歳)没、7月麻呂(43歳)、武智麻呂(58歳)没、8月宇合(44歳)没)

740(天平12) 藤原広嗣の乱

  • 藤原広嗣の乱(藤原広嗣、玄昉、吉備真備の排斥を求めて九州で挙兵)

743(天平15) 墾田永年私財法/聖武天皇が大仏造立の詔を発す

  • 墾田永年私財法発布される
  • 聖武天皇、紫香楽宮に盧舎那仏造営を発願
  • 行基、弟子たちを率いて広く民衆に盧舎那仏造営に参加を勧誘

752(天平勝宝4) 大仏開眼

  • 東大寺建立(大仏開眼)

753(天平勝宝5)

  • 遣唐副使大伴古麻呂、吉備真備帰国、同船に便乗し鑑真来朝(遣唐使・藤原清河の船は漂流し帰国できず)

754(天平勝宝6)

  • 鑑真、平城京に入る
  • 鑑真、東大寺大仏殿前に戒壇を備え、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇、その他約440名に授戒する

755(天平勝宝7)

  • 鑑真、東大寺に戒壇院を設置

763(天平宝字7)

  • 鑑真、亡くなる
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内容/あらすじ/ネタバレ

第九遣唐使派遣が決まったのは聖武天皇の天平四年(西暦七三二年)のことだった。

この第九遣唐使に留学僧として普照、栄叡が選ばれた。

まだ日本には戒律が備わっておらず、適当な伝戒の師を請じて日本に戒律を施行したい。

ついてはその伝戒の師を師を連れてくるようにというのが二人に課せられた仕事であった。

船が出発するにあたり、二人の他に戒融、玄朗という二人の留学僧も加わった。

船は波浪にもてあそばれ、船酔で苦しむものが続出した。

だが、難破することなく蘇州へと漂着することができた。

一行は、そこから洛陽へと向かった。当時の朝廷は長安ではなく洛陽にあったからである。

時の皇帝は玄宗であった。

留学僧の四人は洛陽の大福先寺に入れられた。ようやくにして留学の生活が始まった。

ある日普照は業行という先輩留学僧に会った。

業行はまだ日本にない仏典を写経しており、その数は膨大なものに上った。それらの中には密教の仏典もあった。

普照が業行とあってからの後のこと。戒融が出奔した。

都が再び長安に移るにつれ、三人も長安へと移った。

長安に移ってから、日本の仏教界の話が洩れ聞こえてきた。その話を聞き、栄叡は留学にあたって、戒師を連れ帰るという仕事を早く進めなければならないと思い始めた。

また、業行も自身の写経がほぼ終わり、日本に教典を持ち帰りたいと思っていた。

栄叡は戒師として、名高い鑑真の弟子を何人か連れ帰りたいと考えていた。

その旨を鑑真にお願いしに行くと、あらんことか鑑真本人が日本へ行くというではないか。

栄叡は感激してしまった。これより、栄叡は鑑真を日本へ連れて行くための準備に入る。そして普照も手伝うことになった。

だが、日本への渡航は困難を極めた。

最初は出航することすらできずに失敗、そして次は船が難破してしまう。

本書について

井上靖
天平の甍
新潮文庫 約二〇〇頁
長編 奈良時代

目次

天平の甍

登場人物

普照…留学僧
栄叡…留学僧
戒融…留学僧
玄朗…留学僧
業行…留学僧
鑑真
祥彦…鑑真の弟子
思託…鑑真の弟子