記事内に広告が含まれています。

古墳時代・飛鳥時代・奈良時代の詳しい年表/出来事(400年頃~793年)

この記事は約29分で読めます。
  • 簡単な年表は「目次」部分をご参照ください。
  • 詳細な年表は、目次の年をクリックor下へスクロールしてご参照ください。

古墳時代を含めると約400年の年表ですが、飛鳥時代と奈良時代では約200年の年表です。調べ物や勉強にお役に立てば幸いです。

飛鳥時代は飛鳥の地に都がおかれ、奈良時代は平城京に都がおかれました。皇族を巻き込んだ政争の多い時代でしたが、律令国家を目指した時代でした。

目次
  1. 縄文時代・弥生時代
  2. 古墳時代
      1. 400
      2. 404
      3. 405
      4. 406
      5. 412
      6. 415
      7. 454
      8. 457
      9. 478
      10. 480
      11. 485
      12. 488
      13. 499
      14. 502
    1. 第26代 継体天皇 507-531
      1. 507 継体天皇即位
      2. 526
      3. 527 磐井の乱
      4. 528
    2. 第27代 安閑天皇 531-535
      1. 531
      2. 534
    3. 第28代 宣化天皇 535-539
      1. 535
      2. 536
      3. 537
      4. 537 百済から仏教が伝わる(552年説あり)
    4. 第29代 欽明天皇 539-571
      1. 539
      2. 541
      3. 552 百済から仏教が伝わる(537年説あり)
      4. 553
      5. 554
      6. 556
      7. 557
      8. 562
      9. 570
      10. 571
    5. 第30代 敏達天皇 572-585
      1. 572
      2. 584
    6. 第31代 用明天皇 585-587
      1. 585
    7. 第32代 崇峻天皇 587-592
      1. 587 丁未の乱(または丁未の変)
      2. 588
      3. 590
      4. 591
  3. 飛鳥時代
    1. 第33代 推古天皇 592-628
      1. 592
      2. 593 聖徳太子が摂政となる
      3. 594
      4. 595
      5. 596
      6. 600
      7. 601
      8. 602
      9. 603 冠位十二階制定
      10. 604 十七条憲法制定
      11. 605
      12. 607 第二回遣隋使(小野妹子等)を派遣
      13. 608
      14. 609
      15. 610
      16. 613
      17. 614
      18. 615
      19. 618
      20. 621
      21. 622
      22. 623
      23. 626
      24. 628
    2. 第34代 舒明天皇 629-641
      1. 629
      2. 630 第一次遣唐使
      3. 632
      4. 633
      5. 636
      6. 639
      7. 640
      8. 641
    3. 第35代 皇極天皇 642-645
      1. 642
      2. 643
    4. 第36代 孝徳天皇 645-654
      1. 645(大化1) 乙巳の変(大化の改新)
      2. 646(大化2)
      3. 647(大化3)
      4. 649(大化4)
      5. 650(白雉1)
      6. 651(白雉2)
      7. 652(白雉3)
      8. 653(白雉4)
      9. 654(白雉5)
    5. 第37代 斉明天皇 655-661
      1. 655
      2. 656
      3. 657
      4. 658
      5. 659
      6. 660
      7. 661
      8. 662
      9. 663 白村江の戦い
      10. 664
      11. 665
      12. 666
      13. 667
    6. 第38代 天智天皇 668-671
      1. 668
      2. 669
      3. 670
    7. 第39代 弘文天皇 671-672
      1. 671
      2. 672 壬申の乱
    8. 第40代 天武天皇 673-686
      1. 673
      2. 674
      3. 676
      4. 677
      5. 678
      6. 679
      7. 680
      8. 681
      9. 682
      10. 683
      11. 684
      12. 685
      13. 686(朱鳥1)
      14. 689
    9. 第41代 持統天皇 690-697
      1. 690
      2. 691
      3. 692
      4. 694
      5. 696
    10. 第42代 文武天皇 697-707
      1. 697
      2. 698
      3. 699
      4. 700
      5. 701(大宝1) 「大宝令」が施行
      6. 702(大宝2)
      7. 704(大宝2/慶雲1)
      8. 705(慶雲2)
    11. 第43代 元明天皇 707-715
      1. 707(慶雲3)
      2. 708(慶雲3)
      3. 708(和銅1)
  4. 奈良時代
      1. 710(和銅3) 平城京遷都
      2. 711(和銅4)
      3. 712(和銅5)
      4. 713(和銅6)
      5. 714(和銅7)
    1. 第44代 元正天皇 715-724
      1. 715(和銅8/霊亀1)
      2. 716(霊亀2)
      3. 717(霊亀3/養老1)
      4. 718(養老2)
      5. 719(養老3)
      6. 720(養老4) 日本書紀の編纂
      7. 721(養老5)
      8. 722(養老6)
      9. 723(養老7)
    2. 第45代 聖武天皇 724-749
      1. 724(神亀1)
      2. 725(神亀2)
      3. 726(神亀3)
      4. 728(神亀4)
      5. 729(神亀5/天平1) 長屋王の変
      6. 730(天平2)
      7. 731(天平3)
      8. 732(天平4)
      9. 733(天平5)
      10. 734(天平6)
      11. 735(天平7)
      12. 736(天平8)
      13. 737(天平9) 藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡
      14. 738(天平10)
      15. 740(天平12) 藤原広嗣の乱
      16. 741(天平13)
      17. 742(天平14)
      18. 743(天平15) 墾田永年私財法/聖武天皇が大仏造立の詔を発す
      19. 744(天平16)
      20. 745(天平17)
      21. 746(天平18)
      22. 747(天平19)
      23. 748(天平20)
    3. 第46代 孝謙天皇 749-758
      1. 749(天平勝宝1)
      2. 750(天平勝宝2)
      3. 751(天平勝宝3)
      4. 752(天平勝宝4) 大仏開眼
      5. 753(天平勝宝5)
      6. 754(天平勝宝6)
      7. 755(天平勝宝7)
      8. 756(天平勝宝8)
      9. 757(天平宝字1)
    4. 第47代 淳仁天皇 758-764
      1. 758(天平宝字2)
      2. 759(天平宝字3)
      3. 760(天平宝字4)
      4. 761(天平宝字5)
      5. 762(天平宝字6)
      6. 763(天平宝字7)
    5. 第48代 称徳天皇 764-770
      1. 764(天平宝字8) 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱
      2. 765(天平神護1)
      3. 766(天平神護2)
      4. 767(神護景雲1)
      5. 768(神護景雲2)
      6. 769(神護景雲3)
    6. 第49代 光仁天皇 770-781
      1. 770(神護景雲4/宝亀1) 道鏡が左遷
      2. 771(宝亀2)
      3. 772(宝亀3)
      4. 773(宝亀4)
      5. 774(宝亀5)
      6. 775(宝亀6)
      7. 777(宝亀8)
      8. 778(宝亀9)
      9. 779(宝亀10)
      10. 780(宝亀11)
    7. 第50代 桓武天皇 781-806
      1. 781(天応1)
      2. 782(天応2)
      3. 782(延暦1)
      4. 783(延暦2)
      5. 784(延暦3)
      6. 785(延暦4)
      7. 788(延暦7)
      8. 790(延暦9)
      9. 793(延暦12)
  5. 平安時代
      1. 794(延暦13) 平安京遷都
スポンサーリンク

縄文時代・弥生時代

スポンサーリンク

古墳時代

400

  • 履中天皇即位
  • 高句麗好大王、新羅を援助

404

  • 倭軍、高句麗軍と戦い敗退

405

  • 百済の人質名忽王の子、未斯欣を百済王として兵とともに護送する

406

  • 反正天皇即位
  • 河内の丹比に柴籬宮を造営

412

  • 允恭天皇即位

415

  • 詔により、姓氏を正すために盟神探湯を行う

454

  • 安康天皇即位
  • 都を石上に遷都

457

  • 雄略天皇即位
論点

2013年東大:5世紀後半のワカタケル大王の時代は、古代国家成立の過程でどのような意味を持っていたか。宋の皇帝に官職を求める国際的な立場と「治天下大王」という国内での称号の相違に留意しながら回答するよう求められました。

478

  • 倭王武、宗に朝貢し、順帝から安東大将軍の称号を受ける

480

  • 清寧天皇即位
  • 磐余に都を置く

485

  • 顕宗天皇即位

488

  • 仁賢天皇即位 

499

  • 武烈天皇即位

502

  • 倭王武、梁の武帝から征東将軍の称号を受ける

第26代 継体天皇 507-531

507 継体天皇即位

  • 継体天皇即位。(大伴金村、応神五世の孫を即位させる)

526

  • 磐余の玉穂に遷る

527 磐井の乱

  • 磐井の乱

528

  • 物部大連、築紫の御井郡で磐井を切り、磐井の乱を平定

第27代 安閑天皇 531-535

531

  • 安閑天皇即位
  • 継体天皇を摂津の藍野陵に葬る
亡くなった人物
  • 継体天皇

534

  • 都を大倭国の勾金橋に遷す
  • 百済国より朝貢使、来朝する

第28代 宣化天皇 535-539

535

  • 宣化天皇即位
亡くなった人物
  • 安閑天皇

536

  • 都を檜隅の廬入野に遷す

537

  • 新羅が、任那に侵入したので大伴狭手彦を遣わし任那を助ける

537 百済から仏教が伝わる(552年説あり)

  • 百済から仏教が伝わる

第29代 欽明天皇 539-571

539

  • 欽明天皇即位
  • 都を礎城郡の礎城嶋に置く

541

  • 百済に任那復興を命ずる

552 百済から仏教が伝わる(537年説あり)

  • 百済国から高麗、新羅との戦いへの援軍要請あり
  • 仏教伝来(百済から伝わる)
論点
  • 2016年阪大:仏教の伝来は日本の歴史に大きな影響を与えましたが、6世紀における仏教の受容過程について問われました。

553

  • 百済国から、高麗、新羅との戦いへの援軍要請あり

554

  • 内臣、軍船を率いて百済に向かう

556

  • 兵士1000名を送り百済を救援する

557

  • 百済の王子余昌、王位に就く(威徳王)

562

  • 任那日本府、新羅に滅ぼされる
  • 新羅討伐の詔下る
  • 大将軍・紀男麻呂宿禰新羅討伐へ派遣
  • 大伴連狭手彦を高麗討伐へ派遣

570

  • 高句麗の使節、国書を携え北陸に漂着
亡くなった人物
  • 蘇我稲目

571

  • 新羅に使を派遣し任那が滅びた理由を問責する

第30代 敏達天皇 572-585

572

  • 敏達天皇即位
  • 百済大井(奈良県広陵町百済)に宮を造る

584

  • 蘇我馬子、石川の宅に仏殿を造る

第31代 用明天皇 585-587

585

  • 用明天皇即位
  • 蘇我馬子、大野丘の北に仏塔を建てる
  • 物部守屋・中臣勝海ら仏塔、仏殿を破壊する

第32代 崇峻天皇 587-592

587 丁未の乱(または丁未の変)

  • 用明天皇崩御し、崇峻天皇即位
  • 丁未の乱(または「丁未の変」蘇我馬子が物部守屋を河内で倒す)
  • 聖徳太子、四天王寺建立発願
  • 蘇我氏、法興寺(飛鳥寺)建立発願

588

  • 蘇我氏、法興寺(飛鳥寺)建立開始

590

  • 学問尼善信ら百済国から帰り、桜井寺に住む
  • 多くの尼が得度する

591

  • 任那奪回を目的に約2万人の兵を築紫に集結させるも、派兵中止

飛鳥時代

第33代 推古天皇 592-628

592

  • 蘇我馬子、東漢駒に崇峻天皇を暗殺させる
  • 推古天皇即位

593 聖徳太子が摂政となる

  • 聖徳太子、摂政となる

594

  • 「三宝興隆」の詔、発布(仏教公認される)

595

  • 高句麗の僧 慧慈来日
  • 百済の僧、慧聡来日

596

  • 蘇我馬子、息子善徳を寺司とする

600

  • 任那に派兵し、新羅と和平する
  • 第一回遣隋使派遣
論点

遣隋使・遣唐使とセットで問われます。

  • 2009年東大:7・8世紀の遣隋使・遣唐使は、東アジア情勢の変化に対応してその性格も変わりました。その果たした役割や意義を、時期区分しながら問われました。
  • 1985年東大:7世紀から9世紀にかけての遣隋使や遣唐使が、当時の日本の政治および文化に与えた影響が問われました。

601

  • 聖徳太子、斑鳩宮建立開始

602

  • 新羅討伐のため来目皇子(聖徳太子の弟)を将軍とする約2万5千人の兵を築紫に集結させるも来目皇子急死のため中止となる

603 冠位十二階制定

  • 小墾田宮に遷都
  • 冠位十二階制定
  • 太秦に広隆寺建立
論点
  • 2010年京大:推古朝の政策とその特徴が問われました。
  • 2005年阪大:飛鳥時代には、日本史上の画期となる政治制度が始められ、新たな文化現象も起こりました。それらを関連づけて歴史上の意義について問われました。

604 十七条憲法制定

  • 十七条憲法制定

605

  • 斑鳩宮完成し聖徳太子移り住む

607 第二回遣隋使(小野妹子等)を派遣

  • 法隆寺建立される
  • 四天王寺落成する
  • 第二回遣隋使(小野妹子等)を派遣
論点
  • 1989年一橋:近代以前の日本は、東アジア社会の一員として、他の地域と相互に影響を及ぼしあいながら、歴史を展開させてきました。次に掲げた年には、日本の対外関係史上重要な出来事が起きています。そのそれぞれについて、内外の歴史的背景と日本社会への影響を含めて説明が求められました。(1)607年、(2)894年、(3)1401年、(4)1543年

608

  • 遣隋使(小野妹子等)帰国、随使裵世清ら来日
  • 第三回遣隋使(小野妹子等)を派遣(随使裵世清らを送るため)高向玄理・南淵請安、留学

609

  • 遣隋使(小野妹子等)帰国
  • 法興寺(飛鳥寺)完成する

610

  • 第四回遣隋使派遣
  • 新羅、任那の使人来朝する

613

  • 難波から飛鳥までの大道をつくる

614

  • 第五回遣隋使(犬上御田鍬)を派遣

615

  • 遣隋使(犬上御田鍬)帰国

618

  • 高句麗使、隋軍30万を撃退したこと伝える

621

亡くなった人物
  • 間人皇后(聖徳太子母)

622

亡くなった人物
  • 聖徳太子
  • 妃膳部菩岐々美郎女(聖徳太子妃)

623

  • 新羅討伐軍数万を派兵

626

  • 蘇我馬子没、桃原墓に葬られる
亡くなった人物
  • 蘇我馬子

628

亡くなった人物
  • 推古天皇

第34代 舒明天皇 629-641

629

  • 舒明天皇即位

630 第一次遣唐使

  • 第一次遣唐使(犬上御田鍬)を派遣(遣唐使のはじめ)

632

  • 第一次遣唐使(犬上御田鍬)帰国

633

  • 留学生恵日ら帰国し唐との国交を建言

636

  • 岡本宮焼亡し田中宮へ遷る

639

  • 大宮・大寺建立の詔、出される(百済宮と百済寺)
  • 九重塔を百済川のほとりに建てる

640

  • 厩坂宮(橿原市大軽町)に遷る
  • 百済宮に遷る

641

亡くなった人物
  • 舒明天皇

第35代 皇極天皇 642-645

642

  • 皇極天皇即位
  • 小墾田宮へ遷る

643

  • 蘇我入鹿、巨勢徳太古臣、土師娑婆連の軍を差し向け、山背大兄王(聖徳太子の遺子)を斑鳩宮で自害させる
  • 中臣鎌子連、法興寺の槻の木の下で、蹴鞠をしていた中大兄皇子と初めて出会う
  • 蘇我蝦夷、入鹿親子、家を甘樫丘に並べて建てる

第36代 孝徳天皇 645-654

645(大化1) 乙巳の変(大化の改新)

  • 乙巳の変。大化元年6月、中大兄皇子と中臣鎌足、蘇我入鹿を宮中で謀殺し、蘇我蝦夷は自殺。
  • 皇極天皇から弟の軽皇子へ譲位
  • 孝徳天皇即位
  • 蘇我倉山田石川麻呂、右大臣となる
  • 古人皇子、謀反の疑いで殺される
  • 倭国と多武峯・百済による統一政権が模索される
  • 難波長柄豊崎に遷都。孝徳天皇、飛鳥から難波長柄豊崎に遷都し、造営開始。

646(大化2)

  • 「改新の詔」発布される

647(大化3)

  • 七色十三階の冠定める
  • 新羅が金春秋をらを遣わしてきた、金春秋を人質とする

649(大化4)

  • 冠位十九階を定める
  • 右大臣蘇我倉山石川麻呂、謀反の嫌疑をかけられ山田寺で自害
亡くなった人物
  • 阿倍野内麻呂(左大臣)

650(白雉1)

  • 年号「白雉」に改める

651(白雉2)

  • 孝徳天皇、難波長柄豊崎宮に遷る
  • 新羅の使が築紫に来るが、唐の服を着用していたのを不快として追い返す

652(白雉3)

  • 難波長柄豊崎宮完成する

653(白雉4)

  • 中大兄皇子、孝徳天皇に大王宮を難波から飛鳥へ戻すことを進言するも認められず
  • 中大兄皇子、退位した皇極天皇(母)、間人皇女(実の妹で孝徳天皇の皇后)をはじめ多数の豪族を引き連れ飛鳥に移る
  • 遣唐使(吉士長丹)派遣(二隻241名)
  • 遣唐使(高田根麻呂)派遣(遭難)
亡くなった人物
  • 旻法師

654(白雉5)

  • 遣唐使(吉士長丹)帰国
  • 遣唐使(押使 高向玄理大使 河辺麻呂 副使 薬師恵日)派遣
亡くなった人物
  • 孝徳天皇

第37代 斉明天皇 655-661

655

  • 皇極上皇が斉明天皇として飛鳥板蓋宮にて重祚する
  • 遣唐使(高向玄理)帰国、高向玄理は唐で没

656

  • 高麗国より使者来朝(大使:達沙以下81名)
  • 遣高麗使派遣(大使:膳臣葉積(かしわでのおみはつみ))

657

  • 遣新羅使派遣(新羅の唐への大使派遣に日本の大使を同行させよと依頼するも、新羅国が拒絶)

658

  • 阿倍比羅夫、軍船180隻を率いて蝦夷へ遠征する
  • 有間皇子(孝徳天皇の皇子)、謀反を問われ処刑
亡くなった人物
  • 左大臣・巨勢徳太臣

659

  • 遣唐使(坂合部石布)派遣(第一船南海に島に漂着、大使殺される)

660

  • 中大兄皇子、漏剋(水時計)を造る
  • 百済、新羅・唐の連合軍に滅ぼされる
  • 百済の鬼室福信より救援を要請される

661

  • 斉明天皇出征し築紫朝倉宮を本営とする
  • 前軍・安曇比羅夫連、後軍・阿倍引田臣比羅夫らを遣わして百済を救援する
  • 遣唐使(坂合部石布)第二船帰国
亡くなった人物
  • 斉明天皇

662

  • 百済の鬼室福信に矢・綿・布などを与える
  • 高麗、救援を求めてきたのに応え将軍を派遣する
  • 安曇比羅夫連、軍船170隻を率いて豊暲らを百済に送り国王の位を継がせる

663 白村江の戦い

  • 白村江(はくすきえ)の戦い。唐・新羅連合軍に敗れる。
論点
  • 2011年東大:白村江の戦いに倭から派遣された軍勢の構成と、白村江での敗戦は、日本古代の律令国家の形成にどのような影響をもたらしたのかが問われました。
  • 1992年東大:660年百済が唐・新羅の連合軍の進攻によって滅亡し、663年に白村江の決戦で大敗するまで、日本の朝廷はなぜこれほど積極的に百済を支援したのかを、国際的環境と国内的事情とに留意して問われました。

664

  • 百済王善光王らを難波に住まわす
  • 対馬、壱岐、築紫国などの防人を置く

665

  • 百済の百姓400余人を近江国に住まわせる
  • 百済の遺臣に長門国、築紫国に城を築かせる
  • 送唐客使(守大石ら)唐使劉徳高を送る。唐使法聡来日

666

  • 高麗使、来朝する(1月、10月)
  • 百済の男女二千余人を東国に住まわせる

667

  • 近江大津宮遷都
  • 送唐客使(守大石ら)帰国
  • 送唐客使(伊吉博徳)、唐使法聡を百済に送る
  • 大和の高安城、讃吉国の屋嶋城、対馬国の金田城を築く

第38代 天智天皇 668-671

668

  • 天智天皇即位(中大兄皇子)
  • 中臣鎌足等「近江令」を撰定する
  • 行基、渡来人の子孫として河内国大鳥郡で生誕

669

  • 遣唐使(河内鯨)派遣(帰国の有無不明)
  • 中臣鎌足没、天智天皇より藤原姓を賜る
  • 百済の男女700余人を近江国の蒲生郡に住まわせる
  • 唐、郭務悰(かくむそう)ら2000余人を送る

670

  • 若草伽藍(法隆寺前身寺)全焼する

第39代 弘文天皇 671-672

671

  • 大友皇子を太政大臣、蘇我赤兄臣を左大臣、中臣金連を右大臣とする
亡くなった人物
  • 天智天皇

672 壬申の乱

  • 壬申の乱
  • 大海人皇子、吉野から東国へ
  • 高市皇子、大津皇子がこれに合流する
  • 大海人皇子の軍勢、大和へ侵攻する
  • 大友皇子、自害する
  • 左大臣蘇我赤兄、流罪となる
  • 大海人皇子、飛鳥に入り、飛鳥淨御原宮を造営
論点
  • 2001年阪大:六七二年に起こった壬申の乱の原因と、その影響について問われました。

第40代 天武天皇 673-686

673

  • 天武天皇即位(大海人皇子、飛鳥浄御原宮で即位)
  • 川原寺で一切経書写
  • 「造高市大寺司」任命される
論点
  • 2000年京大:天武天皇の時代はどのような時代であったかを問われました。

674

  • 大来皇女、斎宮として伊勢へ向かう

676

  • 藤原宮の造営検討されるも中止となる

677

  • 天武天皇、東漢直等を七つの罪状をあげ戒告する
  • 飛鳥寺で一切経転読される
  • 高市大寺、大官大寺と改称される

678

  • 官人の考課・選叙法される
  • 山田寺丈六仏像、鋳造される
  • 新都城建設計画検討始まる

679

  • 天皇・皇后・六皇子、吉野で会盟する
  • 竜田山、大坂山に関を置き、難波宮に羅城を築く

680

  • 天武天皇、皇后の病気平癒を祈願して薬師寺建立を発願する 

681

  • 「浄御原令」撰定の詔、出される
  • 草壁皇子、皇太子となり摂政する

682

  • 大官大寺で140余人出家
亡くなった人物
  • 慈恩大師

683

  • 僧正、僧都、律師を任じ、僧尼を統領させる
  • 諸国に詔して陣法を教習させる

684

  • 造都のため、畿内・信濃の地を視察させる
  • 藤原宮の建設地、決定される
  • 「八色の姓」制定される

685

  • 天皇病気平癒を祈り 大官大寺、川原寺、飛鳥寺 において誦経が行われる

686(朱鳥1)

  • 鸕野讚良皇后(うののささら) 称制する(持統天皇)
  • 大津皇子、謀反の疑いにより殺される
亡くなった人物
  • 天武天皇

689

亡くなった人物
  • 草壁皇子(皇太子)

第41代 持統天皇 690-697

690

  • 持統天皇即位(鸕野讚良皇后(うののささら))
  • 「浄御原令」を実施し、太政大臣高市皇子以下を任じ、公卿、百寮の朝廷での礼を定める
  • 初めて伊勢神宮内宮の遷宮が行われる

691

  • 藤原京(新益京)、建設工事始まる

692

  • 持統天皇、伊勢に行幸する
  • 飛鳥淨御原令の施行「中央の諸官司に令一部二十二巻を分け下し賜った」

694

  • 藤原京遷都
論点
  • 2018年東大:中国の都城にならって営まれた日本古代の宮都は、藤原京(694~710年)にはじまるとされます。それまでの大王の王宮のあり方と比べて、藤原京ではどのような変化が起きたのか。律令制の確立過程における藤原京の歴史的意義にふれながら問われました。
  • 2018年阪大:日本古代には都の場所がたびたび変わりました。7世紀半ばから8世紀半ばにおける都の変遷について問われました。

696

亡くなった人物
  • 高市皇子

第42代 文武天皇 697-707

697

  • 軽皇子(草壁皇子の長男)、皇太子となる
  • 文武天皇即位(軽皇子)
  • 持統天皇、太上天皇となり文武天皇の後見となる
  • 藤原不比等、娘宮子を入内させる

698

  • 詔により「藤原」の姓は不比等とその子孫に限り、意美麻呂以下は神事に携わるため旧姓中臣に復す
  • 薬師寺、開眼仏会行われる

699

  • 役小角、世を惑わす妖言をなした疑いで伊豆の島に流される

700

  • 刑部親王、藤原不比等らに律令の撰定を命ずる
亡くなった人物
  • 道昭

701(大宝1) 「大宝令」が施行

  • 「大宝令」が施行される
  • 新令による官名・位号を改制される
  • 藤原不比等、正三位大納言となる
  • 大安寺で「僧尼令」講説される
  • 高安城、廃止される
  • 宮子、首皇子を生む
  • 県犬飼三千代(後の橘三千代)、安宿媛(光明子)を生む

702(大宝2)

  • 「大宝律」が施行される
  • 遣唐使栗田真人派遣(山上憶良、小録として派遣)
  • 道慈留学
  • 「大宝律令」の全国領布、行われる
  • 702~704頃、役行者により観心寺草創(寺号は雲心寺)
論点

律令については様々な角度で問われています。

  • 2003年京大:古代律令国家の成立から終焉に至る過程を、その法典編纂の歴史に即して問われました。
亡くなった人物
  • 持統太上天皇

704(大宝2/慶雲1)

  • 石上麻呂、右大臣になる
  • 遣唐使栗田真人帰国

705(慶雲2)

  • 大風、日照りのための飢餓と疫病の流行が二十カ国に及ぶ
  • 飢餓と疫病は河内、摂津、出雲、安芸、讃岐、伊予にも広がり、盗賊が横行
  • 律令制度の破綻早くも現れ始める

第43代 元明天皇 707-715

707(慶雲3)

  • 元明天皇即位(阿閇皇女(あへのひめみこ))
亡くなった人物
  • 文武天皇

708(慶雲3)

  • 元明天皇即位の宣命において「不改常典」を明らかにする

708(和銅1)

  • 藤原不比等、正二位となる
  • 「遷都の詔」出される
  • 藤原不比等右大臣となる
  • 和同開珎が作られる

奈良時代

710(和銅3) 平城京遷都

  • 平城京遷都
論点
  • 2018年阪大:日本古代には都の場所がたびたび変わりました。7世紀半ばから8世紀半ばにおける都の変遷について問われました。
  • 2013年阪大:平城京はおよそ10万人が住む政治都市であったといわれています。平城京はどのように区画され、いかなる施設が配置されていたのか、その概要について問われました。
  • 1981年一橋:平城京の市、荘園の市場、寺内町について具体的に説明しながら、古代~中世の市・町の発展過程が問われました。また、室町・戦国時代には、そうした経済発展を背景として、民衆を担い手とする文化が発展しますが、文芸の分野にそくして問われました。

711(和銅4)

  • このころ、法隆寺完成する

712(和銅5)

  • 太安万侶が「古事記」を撰上する

713(和銅6)

  • 諸国に「風土記」の編纂を命じる

714(和銅7)

  • 首皇子、皇太子となる

第44代 元正天皇 715-724

715(和銅8/霊亀1)

  • 遠江国で地震、天竜川が決壊し洪水発生
  • 元明天皇、娘の氷高皇女(ひたかのひめみこ)に譲位し、太上天皇となる
  • 元正天皇即位(氷高皇女)
  • 気比神宮寺の成立
論点

気比神宮寺は文献上最初に登場する神宮寺です。神宮寺は神社に付属して建てられた仏教寺院等で、神仏習合に基づくものです。

1998年京大:神々への信仰が神仏習合へと展開する過程と理由が問われました。

2007年の大阪大学の入試で、古代・中世において、神と神への信仰と仏教は、どのような関係にあったか、その特徴について問われました。

2015年東大:古来からの神々への信仰と伝来した仏教との共存が可能となった理由と、奈良時代から平安時代前期にかけ、神々への信仰が仏教の影響を受けてどのように展開したのかが問われました。

→ 教科書の内容を逸脱しますが、義江彰夫「神仏習合」が詳しいです。

716(霊亀2)

  • 不比等の娘、安宿媛(光明子)、首皇子の妃となる
  • 大安寺が平城京へ移される
  • 出雲大社建立される

717(霊亀3/養老1)

  • 藤原不比等が名実ともに第一人者となる
  • 第9回遣唐使(大使:大伴山守)派遣(玄昉・阿倍野仲麻呂・吉備真備・井真成ら留学)
  • 行基の布教活動に対して禁令出る(養老元年4月 続日本紀))
  • 郷里制施行
亡くなった人物
  • 右大臣・石上麻呂

718(養老2)

  • 遣唐使(大伴山守)帰国
  • 法興寺(飛鳥寺)、薬師寺、平城右京に移される
  • 藤原不比等等、「養老律令」撰定を始める

719(養老3)

  • 首皇太子、朝政を聴く

720(養老4) 日本書紀の編纂

  • 隼人、反乱を起こす
  • 大伴旅人、征隼人将軍に任じられる
  • 舎人親王ら「日本書紀」を撰上する
  • 蝦夷の反乱
  • 造興福寺仏殿司おかれる
亡くなった人物
  • 藤原不比等

721(養老5)

  • 長屋王、右大臣となる
  • 藤原武智麻呂は中納言、房前は従三位、宇合は正四位、麻呂は従四位に昇進
亡くなった人物
  • 元明太上天皇

722(養老6)

  • 遣新羅使(元明太上天皇崩御を報告するため)
  • 長屋王、百万町歩開墾計画を奏上

723(養老7)

  • 満誓、太宰府観世音寺造営を命じられる
  • 三世一身の法発布される

第45代 聖武天皇 724-749

724(神亀1)

  • 元正天皇、首皇子(おびとのみこ)に譲位する
  • 聖武天皇即位(首皇子)
  • 長屋王、左大臣に任じられる
  • 藤原武智麻呂、房前、正三位となる
  • 蝦夷の反乱起こる
  • 藤原宇合、征夷持節大将軍に任ぜられる
  • 多賀城、造営される
  • 遣新羅使(聖武天皇即位を伝えるため)
  • 勅により、藤原夫人宮子を大夫人を称するも、長屋王等の異議申し立てにより、皇太夫人と改める

725(神亀2)

  • 詔して、諸寺に「金光明最勝王教」の転読を義務付ける

726(神亀3)

  • 聖武天皇、興福寺東金堂を建立

728(神亀4)

  • 遣渤海使(引田虫麻呂)62名を派遣(高斉徳ら8名を送るためと渤海と通交することにより新羅を牽制するため)

729(神亀5/天平1) 長屋王の変

  • 長屋王の変。右大臣長屋王、謀反の嫌疑をかけられ、妃吉備内親王および諸王子と共に自害する
  • 年号を天平と改められる
  • 夫人藤原光明子を皇后とする(光明皇后)
論点
  • 1993年京大:東アジアの国際関係を考慮しつつ、天平文化と国風文化のそれぞれの特色が問われました。
亡くなった人物
  • 皇太子(基王)
  • 僧正・義淵

730(天平2)

  • 光明皇后の発願により興福寺五重塔建立される
  • 行基集団の活動に対して再び禁令出る

731(天平3)

  • 行基集団に対して、男子61歳以上、女子55歳以上の者に出家を許可する詔勅を出す
  • 新羅国との有事に備え藤原宇合を副総監に任命し、畿内に総管理、諸道に鎮撫使が設置される
亡くなった人物
  • 大伴旅人

732(天平4)

  • 新羅使来朝
  • 遣新羅使(新羅使送るため)

733(天平5)

  • 第10回遣唐使(大使:多治比広成、副使:中臣名代)派遣
  • 戒師招請の任務を受ける興福寺僧・栄叡、普照も乗船(※井上靖天平の甍」)
亡くなった人物
  • 橘三千代

734(天平6)

  • 玄昉・吉備真備ら帰国(734~739)
  • 新羅使来朝(新羅が王城国と名乗ったことに怒り朝廷は追い返す)
  • 光明皇后、母橘三千代の菩提供養のため興福寺西金堂建立
  • 畿内七道で大地震

735(天平7)

  • 太宰府で、それまで日本に無かった疫病の天然痘が流行り始める。
亡くなった人物
  • 新田部皇子
  • 舎人皇子

736(天平8)

  • 第10回副使中臣名代の遣唐使船が薩摩に帰国(同船にて唐僧道せん(どうせん)、インド人僧菩提僊那、ベトナム僧仏哲ら来朝)
  • 葛城王を臣籍に降ろし橘諸兄と改名させる
  • 遣新羅使

737(天平9) 藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡

  • 天然痘が流行する
  • 藤原四子天然痘に罹り相次いで死亡 (4月房前(57歳)没、7月麻呂(43歳)、武智麻呂(58歳)没、8月宇合(44歳)没)
  • 国名を「大倭国(やまと)」から「大養徳国(やまと)」に改める
  • 皇太夫人宮子、玄昉の看病により快癒し、聖武天皇と対面

738(天平10)

  • 阿倍内親王を立太子させ、橘諸兄を右大臣に任じられる
  • 長屋王の冤罪が判明
  • 藤原広嗣、太宰少弐として太宰府へ左遷
  • 新羅使来朝(朝廷は新羅使を太宰府から追い返す)

740(天平12) 藤原広嗣の乱

  • 藤原広嗣の乱(藤原広嗣、玄昉、吉備真備の排斥を求めて九州で挙兵)
  • 聖武天皇、東国行幸へ出発する
  • 広嗣、肥前国松浦郡家で処刑
  • 聖武天皇、山背国恭仁京に移る(恭仁京へ遷都)

741(天平13)

  • 国分寺建立の詔、国分寺、国分尼寺の建設始まる
論点
  • 1979年東大:聖武天皇による国分寺造立の事業は、7世紀後半以来の仏教の動きや、当時の政治・社会の動きとどのように関連していたかが問われました。

742(天平14)

  • 太宰府、廃止
  • 聖武天皇、近江国紫香楽に離宮を造営
  • 新羅使来朝(朝廷は新都未完成を理由に入京させず)

743(天平15) 墾田永年私財法/聖武天皇が大仏造立の詔を発す

  • 墾田永年私財法発布される
  • 橘諸兄、左大臣に任じられる
  • 聖武天皇、紫香楽宮に盧舎那仏造営を発願
  • 行基、弟子たちを率いて広く民衆に盧舎那仏造営に参加を勧誘
  • 塩焼王、伊豆へ配流
  • 恭仁京造営中止(紫香楽宮造営のため)
論点
  • 1984年東大:行基の活動が最初朝廷に抑圧された理由と、その後、朝廷がのちに行基を重んじるようになった背景が問われました。

744(天平16)

  • 聖武天皇、難波宮に移る(難波へ遷都)
  • 紫香楽宮に於いて盧舎那仏の建立始まる
亡くなった人物
  • 安積親王

745(天平17)

  • 紫香楽を新京とする
  • 行基、大僧正に任じられる
  • 天平地震(岐阜県美濃地方で大地震)
  • 聖武天皇、平城京へ戻る(平城京へ還都)
  • 太宰府、複置される  
  • 大養徳国金光明寺で大仏造立開始
  • 玄昉、太宰府観世音寺造別当として左遷

746(天平18)

  • 遣唐使大使石上乙麻呂任命されるも中止
亡くなった人物
  • 玄昉

747(天平19)

  • 東大寺大仏(盧舎那仏)鋳造始まる
  • 光明皇后、新薬師寺建立

748(天平20)

亡くなった人物
  • 元正上皇

第46代 孝謙天皇 749-758

749(天平勝宝1)

  • 百済王敬福、陸奥国小田郡で採れた黄金を貢上する
  • 聖武天皇東大寺に行幸し自らを「三宝の奴」と称する
  • 聖武天皇、阿部内親王に譲位
  • 孝謙天皇即位
  • 天平勝宝と改元
  • 宮子皇太夫人、太皇太后の称号を受ける
  • 東大寺大仏鋳造なる
  • 聖武天皇、東大寺に行幸する
  • 「定諸寺墾田地限」発布される
論点
  • 2006年阪大:奈良時代は中央政界において激しい権力闘争が行われた時代でもありました。七四九(天平感宝元年)に聖武天皇が譲位してから奈良時代末までの、権力者の変遷と政策基調の変化について問われました。
亡くなった人物

750(天平勝宝2)

  • 吉備真備、筑前守に左遷される
  • 藤原清河、遣唐使に任じられる(副使として大伴古麻呂)

751(天平勝宝3)

  • 吉備真備、遣唐副使に任じられる(仲麻呂による真備排斥)

752(天平勝宝4) 大仏開眼

  • 東大寺建立(大仏開眼)
  • 良弁、東大寺別当に任じられる
  • 第12回遣唐使(藤原清河)派遣、副使として大伴古麻呂、吉備真備
論点
  • 1998年阪大:奈良時代に東大寺大仏が造立されましたたが、大仏造立に至った政治的社会的要因について問われました。
  • 1976年東大:東大寺が造られた事情について問われました。

753(天平勝宝5)

  • 遣唐副使大伴古麻呂、吉備真備帰国、同船に便乗し鑑真来朝(遣唐使・藤原清河の船は漂流し帰国できず)
  • 遣新羅使(唐朝に於ける席次争いにより追い返される)
論点

遣隋使・遣唐使とセットで問われます。

  • 2009年東大:7・8世紀の遣隋使・遣唐使は、東アジア情勢の変化に対応してその性格も変わりました。その果たした役割や意義を、時期区分しながら問われました。
  • 2003年東大:8世紀の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるかが問われました。
  • 1985年東大:7世紀から9世紀にかけての遣隋使や遣唐使が、当時の日本の政治および文化に与えた影響が問われました。

754(天平勝宝6)

  • 鑑真、平城京に入る
  • 鑑真、東大寺大仏殿前に戒壇を備え、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇、その他約440名に授戒する
亡くなった人物
  • 宮子太皇太后

755(天平勝宝7)

  • 鑑真、東大寺に戒壇院を設置

756(天平勝宝8)

  • 橘諸兄、隠退する
  • 東大寺正倉院できる
  • 橘諸兄、大伴家持により、万葉集第一次編纂行われる
亡くなった人物
  • 聖武太上天皇

757(天平宝字1)

  • 道祖王、皇太子の身分剥奪
  • 大炊王立太子
  • 藤原仲麻呂、紫微内相となる
  • 「養老律令」施行される
  • 橘奈良麻呂の乱(大伴古麻呂、拷問の上殺害される)
論点
  • 2020年北大:大宝・養老律令により、京内に官営の市が置かれたのはなぜか、また、その市を国家が監督したのはなぜかが問われました。
亡くなった人物
  • 橘諸兄

第47代 淳仁天皇 758-764

758(天平宝字2)

  • 孝謙天皇、皇太子(淳仁天皇)に譲位
  • 淳仁天皇即位(大炊王即位)
  • 藤原仲麻呂、大保(右大臣)となり、「恵美押勝」の名を賜る
  • 大仏殿竣工される
  • 遣渤海使(小野田守、安史の乱の情報を伝える)

759(天平宝字3)

  • 大伴家持、万葉集最後の歌を詠む
  • 遣唐使(迎入唐大使使 高元度)派遣
  • 唐招提寺建立される
  • 恵美押勝(藤原仲麻呂)、新羅討伐の準備に入る
  • 遣渤海使(内蔵全成)

760(天平宝字4)

  • 恵美押勝(藤原仲麻呂)、太政大臣となる
  • 新羅使来朝(朝廷は新羅使の身分が低いことを理由に追い返す)
亡くなった人物
  • 光明皇太后

761(天平宝字5)

  • 遣唐使(迎入唐大使使 高元度)

762(天平宝字6)

  • 孝謙太上天皇、淳仁天皇の「国の大事」(人事、軍事)の権限を取り上げる
  • 遣唐使(仲石伴が任命されるも船破損のため中止)

763(天平宝字7)

  • 道鏡、少僧都に任ぜられる
  • 天然痘の流行
亡くなった人物
  • 鑑真

第48代 称徳天皇 764-770

764(天平宝字8) 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱

  • 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱(吉備真備、中将大将に任じられ藤原仲麻呂を三尾(近江国高島郡)にて討つ)
  • 孝謙太上天皇、淳仁天皇を廃し淡路島に配流
  • 孝謙太上天皇即位し称徳天皇となる
  • 西大寺、称徳天皇の発願により造営開始される

765(天平神護1)

  • 和気王、謀反の罪で処刑される
  • 道鏡、太政大臣禅師となる
  • 淳仁天皇自害する
  • 僧侶参加の異例の大嘗祭行われる

766(天平神護2)

  • 海龍王寺の毘沙門天像の中から仏舎利が出る
  • 道鏡が法王となる
  • 藤原永手が左大臣、吉備真備が右大臣
  • 西大寺造営開始される

767(神護景雲1)

  • 法王宮職が置かれる
  • 伊治城(陸奥国)完成する
  • 最澄、比叡山麓で生誕

768(神護景雲2)

  • 道鏡の弟子・基真、海龍王寺毘沙門天像から出た仏舎利捏造の罪等で飛騨国に配流

769(神護景雲3)

  • 不破内親王の呪詛事件(称徳天皇を呪詛したとされ、不破内親王追放、その子・氷上志計志麻呂を配流)
  • 宇佐八幡宮神託事件
  • 詔により由義宮を西京とし、河内国を河内識とされる

第49代 光仁天皇 770-781

770(神護景雲4/宝亀1) 道鏡が左遷

  • 由義宮行幸
  • 百万塔、諸寺に分配される
  • 白壁王立太子(天智天皇の第七子・施基親王の第六子)
  • 道鏡、下野(栃木県)薬師寺別当へ左遷
  • 右大臣・吉備真備、皇太子(白壁王)に辞職を願い出て引退
  • 光仁天皇即位(白壁王)
  • 井上内親王立后
亡くなった人物
  • 称徳天皇
  • 阿倍仲麻呂(唐で客死)

771(宝亀2)

  • 他戸親王、立太子
亡くなった人物
  • 藤原永手(左大臣)

772(宝亀3)

  • 光仁天皇を呪詛したとして井上内親王が廃后
  • 呪詛に連座して他戸親王が皇太子を廃される
亡くなった人物
  • 道鏡

773(宝亀4)

  • 山部親王(桓武天皇)、皇太子となる

774(宝亀5)

  • 陸奥鎮守将軍大伴宿禰駿河麻呂に蝦夷征討の勅を出す(約38年間に及ぶ蝦夷征討の始まり)
  • 空海、讃岐国屏風浦(香川県善通寺)で生誕

775(宝亀6)

亡くなった人物
  • 井上内親王
  • 他戸親王
  • 吉備真備

777(宝亀8)

亡くなった人物
  • 内大臣・藤原良継(藤原宇合の第二子)

778(宝亀9)

  • 山部皇太子の病を祓うため誦経と大赦が実施

779(宝亀10)

  • 藤原魚名(藤原房前の子)、内大臣に任じられる
  • 新旧の銭貨を等価で通用させる
  • 遣新羅使(交流のため)
亡くなった人物
  • 藤原百川(藤原宇合の第八子)

780(宝亀11)

  • 宝亀の乱(伊治公呰麻呂が反乱を起こし多賀城を占拠して桉察使を殺害、放火する)
  • 藤原継縄、征東大使に任じられる
亡くなった人物
  • 智光(元興寺の僧)

第50代 桓武天皇 781-806

781(天応1)

  • 桓武天皇即位(光仁天皇が譲位)
  • 早良親王立太子
  • 藤原魚名、左大臣に任じられる
亡くなった人物
  • 光仁太上天皇

782(天応2)

  • 氷上川継の乱(氷上川継の謀反発覚)

782(延暦1)

  • 左大臣藤原魚名、罷免される

783(延暦2)

  • 藤原乙牟漏(藤原良継の娘、後の平城・嵯峨両天皇の母)、皇后となる

784(延暦3)

  • 長岡京遷都

785(延暦4)

  • 造長岡京使藤原種継、暗殺される
  • 種継暗殺に関わったとして皇太子早良親王(桓武天皇の同母弟)廃される
  • 早良親王、淡路島へ配流途中に餓死
  • 安殿親王(桓武天皇の長男)が立太子

788(延暦7)

  • 最澄、比叡山に一乗止観院建立し、延暦寺の基を開く

790(延暦9)

  • 天然痘の流行

793(延暦12)

  • 空海、和泉国槇尾寺で勤操大徳のもとで得度

平安時代

794(延暦13) 平安京遷都

  • 平安京遷都