
国宝の菩薩半跏像(伝如意輪観音)を見るためだけに訪れる価値のあるお寺です。
本堂は解放感に溢れていますので、春や秋などの、気持ちのいい季節に行くのが良いと思いました。
中宮寺の歴史と見どころ
中宮寺は法隆寺東院のすぐ東側に位置する聖徳太子ゆかりの尼寺です。
創建には諸説ありますが、聖徳太子が母・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)のために建立したという説が有名です。
中宮寺で最も有名なのが、飛鳥時代の国宝である菩薩半跏像(伝・如意輪観音)です。
右足を左膝に乗せ、右手を頬に添えて、静かに思索するような姿をしています。この姿勢を「半跏思惟」と呼びます。
また、穏やかな微笑みを浮かべた姿はアルカイックスマイル(古拙の微笑)の典型とされます。
スフィンクス、モナ・リザと並ぶ「世界三大微笑像」の一つとも称され、日本を代表する仏像の一つです。
中宮寺の歴史

創建の正確な事情については史料が少なく、現在の研究では7世紀前半に創建された古代寺院と考えられています。
創建当初の中宮寺は、現在地から約450~500m東にありました。跡地は中宮寺跡史跡公園になっています。
1963年以降の発掘調査によって、創建当時の金堂跡や塔跡などが確認されました。
創建時の中宮寺からは法隆寺と同じ系統の瓦が出土しており、両寺の歴史的なつながりがわかります。
中世の中宮寺と信如比丘尼

中宮寺は平安時代以降、次第に衰退していきますが、鎌倉時代に信如比丘尼によって復興が進められました。
信如比丘尼は、1274年に法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの天寿国繡帳を再発見した人物として知られます。
天寿国繡帳は、聖徳太子の死後、妃の橘大郎女が太子をしのんで作らせた刺繍作品とされます。
中宮寺を代表する国宝です。なお、本堂にあるのはレプリカです。国宝の実物は奈良国立博物館にあります。
現在の場所への移転

戦国時代に中宮寺は焼失し、現在の法隆寺東院に隣接する場所へ移転したとされます。
江戸時代初期の1602年には、慈覚院宮を初代門跡として迎え、以後は尼門跡寺院「斑鳩御所」として皇族・貴族ゆかりのある寺院となりました。
