
近鉄飛鳥駅を降りて、明日香レンタサイクルで電動自転車をレンタルしました。
飛鳥エリアを巡るのに、自転車、それも電動自転車が良いというのは、あとあと痛感することになります。
レンタルするなら電動自転車です。

最初に向かったのが、高松塚古墳です。
「飛鳥・藤原の宮都」として世界遺産に登録されています。
上り下りの坂道を走っていき、高松塚古墳のある公園についてから、高松塚古墳までさらに自転車で走りました。
この時点で、電動自転車にしてよかったと思い始めます。
高松塚古墳

円墳
思ったよりも高台にあり、思ったよりもこじんまりとした古墳でした。
墳丘は直径約23m、高さ5mほどの二段築成の円墳です。
おそらく周辺にも同様の古墳があり、もしかしたら、世紀の大発見があるのかもしれません。
しかし、発掘作業等に莫大なお金がかかるため、できていないというのが実情のようです。

さて、高松塚古墳は飛鳥時代を代表する終末期古墳です。
築造されたのは7世紀末から8世紀初め、藤原京期(694年-710年)と考えられています。
高松塚古墳が造られた藤原京期(694年-710年)は、日本の歴史が大きく変化していた時代です。
645年の乙巳の変を契機とする大化の改新により、中央集権的な国家が形づくられていきました。
朝鮮半島や中国大陸との交流も盛んで、中国の唐や朝鮮半島の諸国からは、政治制度だけでなく、仏教、思想、工芸、美術などが伝えられていました。

高松塚古墳の壁画には、こうした東アジア世界との交流を背景とする文化が色濃く表れています。
四神、星宿、日月といった図像は中国の伝統的な宇宙観と深く結びついており、人物の服装や表現には高句麗や唐など大陸・朝鮮半島の美術との関係が指摘されています。
石室は凝灰岩の切石を組み上げたもので、内部の壁面には漆喰が塗られていました。
その漆喰の上に、青龍・白虎・玄武などの四神、日像・月像、男子・女子の人物群像、そして天井には星宿図が描かれています。
南壁には本来、朱雀が描かれていたと考えられていますが、古くに盗掘を受けたため失われました。
誰のための古墳か

誰が葬られたのかについては、現在も確定していません。
当時の中央政権と関係の深い有力者であった可能性が考えられています。
出土品には海獣葡萄鏡、金銅装の棺金具、銀装大刀の外装具、ガラス玉などがありました。
海獣葡萄鏡は中国・西安の唐墓から出土した鏡と同じ鋳型による同笵鏡とされます。
国際的な交流を考えるうえで重要な出土品です。
壁画
高松塚古墳の歴史を語るうえで欠かせないのが、1972年の壁画発見です。
1973年には古墳が特別史跡に、1974年には壁画が国宝に指定されています。
発見後には壁画の保存という大きな問題も生じました。
石室内の環境変化やカビなどによる被害が確認され、長期的な保存方法が検討されました。
最終的には、壁画を石室の石材ごと墳丘から取り出して修理するという保存事業がとられました。
修理は2019年度に完了し、墳丘へ戻さず安全な環境で保存・公開する方針が取られています。

高松塚古墳の見どころ
高松塚古墳最大の見どころは、極彩色の壁画です。
有名なのが西壁の女子群像、いわゆる飛鳥美人です。東西の壁に描かれた男子群像も有名です。
高松塚の人物画は、古代の人々の姿を伝える珍しい史料です。
四神も重要な壁画です。
東壁には青龍、西壁には白虎、北壁には玄武が描かれ、南壁には本来、朱雀があったと考えられています。
四神とは、東西南北を守護する霊獣で、青龍・白虎・朱雀・玄武によって方位を表します。
中国の宇宙観に基づく思想であり、高松塚古墳の被葬者が東アジアの高度な思想・文化とつながっていたことを示しています。


