米村圭伍の「紀文大尽舞」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

歴史ミステリー的な小説。紀伊国屋文左衛門にまつわる謎を紐解いていく内に、次第に明らかになっていく紀伊藩の思惑。米村マジック炸裂の作品である。

物語はどんでん返しにつぐどんでん返しで、ラストに至ってはまさに大どんでん返しである。

紀伊国屋文左衛門は謎に包まれた人物である。伝説の人物といっていい。

出自も不明、生没年も不明、いかにして富豪となり得たのかも不明。余りにも不明な点が多すぎ、その存在すら疑われたことがあった。

紀伊国屋文左衛門の店もすぐに衰退して現在に伝わっていないのもこうした謎に拍車を掛けているのかもしれない。

現在、紀伊国屋や紀文などの号で商売をしている企業は、紀伊国屋文左衛門と全く関わりがない。

有名な逸話には事を書かない人物である。

蜜柑船を江戸に運んで巨利を築いた。材木商となり、巨利を築いた。吉原で小粒をばらまいた話し…。紀伊では鰐魚退治の話しも残っている。吉原で豪勢な遊びをして、四十代で隠居。

この逸話の多くが信憑性に欠けるらしい。

蜜柑船を江戸に運んだという逸話とはこうだ。

江戸の鞴(ふいご)祭りに蜜柑が必要だったのに、その蜜柑が届かない。熊野灘が荒れて有田から船が出ないからだ。

紀州では蜜柑船を出せば大儲けができるとわかっていながら、船を出せないのは船が沈んでしまえば全財産を失うからであった。

そこで立ち上がったのが紀伊国屋文左衛門であった。蜜柑を積んだ船を江戸に運んだ紀伊国屋文左衛門は一躍ヒーローになったというもの。

だが、この話自体が疑わしい。

というのも、紀州における蜜柑の江戸回送には鑑札が必要だった。つまり藩の許可がいるということである。それに、紀州では紀伊国屋文左衛門が大儲けをしたという噂がなく、当の江戸でも噂が一部に偏っていたようだ。

材木商で巨利を儲けたのは明暦の大火のことであり、その時に木曾に走った紀文が、小判でガラガラを作って大金持ちに見せて材木を買いあさった逸話は、河村瑞賢の逸話であるという。

こうした余りにも不明な点が多すぎる紀伊国屋文左衛門という人物を、その出身地である紀伊から紐解いていき、紀伊藩の将軍継嗣に絡む思惑と絡めていくのは、さすがに米村圭伍氏であるといわざるを得ない。

紀伊国屋文左衛門と直接の接点があるとしたのは徳川光貞。

この倅が徳川吉宗である。

この徳川吉宗という人物が八代将軍となり得たのは、様々な偶然からである。

まず、和歌山藩主になるにあたっては長兄の綱教、親父の光貞、三男の頼職が死に、将軍争いでは尾張の吉通、せがれの五郎太が死んでいる。

つまり、将軍になるまでに、その前に立ちふさがっていた人物が次々と死んでいったのである。

余りにも都合が良すぎると言えばよすぎる…。

そして、将軍になるにあたっては、一つの不文律があったのではないかという推測も面白い。それは、二代将軍秀忠の血筋が絶えることである。

その血筋が絶えるというのは、暗殺によってではあっては困るという考えも面白い。

尾張の義直は三代将軍家光の時に、大軍を率いて江戸にのぼろうとして睨まれる。紀伊の頼宣は由井正雪の後ろ盾と疑われて睨まれる。

将軍の座を窺ったと思われるだけで跳ね返ってきた幕府の反応に、愕然とした二人は、自分が将軍になっても徳川の天下が危うくなる。

ならば、徳川の天下が危うくならないように、徳川宗家は天寿を全うしてもらわなければならない。

だから、ただひたすら、二代将軍徳川秀忠の血筋が絶えるのをじっと待っていたというのだ。

確かに、徳川吉宗の代から二代将軍の血筋は絶えることになる。こうした所に着目して物語を組み立てていくのはさすがである。

さて、湯屋には矢をつがえた弓が竹竿の先にぶら下がっている。

これは、湯に入る(ゆにいる)と弓を射る(ゆみをいる)を掛けた言葉からきている洒落である。

内容/あらすじ/ネタバレ

正徳三年(一七一三)九月。

芝居小屋から出てきた男を二十歳のお夢があとを付けます。男は一代の栄華を誇った紀伊国屋文左衛門です。

店をたたんで隠棲したのが四年ほど前のこと。勘定奉行荻原重秀の貨幣改鋳に一役買ったものの、悪鋳で貨幣価値を下落させたため改鋳は中止となり、設備投資した紀伊国屋文左衛門が一夜にして財産を失ったという噂でした。

ですが、四十五才になる当の紀伊国屋文左衛門はこれから吉原に繰り出そうとしているようです。何かしらの隠居料を蓄えていたようです。

お夢はこの紀伊国屋文左衛門に興味を持ち、面白い浮世草子を書こうとしている戯作者志望で、神明宮前の湯屋の娘です。

しつこく紀伊国屋文左衛門(紀文)に話を聞こうとしているお夢がまさかつけている者がいるとは…。

深川の黒江町には紀文の隠居所があります。隠居所に引っ越す時の紀文の引っ越しは十八日に及んで、ひっきりなしに家財を運び込んだといいます。

その紀文ですが、大金がありながら商売もせず、貧乏隠居と世間に思わせているのは何故なのでしょう?

そう思って紀文を尾行していたら、お夢は命を狙われ、そこを暗闇留之介と名乗る武士に助けられました。この暗闇留之介も紀文を調べていたのでした。

紀伊国屋文左衛門は、紀州に生まれました。鰐魚退治をしたという話しもあります。鞴祭りのために必要な蜜柑を江戸に運び大儲けしたという話しがありますが、お夢はその話はおかしいと思っています。

これらはある日突然材木問屋を開いた時のための目くらましのための噂なのではないかと推測しています。

お夢と暗闇留之介は、お夢が吉つぁんと呼ぶ男の所に行き、さらに紀文の話を聞きます。そこでの話しに登場したのが二朱判吉兵衛という幇間です。

これが紀文から三百両を預り、小判を小粒にかえて戻って、紀文は豆まきになぞらえて小粒をばらまいたのでした。吉つぁんこそ二朱判吉兵衛でした。

お夢は気乗りがしませんでしたが、大久保彦左衛門を訪ねようと思いました。本名は大久保大八郎忠矩といいますが、彦左さまと呼ばないと返事もしません。

ここで暗闇留之介は本名を明かしました。紀伊徳川家家中、倉地仁左衛門といいます。側には熊野忍びのむささびの五兵衛がいます。

太助と呼ばれた少年が飛び込んできました。お松が行方しれずになったといいます。そして壁に札が貼っており、そこには「女の憂き世を浮世に変えん」と書かれていました。

最近女衆の間に広がっている不思議な噂があります。困った女を救ってくれる霊験あらたかな稲荷社があるというのです。

そこからたどっていくと、根津に鎌倉の駈込み寺の東慶寺の出先・北慶寺があることがわかりました。それが出来たのが、四年前。そうです、紀文が隠居した年です。これは一体何を意味するのでしょう?

お夢は北慶寺に忍び込みました。ここには住職はいないようです。女の城だというのです。女住職は妙泉というようです。

倉地仁左衛門は紀伊に戻り、今まで知り得たことを徳川吉宗に報告しました。吉宗は熊野詣での宿場・湯浅を調べろと命じます。

そして、仁左衛門は紀伊国屋文左衛門が先代藩主の徳川光貞と繋がりがあることがわかったのです。ですが、光貞は紀文を通じて何をしようとしていたのでしょう?

北慶寺で聞いた月光院という名は将軍家継の母のことでした。それを大久保彦左衛門から聞いたお夢は月光院のことを調べ始めます。

月光院は先代将軍家宣の側室でお喜世の方と呼ばれていたが、もとの名は輝といいました。

妙なのは、このお輝と名乗っていた自分に奉公先がころころ変わっていたことです。

大久保彦左衛門は北慶寺はいわば別荘だといいます。紀文が作った女の城の本丸は別にあるといいます。それは大奥です。

紀文は自分の育てた娘を送り込んで、大奥を支配することで、影の将軍となろうとしているのでしょうか?

これが紀伊藩先代藩主光貞の意向を受けてのことなのでしたら、なぜ今の藩主吉宗がその内容を知らず、倉地仁左衛門に探らせているのでしょうか?

月光院に関わりのある絵嶋が処罰されるそうです。

この後、お夢は大奥へ送り込まれてしまいます。絵嶋追放に関連して多くが処分され人手が足りなくなったため、上手く入り込めたのでした。ここでお夢は夢路と名乗っています。

大奥は大御台の天英院と月光院との派で真っ二つに割れて勢力争いをしています。

大奥総取締には絵嶋に代わり明夜というのが就いています。この明夜は二朱判吉兵衛が三浦屋の几帳が産んだ娘にそっくりです。紀文の実の娘になります。これを通じて月光院と将軍家継を操ろうとしているのだと、お夢は確信しました。

お夢が明夜に狙われます。これを助けてくれたのが大御台・天英院附きの年寄・志賀でした。お夢は志賀に命を狙われた理由を語りました。

そして、お夢は天英院に会うことになります。この天英院は全く権力に興味のない人だとわかり愕然とします。

ですが、紀文に絡むことを調べる協力はしてくれるといいます。そして、紀伊藩の先代藩主光貞が考えていたことのおよそのあらましが判明いたしました。

家継に徳川の血が流れていないかも知れないと大久保彦左衛門に話すと、烈火の如く怒りました。多くから何とか抜け出せたお夢が語った矢先のことです。

ですが、倉地仁左衛門は、もしそうであるならば、当方にとってはそのほうが好都合ではないかといいました。その真意がわかりません。

正徳六年(一七一六)四月。お夢は二年ほどほったらかしにされています。

くさくさしているところ、太助が飛び込んできて、北慶寺に乗り込むといってきました。

この乗り込みの直後に将軍家継が死にます。そして吉宗が将軍になることが決まります。図ったかのようです。

こうした一連のことをお夢は紀文に話しましたが、動じた風ではありません。

お夢は将軍となる徳川吉宗に会いました。

今までのことを深く知りすぎたお夢は殺されるかも知れませんが、お夢は吉宗が殺さないだろうと思っていました。一体なぜそう言いきれるのでしょう?

そして、続けて、お夢は考え抜いてきた推理を吉宗の前に披露します。それは、将軍家を巡る御三家の入り乱れた思惑が絡む話しでした。

本書について

米村圭伍
紀文大尽舞
新潮文庫 約五一五頁

目次

父娘
お夢溺れる
鰐魚と蜜柑
彦左、盥に乗る
湯浅の花見
女の城
大奥潜入
いとおかし
絵嶋の長持
北慶寺強襲
将軍没す
笑う吉宗
ばくふてんぷく
男女

登場人物

お夢(夢路)…戯作者志望
勢津…お夢の母
辰兵衛…お夢の父
紀伊国屋文左衛門
倉地仁左衛門(暗闇留之介)
むささび五兵衛…熊野忍び
大久保大八郎忠矩(大久保彦左衛門)
太助(一心太助)
妙泉(三浦屋の几帳)
お弓
天英院…大御台
志賀…大御台附きの年寄
菊野
月光院(お喜世、輝)
明夜
徳川吉宗
倉地文左衛門…倉地仁左衛門の父
(徳川光貞)
二朱判吉兵衛(吉つぁん)…幇間
榎田角兵衛
清六
政五郎

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