津本陽の「龍馬(五) 流星篇」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

坂本龍馬を描いた作品としては司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」が筆頭にあげられる。

本書では志士としての龍馬ではなく、「商人」という龍馬像としての姿が描かれ、そうした点では新しい龍馬像を描いているといえる。豊富な史料に基づいているようでもあり、力作であることは間違いない。

だが、ずっと書いてきたように、とても読みづらい。

そして、「竜馬がゆく」と比肩しうるかというと、私は否といわざるを得ない。

恐らく津本氏が描こうとした「商人・龍馬」というのは志士としての龍馬を描いた「竜馬がゆく」に比べれば実像に近いのかもしれない。

だが、津本「龍馬」は躍動しないし、飛翔しない。龍のように飛翔し、馬のように疾駆するというのが、坂本龍馬の最大の魅力なのだろうと思う。自由人であり快男児であるところに坂本龍馬の魅力があるのだろう。

だが、そうでない坂本龍馬像というのは、読んでいて楽しくない。

では、快男児とは違った別の魅力を備えた龍馬像がそこにあるのかというとそういうわけでもない。

そこには商人志向の強い龍馬があるが、魅力有る人間としての龍馬像というのは、やはり自由人であり快男児に求めようとしているように思われる。

本書は多くの史料に裏付けられているのは、少しでも読めば分かる。それが魅力有る龍馬像を形成しているのかというと、これまたそういうわけでもない。

結局の所、本書の龍馬は自由人であり快男児であるという感じが伝わってこない。

また、龍馬の生きた時代を巡る様々な事実や事件を詳しく述べているが、そうしたことを知りたいのならば、それこそ専門書を読むべきであり、それで事足りると思う。

小説なのだから、そうした出来事の取捨選択をし、龍馬の行動と分けるべき所は分け、不必要な所はカットして読みやすくすべきだと思う。

私にはどうしても取捨選択の段階で失敗している感じがしてならない。

いや、たとえ取捨選択に失敗していたとしても、それは書き方によって読む側の印象をだいぶ変えたのではないかと思う。

本書を読み終えた私の感想は、本書は「竜馬がゆく」の面白さを越えることができず、肩をならべることもできなかったというものである。

商人志向の強い龍馬像というのは新しい視点ではあるし、今後もこうした視点で描かれることもあるとは思う。

だが、商人志向に重点を置いて龍馬の魅力を語るとなると、同時代に生きた龍馬と同じ土佐出身の岩崎弥太郎という巨人と比べてみてどうかという点もある。私はむしろ岩崎弥太郎の方が商人としての魅力はあるのではないかと思う。

龍馬が龍馬として人気のある所以は、商人志向だけに求められるわけでもなく、志士であったという所だけにあったわけでもない。

幕藩体制下にあって、幕府や藩といった組織原理から逸脱して生きようとした自由人たる所にその人気があるのではないかと思う。

だからこそ、新たな商人志向の龍馬像を描くことになるとしても、そうした魅力を損なうことなく語らねばならないのだと思う。

これを達成できた時点で、はじめて「竜馬がゆく」に肩をならべた作品が登場したといえるのだろう。

さて、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺犯には諸説ある。

以下、津本氏の説を紹介する。

龍馬は新選組に狙われていたのは確かのようである。他にも、幕府に目をつけられていたから町奉行所や見廻組にも狙われ、いろは丸事件に関連して紀州藩にも狙われていた。

色んな所から狙われていた龍馬であるが、龍馬を斬ったのは、京都見廻組の今井信郎であるとしている。その根拠などは本書で確認頂きたい。

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内容/あらすじ/ネタバレ

薩摩と長州が手を結び幕府に対抗しようとし、坂本龍馬が両者の間を斡旋し、長州と幕府の戦争に参加したという噂が広まった。

龍馬は活動の拠点を薩摩から長州へ変えようとしていた。

慶応二年(一八六六)。大坂城で将軍家茂が世を去り、政情が目まぐるしく変わった。

勝安房守(海舟)は軍艦奉行に命ぜられ、大坂に呼び出され、一橋慶喜の命で長州との停戦を約した。

一橋慶喜が十五代将軍となったが、長州問題は始末がつかず、政局は失速したまま師走を迎えた。この師走には天皇が崩御した。また、朝政改革をとなえて処分を受けていた公卿らも処分を解かれていた。

龍馬は中岡慎太郎が下関にいることを知り、出向いて歓談した。

後藤象二郎からの誘いが来た。

後藤は龍馬に社中同志と一緒に土佐藩へ帰参してはどうかとすすめた。後藤が手を打ってくれるという。

慶応三年(一八六七)。西郷吉之助を乗せた薩摩藩の船が土佐藩をたずねた。山内容堂に謁するためである。

西郷は薩摩、越前、土佐、宇和島の四賢侯の会議で幕府に対抗する案を立てた。

長崎では岩崎弥太郎が土佐商会の運営を任されていた。

龍馬は長崎の社中の名を「海援隊」に変更することにしていた。

後藤象二郎が大洲藩にかけあい、いろは丸の傭船契約がまとまった。

早速、この船で商売を始めるつもりでいたが、紀州藩の明光丸と衝突し、沈めてしまう。借りた船を沈めてしまったのである。しかも、非は明らかに龍馬達のいろは丸にあった。

だが、龍馬は明光丸に非があると頑として譲らず、問題を船の衝突から藩の政治問題へと転化した。

結局、紀州藩は後藤象二郎の脅しに屈服した形で賠償金を支払うこととなった。

龍馬達は船中八策とよばれる新政策の草案をまとめる作業に熱中していた。龍馬の大政奉還の意見は、大久保越中守、横井小楠、勝安房の影響を受けたものである。

船中八策の討議にあたったのは、坂本龍馬、後藤象二郎、長岡謙吉だった。長岡謙吉は龍馬にとって最高のブレーンであり、八策の基礎となるものは長岡謙吉が練ったものであった。

後藤象二郎は上京すると、船中八策をみせ、大政奉還建白書を土佐藩から提出することを決定した。後藤ならではの迅速な決断だった。
そして、船中八策は龍馬と長岡謙吉の手を離れ、後藤らの懸命な活動によって、薩摩、安芸両藩の同意を得るに至っていた。

龍馬と中岡慎太郎は大坂で小栗忠順が大商社設立を画策していると知るや、これを阻むために奔走した。

この頃、龍馬にとって気の許せない事件が相次いで起きていた。長崎丸山で異人殺人事件が起き、この下手人として海援隊の隊士が疑われていた。

龍馬は土佐の佐々木三四郎と交流を深めていた時期でもある。

龍馬達は、社中、海援隊を経営する間、海難事故、政治情勢への対処などによって貿易活動に力を傾けることができず、常に資金難に苦しめられてきた。

慶応三年。いよいよ飛躍の時機にさしかかった。この時期、京では政情は討幕に傾いていく。

本書について

津本陽
龍馬(五) 流星篇
角川文庫 約四四五頁

目次

混迷
海援隊
大政奉還
波瀾
故郷をあとに
帰らぬ道を

登場人物

坂本龍馬
おりょう
中岡慎太郎…土佐藩士
長岡謙吉(今井純正)
高松太郎
千屋寅之助
新宮馬之助
沢村惣之丞
陸奥源二郎(陸奥宗光)…紀州藩士
溝淵広之丞
勝麟太郎
大久保越中守(一翁)
徳川慶喜…十五代将軍
小栗忠順
松平春嶽
横井小楠
山内容堂(豊信)…前土佐藩主
後藤象二郎
佐々木三四郎(高行)
岩崎弥太郎
森田晋三
西郷(大島)吉之助…薩摩藩士
島津久光
小松帯刀…家老
大久保一蔵(利通)
五代才助(友厚)
桂小五郎(木戸準一郎)…長州藩士
村田蔵六(大村益次郎)
伊藤俊輔
井上聞多
高柳楠之助…紀州藩士
坂本権平…龍馬の兄
坂本春猪…龍馬の姪
坂本乙女…龍馬の姉

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