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高輪大木戸跡の歴史や見どころは?(東京都港区)東海道の江戸府内への入口[国の史跡]

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泉岳寺駅を降りてA4出口から出ると、目の前に第一京浜が走っています。

左手に進むと10メートルくらいで石垣が見えます。ひっそりとたたずむ国の指定史跡

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高輪大木戸跡の歴史

高輪大木戸は江戸時代の宝永七年(1710年)に東海道沿いの江戸府内への入口として設けられました。

当初、芝口門が建てられその後、現在の場所に大木戸が設けられました。

芝口門のあった場所は元札ノ辻と呼ばれました。

木戸の大きさは長さ五間(9メートル) 、幅四間(7.2メートル) 、高さ一丈(約3メートル)の石垣。

設けられた当時は間に柵と門が設けられました。明六ツ、暮六ツに開閉していましたが、後に廃止されます。浮世絵には石垣のみが描かれています。

天和二年(1682年)には高札場も移され、日本橋南詰、常盤橋外、浅草橋内、筋違橋内、半蔵門外と共に江戸の六大高札場の一つでした。

伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの大木戸でした。

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高輪大木戸跡の見どころ

高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永七年(一七一〇)に芝口門にたてられたのが起源である。享保九年(一七二四)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永七年説・寛政四年(一七九二)など諸説がある。

江戸の南の入口として、道幅約六間(約十メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は門を閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。

天保二年(一六八二)には、札の辻(現在の港区芝五の二九の十六)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰。常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。

京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる湾岸の景色もよく月見の名所でもあった。

江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は、海岸側に幅五.四メートル、長さ七.三メートル、高さ三.六メートルの石垣のみが残されている。

四谷大木戸は既にその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。震災後「史跡名勝天然記念物保存法」により内務省(現文部省所管)から指定された。

平成五年三月三一日 建設

案内板 東京都教育委員会

地図

所在地: 〒108-0074 東京都港区高輪2丁目19