品川第三台場と第六台場の歴史と見どころ紹介(東京都港区)[国の史跡]

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国指定史跡

台場とは広義の意味で「城」の一種。「城」は敵から守ることを目的とした防御施設指すため、台場も城の仲間に分類される。台場の数は、全国各地に約800基もあるといわれているそうだ。

国指定の史跡となっており、史跡の名所は「品川第三台場」。

当初は第十一基まで作られる予定だったのが、第一・二・三・五・六台場のみ建設され、残りは途中での中止や未着手となった。現存するのが、「第三台場」と「第六台場」。「第六台場」は立ち入り禁止。「第三台場」は昭和3年に東京都によって整備されて、公園となった。

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歴史

1853年(嘉永6年)6月。アメリカ第13代大統領フィルモア(1800〜1874年)の親書を持って、東インド艦隊司令長官ペリーが、開国の要求を目的に浦賀に来航しました。

この事件を機に、江戸幕府は海防強化の必要性を痛感しました。
そこで、以前から海防について上申していた江川太郎左衛門を海防の庁議に参席させ、三浦半島と房総半島の海岸一帯調査を命じました。
翌月7月に江川太郎左衛門は江戸湾の防備として、以下の2点について復命書を提出しました。

観音崎と富津に台場を建設する
品川沖の内海に台場を建設する
しかし当時の江戸幕府は、前年5月に江戸城西の丸が焼失、当年6月には第12代将軍の徳川家慶が逝去するなど、財政が極度に苦しい状況でした。
そのため、「1.観音崎と富津に台場を建設する」ことは困難とし「2.品川沖の内海に台場を建設する」こととし、江戸市街部を直接防衛する方法を選択しました。

当初の品川台場の建築案は、南品川の漁師町から東北の深川洲崎(現在の江東区東陽)にかけて、連珠のように並べる計画で、列は2列とし、海上に11基、漁師町の海岸に1基の合計12基を築造するというものでした。
しかし、財政難などの理由で第一・二・三・五・六台場のみ建設され、第四・七台場は途中で建設中止、残りの台場については未着手のまま計画中止となりました。

場所など

〒135-0091 東京都港区台場1丁目10
03-3578-2036

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