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大田原城の訪城記-龍城公園(お城山)の歴史と見どころ紹介(栃木県大田原市)桜が満開だった

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大田原市内へは那須塩原駅や西那須野駅からバスが結構出ていますので公共交通機関でも大丈夫です。

ただし、他にも足を伸ばすつもりでしたら車で行くことをおススメします。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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大田原城跡

戦国時代の天文14年(1545年)大田原資清(すけきよ)によって築城されました。

明治4年(1871年)の廃藩置県に至る326年間、大田原氏の居城でした。

昭和36年(1961年)城址は大田原市の史跡に指定され、現在は龍城公園(城山公園とも呼ばれる)として利用されています。

東側に川が流れており、天然の要害になっています。

同じく大田原市内にある黒羽城も西側に川が流れている天然の要害ですので、似た感じのお城です。

大田原城は、大田原資清(すけきよ)によって築城され、天文12年(1543)あるいは天文14年(1545)にそれまで本拠としていた町島(まちじま)の水口居館(みなくちきょかん)(市指定史跡)から移ったといわれます。以後、明治4年(1871)の廃藩置県にいたるまでの大田原氏の居城でした。

 本丸・二の丸・三の丸に区画され、この外、北と西の曲輪(くるわ)・馬場・作事場等がある複郭式の平山城(ひらやまじろ)でした。

 徳川家康は特にこの地を重視し、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い前、上杉景勝(かげかつ)の挙兵の際にはその備えとして急ぎ城の修理を命じ、さらに3代将軍家光は、常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への備えとしました。文政8年(1825)には火災によって焼失しましたが、同9年新たに修造されました。

 戊辰戦争では、大田原藩は新政府軍につき、大田原城は会津攻めの拠点となりました。そのため、慶応4年(1868)会津軍の攻撃をうけましたが、火薬庫の爆発により落城はまぬがれました。

 明治5年(1872)、城は兵部省に引き渡され取り壊されました。明治19年(1886)長野県出身の渡辺国武(くにたけ)(大蔵大臣)の所有となりましたが、昭和12年(1937)、子の渡辺千冬(ちふゆ)(司法大臣)により当時の大田原町に寄贈され、のちに龍城公園として整備されました。

https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082778963/

土塁には桜やツツジが植えられ花見の名所として親しまれています。

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近くの桜の名所

  1. 磯上の山桜(大田原市)
  2. 長峰公園(矢板市)
  3. 堂の下の岩観音(那須町)

地図