【式内社】富士山本宮浅間大社の参詣記-歴史や見どころは?(静岡県富士宮市)富士山信仰の駿河国一之宮(世界文化遺産)

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富士山を背景とする、文字通り山岳信仰を体現した神社です。

訪れた日は雲一つない快晴で、これほど見事に神社と富士山が映える日は年間を通じても数少ないだろうと思いました。

あまりにも天気が良すぎて、驚きしかありませんでした。

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富士山本宮浅間大社の歴史

浅間神社の総本社

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、全国に約1,300社ある浅間神社の総本社です。

富士山を神体山として祀る神社であり、境内は本宮(富士山南麓(富士宮市街地))と奥宮(富士山頂上)からなります。

祭神を木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめ)とし、祭神にまつわる桜を神木として境内には約500本もの桜樹が奉納されています。

由緒

静岡県富士宮市にある神社。式内社(名神大社)。駿河国一之宮。旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。

「延喜式神名帳」には「浅間神社」と記載され、明治時代には「富士山本宮浅間神社」でした。1982年(昭和57年)から現在の「富士山本宮浅間大社」となり、「浅間大社」の略称が用いられています。

本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されています。天気に恵まれたこともあり、水は濁っておらず、とても綺麗でした。

公式ホームページにも書かれていますが、富士山を拝し、これだけの湧水量を誇る場所は、神域に相応しいです。

「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。
その後は姫神の水徳をもって噴火が静まり、平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。この偉大な御神徳は、万人の知るところとなり、篤い崇敬を集める事となりました。また、富士山を鎮めるため浅間大神をお祀りしたのは当大社が最初であり、全国にある浅間神社の起源ともなっています。
最初に祀られた「山足の地」は、特定の地名を指すのではなく、富士山麓の適所を選んで祭祀を行った事を示すと考えられています。特定の場所に祀られるようになったのは、山宮(現在の鎮座地より北方約6キロ)にお祀りされてから後のことです。山宮は社殿が無く古木・磐境を通して富士山を直接お祀りする古代祭祀の原初形態を残す神社で、祭祀形態の変化をうかがい知ることが出来ます。
社記によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の夷(えびす=賊徒)を征伐するため駿河国(するがのくに)を通られた際、賊徒の野火(野原で四方から火をつけ攻められること)に遭われました。尊は、富士浅間大神を祈念して窮地を脱し、その賊徒を征伐されました。その後、尊は山宮において篤く浅間大神を祀られたと伝えられています。
大同元年(806)坂上田村麿は平城天皇の勅命を奉じ、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営し、山宮から遷座されました。
富士山の神水の湧く地が御神徳を宣揚するのに最もふさわしかった為ではないかと考えられます。

http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html

鎌倉時代には源頼朝、北条義時、戦国時代には武田信玄・武田勝頼親子、徳川家康らからの篤い崇敬を寄せていました。

他の浅間神社

これまで訪れたことのある浅間神社のリストです。

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富士山本宮浅間大社の見どころ

一之鳥居

二之鳥居

三之鳥居

案内図

手水舎

手水舎の内側

楼門

東側の回廊

祈祷殿

祈祷殿越しの見事な富士山。

拝殿・幣殿・透塀

信玄桜

本殿

徳川家康の造営で「浅間造」と称されています。国の重要文化財。2階建てになっている珍しい本殿です。

社務所

流鏑馬祭 5月の行事

訪れたこの日はちょうど流鏑馬祭でした。

浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、当大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』、慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも記載されている800余年の伝統を持つ神事です。

http://fuji-hongu.or.jp/sengen/history/index.html

摂末社

元宮

山宮浅間神社(元宮)

摂社

三之宮浅間神社

祭神:浅間第三御子神
本殿向かって左隣に鎮座しています。

七之宮浅間神社

祭神:浅間第七御子神
本殿向かって右隣に鎮座しています。

末社

水屋神社

湧玉池に面して鎮座。
祭神:御井神、鳴雷神

稲荷神社

湧玉池そば。
祭神:宇迦之御魂神、大宮能売神、猿田毘古神

厳島神社

湧玉池に浮かぶ島に鎮座。
祭神:市杵嶋姫神

天神社

本宮境内後方の神立山への入り口に鎮座。
祭神:菅原道真

久須志神社

祭神:大名牟遅命、少彦名命
富士山頂上付近に鎮座しています。

関係社

富知神社
式内社論社、元摂社。大宮の地主神を祀っています。

若之宮浅間神社
元摂社。浅間第一御子神を祀っています。

二之宮浅間神社
元摂社。浅間第二御子神を祀っています。

米之宮浅間神社)
元摂社。一説に浅間第八御子神・浅間第十八御子神を祀るといわれています。

倭文神社
式内社、元摂社。

村山浅間神社
元摂社。

富士山本宮浅間大社の概要

社格等

古代社格制度式内社(名神大
中世社格制度駿河国一宮
近代社格制度旧官幣大社
現代の制度別表神社
創建第11代垂仁天皇3年
主祭神木花之佐久夜毘売命
(別称:浅間大神)
神体 富士山(神体山)
備考本殿の様式:浅間造

文化財

国指定

国宝
重要文化財本殿 (建造物)
絹本著色富士曼荼羅図 (絵画)
太刀 銘南无薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光 (工芸品)
脇指 銘奉富士本宮源式部丞信国 一期一腰応永卅二二年二月(工芸品)
登録有形文化財

県指定

有形文化財社殿 (建造物)
拝殿・幣殿・透塀 – 慶長9年造営。
楼門 – 慶長19年造営。
富士浅間曼荼羅図 (絵画)
青磁蓮弁文大壺 (工芸品)
青磁浮牡丹文香炉 (工芸品)
人形手青磁大茶碗〈附 屈輪彫天目台〉(工芸品)
鉄板札紅糸威五枚胴具足 (工芸品)

市指定

有形文化財伝源義助作 大薙刀 (工芸品)
随身像 2体 (彫刻)
後陽成天皇宸翰 (書跡・典籍)

公式ページ

富士山本宮浅間大社:トップ

湧玉池(わくたまいけ)

国の特別天然記念物に指定されています。平成の名水百選の1つです。

境内にひっそりと存在するというよりは、神社と並ぶ、いやそれ以上の存在感のある池です。

しかも、とても澄んでいます。

奥の方からは、湧き水が噴き出しています。

湧玉池は富士登山の禊ぎの場とされましたので、富士道者が身を清めて六根清浄を唱えながら登山する風習があったそうです。

国指定湧玉池(特別天然記念物)
県指定
市指定

地図

所在地: 〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1−1
電話: 0544-27-2002

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