鹿島神宮の参道から真っ直ぐ(真っ直ぐの道ではないが、方向は真っ直ぐ)利根川を目指すと、たどり着きます。
下り坂を下りきった所にある神社です。
下生(しものう)地区にあるので、下生鎌足神社ともいいます。
神社入り口、左手にある小さな白い看板にはひっそりと「下生」の字が書かれています。
訪れた場所
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鎌足神社の歴史
鹿島の地は古来から中臣氏にゆかりが深い土地だったようです。
中臣から藤原に姓を変えた藤原家が鹿島神宮を特に篤く信奉したことは知られていますが、鹿島こそが、藤原氏繁栄の礎を築いた祖・中臣鎌足の出生の地という説があります。
中臣鎌足は天智天皇に仕え、645年に大化の改新を断行した事で知られます。この時期については「飛鳥時代(大化の改新から壬申の乱)はどんな時代?」でまとめています。
「大鏡」には、鎌足は鹿島神宮の鎮座する 地で出生したとの記載があります。
また、鎌足は、鹿島神宮の神官であった中臣氏から大和朝廷につかわされたとも言われています。
鎌足神社境内地は、古来より藤原鎌足の誕生の地とする伝承が残っているところである。藤原鎌足の生誕地には、当地と奈良県橿原市の二つの説がある。いつごろ建てられたのかは不明であるが、江戸時代から明治時代にかけてまとめられた、常陸国の歴史と地理の大著「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」があり、当社が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており、この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえるところである。境内には明治二十五年に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑もある。
引用元:鹿嶋市教育委員会
鎌足神社の見どころ
鎌足神社の概要
項目 | 内容 | |
---|---|---|
創建 | ― | |
主祭神 | 藤原鎌足 菅原道真 宇賀御魂命 | |
社格等 | 古代社格制度 | ― |
中世社格制度 | ― | |
近代社格制度 | ― | |
現代の制度 | ― | |
その他 | ― | |
備考 | ― |
住所と地図
〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中(大字)3354