佐藤雅美「田沼意次-主殿の税」の感想とあらすじは?

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宝暦十年(一七六〇年)頃からの、およそ四半世紀を一般に田沼時代といいます。

収賄政治の権化と見られる田沼意次ですが、その発想するところは、かなりの先見の明の持ち主であったことが分かる内容となっています。

幕府が弱体化するのは、金を唸るほど持っている商人から安定した税金を徴収しなかったことにあります。

政治状況が安定している中で、経済が発展すれば、市中に金が貯まるのは当たり前のことですが、そこに目をつけなかった代々の幕閣の怠慢が徳川幕府の崩壊を導いたといえます。

この幕閣が如何に無能であったかは、田沼意次を蹴り落とした松平定信の改革でも分かるでしょう。

松平定信は、景気を冷え込ませることには天下一品の働きを見せましたが、それ以上の能力は持ち合わせていませんでした。

そう考えると、天変地異が起きるという不運や、田沼意次の年齢的な制約がなければ、田沼意次が考えていたことは、画期的なものだったはずです。

佐藤雅美氏の考えるように、田沼意次の評価はあまりにも低すぎたのではないでしょうか。

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内容/あらすじ/ネタバレ

田沼意次は、将軍の日光東照宮参拝のために、なんとかして二〇万両をひねり出そうと考えていた。やがて、その目処が立ち、幕府あげての倹約をするも、江戸の街を火事が襲いかかる。そして、倹約に励んだ二十万両が火災のために消えようとしていた。

田沼は消えようとした二〇万両を捻出するために、御三卿の取りつぶしにかかった。田安家を取りつぶすことによって十万石を収公出来ることになるというわけだ。

田沼の思惑通りに事は運び、田安家の十万石は収公され、日光東照宮参拝費用の捻出に成功する。しかし、この事で田沼は後の政敵となる松平定信の恨みを買うことになる。

日光東照宮参拝費用の捻出成功の論功が行われ、田沼は出生の階段を着実に上り始める。

やがて幕府中枢での権力を握った田沼は抜本的な政策の見直しを考え始める。自分が後世において評価されるようなことをしたいと考え始めたのだ。

そのため、印旛沼を埋め立てを考えたり、蝦夷の開墾を考えたりする。そして、これまで幕府が考えもしなかった、「税金」の徴収を考え始める。

しかし、折り悪く、天変地異が続き、世間の状況は悪くなる一方であった。

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本書について

佐藤雅美
田沼意次 主殿の税
人物文庫(学陽書房) 約三四〇頁
江戸時代

目次

倹約
お富
賢丸の恨み
将軍世子
勝手掛老中
功名手柄
世直し大明神
蝦夷と大坂
御用金
裏切り
暗闘
終章

登場人物

田沼意次
田沼意誠…意次の弟、一橋家家老
田沼意到…意誠の嫡子
水野忠友
一橋治済
松平定信
徳川家治…十代将軍

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